燭へし同棲botログ:星の王子さまの日

16/6/29:たいせつなものは目に見えない。
4
燭へし同棲bot @dousei_skhs

【星の王子さまの日】 「――あれ?」 絞られたBGMと、心地いい人の気配。印刷物と建物の匂い。それらに包まれた背の高い棚の間を縫っているとき、僕は見覚えある姿を見つけて立ち止まった。

2016-06-29 23:30:07
燭へし同棲bot @dousei_skhs

「長谷部くん。おかえり」 「!」 僕の声に反応して顔を上げたのは、やっぱり長谷部くんだった。名前を呼んだのが僕だと気づいて、きりっとした表情が一瞬で緩む。 「――驚いた。奇遇だな、光忠」 「そうだね」 「おかえり」 「ただいま。君も」 「ああ、そうだった。ただいま」

2016-06-29 23:33:07
燭へし同棲bot @dousei_skhs

一緒に住んでいる僕たちが会うことを“奇遇”だなんて言ったのは、ここが家ではなく、駅の傍の本屋だからだった。 「変な感じだね。こんなところで」 「そうだな」 「今日は早く終わったんだね」 「まあな。お前もか」 「うん。ラッキーだった」

2016-06-29 23:36:02
燭へし同棲bot @dousei_skhs

ラッキーついでに今日はこのままどこかに食べに行こうという僕の提案を、長谷部くんは二つ返事で了承してくれた。早く帰った方が夕飯を作るというのが我が家の暗黙の流れだけど、そんなの臨機応変にどうとでもしたらいいし、なんとなくの目安であって厳密に決めたルールじゃない。

2016-06-29 23:39:04
燭へし同棲bot @dousei_skhs

だからたまにはこういうこともある。それに、僕はこの待ち合わせてからご飯に行くのが好きだった。付き合い始めを思い出させてくれるから。……なんて余談はいいとして。僕はそこで初めて、長谷部くんの前にある棚をまじまじ見た。(失礼ながら)長谷部くんには縁遠いジャンルに思えたからだ。

2016-06-29 23:42:09
燭へし同棲bot @dousei_skhs

「にしても珍しいね」 「うん?」 「児童書なんて」 「そうか?」 「そうだよ」 そう、長谷部くんがいたのは児童書棚の真ん前だった。長谷部くんと本屋に行くと、だいたいビジネス書か文庫本(たまに動物のフォトブック)が置いてある場所にしか寄らないのに、今日はどういう風の吹き回しだろう。

2016-06-29 23:45:05
燭へし同棲bot @dousei_skhs

時間が時間だから、今ここに児童書ターゲットであろう子どもたちの姿はない。だから立ち読みしていても注意を受けなかったんだな、とどうでもいいことを考えながら、僕は長谷部くんの手元を見た。――彼が今まで熱心に読んでいたものは、あの有名な『星の王子さま』だった。

2016-06-29 23:48:11
燭へし同棲bot @dousei_skhs

鶴丸さんじゃないけれど、少しばかり驚いた。でも僕がその本について知っているのは有名なのと題名くらいで、内容はノータッチだ。作者の名前がややこしかったなあというくらいの知識しかないために、長谷部くんと上手く結びつかなかっただけのこと。当の長谷部くんは本を閉じて言う。

2016-06-29 23:51:05
燭へし同棲bot @dousei_skhs

「たまたま目に入ったんだが、懐かしくなってな。久しぶりに読んでみようと思って」 「読んだことあるんだ?」 「子どもの頃に。実家にまだあると思うが、随分気に入ってほぼ毎日読んでいたんじゃないかな」 「へえ、……」

2016-06-29 23:54:57
燭へし同棲bot @dousei_skhs

僕はそこで、何度かお邪魔したことのある長谷部くんの実家を思い浮かべた。彼の部屋、棚に収まらず床にまではみ出した本たち。……その中にきっと、“これ”もあったのだろう。

2016-06-29 23:55:39
燭へし同棲bot @dousei_skhs

「それ、買うの?」 「うん」 「僕も欲しいのあるから、一緒に買うよ」 「ありがとう。後で払う」 「いいよ。それ僕も読んでみたいし」 「いいのか?」 「もちろん」 「……ありがとう」 「いえいえ」

2016-06-29 23:57:43
燭へし同棲bot @dousei_skhs

僕は自分の目当てとその本の会計を済ませ、既に店の外にいた長谷部くんに駆け寄った。お互い何も言わず隣に並んで、足並みを揃えて歩き出す。昔はこうしてよく、夜の散歩をしていたことを思い出した。……今日はいろんな昔を思い出す日だ。帰り道の夜の散歩も、待ち合わせも、ご飯を食べにいくのも。

2016-06-30 00:00:21
燭へし同棲bot @dousei_skhs

「さて、どこに行こうか。なに食べたい?」 「光忠は」 「僕はお腹空いてるからなんでも美味しくいただけるよ」 「俺もだが、……そうだな、何でもいいなら和食が食べたい」 「オッケー。なら少し歩くけど、あそこでもいいかな」 「ああ」

2016-06-30 00:03:07
燭へし同棲bot @dousei_skhs

なんだか楽しくなって横を見ると、ちょうど同じタイミングでこちらを見ていた長谷部くんと目が合って、お互いふふっと噴き出してしまった。長谷部くんは、笑い声の向こうでこう呟いた。

2016-06-30 00:04:19
燭へし同棲bot @dousei_skhs

「“たいせつなことはね、目に見えないんだよ”」 「え?」 「さっきの本の、俺の好きな台詞だ」 「わあ……覚えてるんだね」 「そこだけな。当たり前のことなんだが、改めて考えてもやっぱりそうだと思うから」 よく覚えてる。そう言って歩みを速めた長谷部くんの姿が、横顔から背中に変わる。

2016-06-30 00:06:23
燭へし同棲bot @dousei_skhs

たいせつなことはね、目に見えないんだよ。 “What is important cannot be seen.” ご丁寧に英語でも教えてくれた長谷部くん。よっぽど彼の胸に染み込んだ言葉なんだろうと思うと、途端に僕までそれが愛しくなってくる。愛は屋烏に、ってやつだろうか。

2016-06-30 00:09:12
燭へし同棲bot @dousei_skhs

「なあ光忠、あそこに行くなら今日は何を頼む?」 「僕? 僕は、……そうだなあ」 背中で話し掛ける長谷部くんについて行きながら、僕は思考が浸食されていくのを感じていた。たいせつなことは目に見えない。そんな言葉に、じわじわ、じわじわ。

2016-06-30 00:12:07
燭へし同棲bot @dousei_skhs

(……そうだね) そうだね、長谷部くん。 たいせつなことは目に見えない。 言い得て妙だと僕は思った。自分のほんの少し前を歩く、これから食べるもののことを考えているであろう上機嫌な背中を眺めながら。 【了】

2016-06-30 00:15:55
燭へし同棲bot @dousei_skhs

【管理人より】日付を跨いで終えました星の王子さまの日、お付き合いいただきありがとうございました。ふわっと抽象的なお話になりましたが、少しでもお楽しみいただけたのなら幸いです。→

2016-06-30 00:21:45
燭へし同棲bot @dousei_skhs

→また私事で恐縮ですが、当bot、実は今月の14日で一周年を迎えておりました。これも偏に可愛がってくださるフォロワーの皆さまのおかげです。本当にありがとうございます。今後とも、皆さまのよりよい燭へし日和のお手伝いが出来ればと思います。よろしくお願い申し上げます!

2016-06-30 00:23:02