#真田丸 第二十五回 45分で3人を見送る鬱回に三成が脱ぐ「別離」死んだ子にでんでん太鼓を鳴らす秀吉、悲しみを取り戻した茶々。みんなの感想+補足TLまとめ
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利休の死
個人的に目から鱗だったのは、「「死の商人」としての業を克服するために、崇高な茶の湯を極めた」という利休の人物解釈でした。武士が茶の湯を好んだのは、死と隣り合わせである武士としての業を克服するためだった…というのはよく聞きますが、利休自身もそうだったのか…と腑に落ちました #真田丸
2016-06-26 21:22:53つまり見境のない商売の成功で溜まった業を〈因縁:茶を極める〉を取得する事で昇華してるんだね……正しく天羅生物だな、この利休。 #真田丸
2016-06-26 20:55:45利休はすごかったね。切腹のシーンから、最期の逆光のところまで本当に人間味が全く感じられなかった。茶聖ではなく、モンスターだった。 #真田丸
2016-06-26 21:03:41「商人」の最期が切腹…ってよく考えると凄いよね…という事を改めて思った、どこまでも生臭い「政商」にして、その業の深さ故、余人の辿り着けない領域にまで至れた「茶聖」でもある利休という男の白装束。業の深さがその人の輝きと比例するところのあるこのドラマを体現する一人でしたね。 #真田丸
2016-06-26 21:12:12それでも利休に「戦は儲かりまっせ」と言わせたのはほんとに勇気がいったことだったろうと思う。今回の利休は決してこれまでのような賢人で善人じゃない、だけど文枝さんの狂気に満ちた目とともに豊臣の孕む狂気すらも感じさせてくれた気がする #真田丸
2016-06-26 20:53:33商人としての手腕、茶人としての卓越したセンス。その利休の二面性こそ、わび茶の世界観をより深遠なものにしたのかな。わび茶の精神は血生臭い戦国の世に完成したということを現代の茶の世界ではあまり意識しないけれど、たまには意識してみようと思った。 #真田丸
2016-06-26 21:09:58初めて文枝師匠の利休を見た時は、えらい脂っ気のある利休だなぁと思ったんですけど、業ゆえに茶を極めたって台詞は文枝師匠がのたもうてこそだと思いました。 本当に配役が素晴らしい…! #真田丸
2016-06-26 21:01:35多分利休が生きていれば堺に利益がなければ唐入りを止めた可能性が。しかしその人は居なくなってしまったから信繁による無理矢理秀吉の気持ちを盛り上げるネタの1つの唐入りが秀吉の中で独り歩きしてしまうという皮肉 #真田丸
2016-06-26 21:06:02利休でさえも完全な悪ではない 堺の町に生まれた性に抗えなかっただけ それでも心が無かった訳じゃないから商売をしている裏で人の命で商いをする事にずっと苦しんできたんだな 源次郎にお茶を出す時の表情が覚悟を決めたようなホッとしたような顔でちょっと泣いてしまった #真田丸
2016-06-26 21:02:40利休殿は経済の側から世の中を考える人だったんだなあと。たぶん「戦国武将」という人たちとは視点も立場も違うからこその行動方針で。今まで私が持っていた「文人・利休像」がひっくり返りました。新しい視点でものを見られるのって楽しくて気持ちいい!そして伏線回収の腑に落ち感ぱない。 #真田丸
2016-06-26 21:10:41ちがうんだー。利休の深さはそうじゃないんだー。利休はきっと「結果には概ね満足してます。次はもっと上手くやります」ぐらいのことは言う人なんだー。(個人の感想です #真田丸
2016-06-26 21:10:19今回は利休さんの立ち位置が印象に残った。茶人としてでなく「死の商人(?)」としての利休さん。まあ戦争は儲かるというのは善悪はともかく一理ある。利休さんが武士の死に方である切腹を命じられるのは、「死の商人」…つまり戦争を扱っているんだから武士らしく死ねやってことかな? #真田丸
2016-06-26 20:57:29#真田丸 利休の呪いなどと言っていたが利休自身はあの最期を悔いていないように思った。自分がしてきた事の報い。けれどきっと彼はとても強欲な人だから、商人としても茶人としてもまだまだ生き華を咲かせたかったに違いないとも思うけれど。呪いとは残されたものが後ろめたさから作り出すもの。
2016-06-26 21:14:01油ぎった裏も表もある商人としての側面を強調しながら描いてきたこの作品が、茶聖利休と、堺の商人利休を、どのようなバランスで表現せしめるのだろう、と思ってきたのだけれど、利休本人に、自分がたてる茶は己の業ゆえに極めたものだ、と言わしめたか。この解釈は、すごく格好いいな。 #真田丸
2016-06-26 20:50:00