バングラディシュ首都ダッカのテロ事件について語る二人の識者
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バングラディシュ独立の歴史について解説
バングラデシュ人民共和国(バングラデシュじんみんきょうわこく、ベンガル語: গণপ্রজাতন্ত্রী বাংলাদেশ)、通称バングラデシュは、南アジアにあるイスラム教徒主体の国。イギリス連邦加盟国、通貨はタカ、人口1億5,250万人、首都はダッカ。
北と東西の三方はインド、南東部はミャンマーと国境を接する。南はインド洋に面する。西側で隣接するインド西ベンガル州とともにベンガル語圏に属す。
1971年にパキスタンから独立。バングラデシュはベンガル語で「ベンガル人の国」を意味する。
大雑把に解説すると
現在バングラディシュのある地域は、古来ベンガル地方と呼称されていた
15世紀(1401年~1500年)末にはヨーロッパの貿易商人が訪れるようになる
18世紀(1701年~1800年)末にイギリスの植民地となる
19世紀(1801年~1900年)後半、インドを中心に植民地からの解放を目指す運動が発生
この、植民地からの解放を目指す運動の勢いをそぐために、イギリスは
1905年、ベンガル地方をヒンドゥー教徒中心の西ベンガルとイスラム教徒中心の東ベンガルに分割管理
1947年、イギリス領インドがイギリスの植民地からの独立するのに伴い、宗教上の問題から
(インド及びベンガル地方周辺の)ヒンドゥー教地域がインド
(インド及びベンガル地方周辺の)イスラム教地域がパキスタン
となる
この際、イスラム教地域がインドの領土を挟んで東西に分断する形となる
地図上では
パキスタン領西パキスタン(現在のパキスタン)|インド|パキスタン領東パキスタン(現在のバングラディシュ)
という形になり、西パキスタンと東パキスタンが合わせてパキスタンという一国となった
しかし、互いの領土がインドを挟んで1000km以上離れていた事により、東パキスタンと西パキスタンの間では様々な摩擦(言語・宗教・政治等)が発生し、東西パキスタンの対立が激化した結果、東パキスタン側がパキスタンからの独立を求めてパキスタン国内の内乱に発展
西パキスタンと対立していたインドが東パキスタンの独立を支持する形となり
1971年、東パキスタンは独立して現在のバングラディシュとなった
要点:バングラディシュは元々はパキスタンの一地域だった地域が独立して出来た国家
バングラデシュが独立したのは1971年。その時の国際関係を少々解説。当時冷戦真っ只中。アフガニスタン経由で南下を目指すソ連に押さえを利かすためアメリカはパキスタンに支援をしていた。ソ連はその裏をとるためにインドに接近。なおかつ、米はパキスタンルートで中国との国を目論んでいた。
2016-07-04 23:14:48@md_tanaka @madfall1213 「東パキスタン」の独立をインド・ソ連が後押しし、「西」パキスタンを中国と米中接近でアメリカも付くという感じでしたね。国名は「ベンガル人の国」という意味でバングラデシュでしたね。
2016-07-06 11:58:15東パキスタンであったバングラデシュが独立を宣言したのはそうした外部環境の中。独立の父シェイクムジブの独立宣言を聞いてキッシンジャーはぶち切れたことだろう。アメリカは当然面白くない。インドにもさんざんプレッシャーを与えていた。
2016-07-04 23:16:20最終的にバングラデシュの独立戦争は第四次印パ戦争へと発展する。両面先線を維持できない判断したパキスタン軍はバングラデシュの独立を承認することになる。以後、独立を指揮したシェイクムジブとその政党アワミリーグは国際的にはインド、ソ連よりの立場となった。
2016-07-04 23:19:57シェイクムジブの独立後の政治は約5年で終わりを告げる。国家運営がうまくいかず暗殺されてしまう。もともとド貧国なうえに国土を戦場にしてしまったものだから誰がやってもうまくいかなかったと思われる。しかし、国民は納得しない。結局軍部急進将校に自宅を襲われ家族もろとも皆殺しにあう。
2016-07-04 23:23:01その後成立した軍事政権、ジアウルラーマンは政権掌握後、民政移管するための政党を作る。これが今のBNP。この政党はもともとアメリカがバックに付いて強力に支援をしていた。BNPは親アメリカー中国路線をとった。シェイクムジブの暗殺にはCIAが絡んでいると噂もされている。
2016-07-04 23:25:27そのBNPを指揮したジアウルラーマンも暗殺された後、政権をとったのもまた軍事政権、エルシャドだった。かれは、インドにもソ連にもアメリカにもいい顔をしつつ、どちらにもつかなかった。CIAの当時のレポートの中にそのコウモリぶりにフラストレーションをためている感じが伺えるものがある。
2016-07-04 23:29:23エルシャドは後に大統領につき、9年間政権の座につく。彼のこの9年間が今のバングラデシュの成長の礎になったと私は考えている。政治闘争による混乱を回避し、少数の投資家を優遇し経済を安定的に成長させた。民主主義の弾圧、平等などくそくらえと褒められたものではないがそれがよかった。
2016-07-04 23:35:58【速報 JUST IN 】バングラデシュ事件 犠牲者乗せた政府専用機 ダッカ出発 #nhk_news www3.nhk.or.jp/news/html/2016…
2016-07-04 23:57:02バングラデシュ事件 犠牲者乗せた政府専用機 ダッカ出発
(2016年)7月4日 23時55分
バングラデシュで武装グループが飲食店を襲撃し日本人を含む22人が死亡した事件で、犠牲となった日本人7人の遺体と家族を乗せた政府専用機は、日本時間の4日夜遅く、首都ダッカを出発し、帰国の途に就きました。
バングラデシュの首都ダッカで今月1日に武装グループが飲食店に押し入り、人質をとって立てこもった事件では、日本人7人を含む22人が死亡しました。
事件に巻き込まれた日本人の家族は、日本時間の4日未明、政府専用機でダッカに到着したあと、ダッカ市内の軍の施設で遺体と対面したほか、希望した家族は事件現場を訪れました。
そして、犠牲となった日本人7人の遺体と家族を乗せた政府専用機は、日本時間の4日午後11時50分ごろ、首都ダッカの空港を出発し、帰国の途に就きました。政府専用機は日本時間の5日早朝に、羽田空港に到着する予定です。
また、今回の事件で救出された渡邊玉興さんは、医療設備が整った別の航空機で、帰国の途に就きました。
この事件を巡って、バングラデシュの警察は4日、飲食店を襲撃した武装グループの容疑者とは別に、バングラデシュ人の男1人を新たに拘束したことを明らかにしました。
これまでの警察の調べで、武装グループの容疑者は、いずれも裕福な家庭で育った20代の男であることが分かっています。警察では、新たに拘束した男が、事件の現場にはいなかったものの、武装グループを支援する役割を担っていたとみて捜査を進めるとともに、襲撃が組織的に計画されていた可能性もあるとみて、事件の全容解明を進めています。
(引用元:NHK)