シンポジウム「聖愛と俗愛―西欧思想は愛と結婚をどう考えてきたのか」(2016/7/9@西南学院)まとめ

『シリーズ愛・性・家族の哲学』全3巻(藤田尚志・宮野真生子編、ナカニシヤ出版、2016)の出版を記念して企画されたイベントの一つが、タイトルのシンポジウム「聖愛と俗愛」でした。そのシンポジウムに関連するツイートをまとめました。 ※シリーズ『愛・性・家族の哲学』目次 http://www.nakanishiya.co.jp/search/s7471.html 当日のプログラム: 主旨説明:藤田尚志(九州産業大) 講演1:永嶋哲也(福岡歯科大)「愛が「神聖である」とはどういう意味か―中世における恋愛と聖愛」 続きを読む
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逆卷 しとね @_pilate

、俗世の結婚生活(俗愛)が神性の経験(聖愛)を約束するとするボヴェーという二つの例証を経て、(恋愛)結婚が完全に俗世の出来事とはならずに今でも神(聖愛)というより大きなフィクションによって担保されることの不可思議さを提起した。以下、感想。

2016-07-11 15:12:20
逆卷 しとね @_pilate

現代においては、結婚に神が必要とされているわけではなく、結婚「式」に必要とされているだけではないだろうか? 理性的な結婚という愛を飼いならす制度を思想史的に整理する価値はあると思うが、そこに思想的ポテンシャルはあるのだろうか。結婚に対する憧れはほぼ生活の安定や育児といった世俗的な

2016-07-11 15:13:35
逆卷 しとね @_pilate

ものに向けられた希望と同義となっている。唯一、結婚式だけが結婚産業による厳粛さの演出という一点において、未だ神の需要を残している。思想的可能性は、結婚とは無縁の、神の残り物のような「式」を反復していく点に賭けられるべきではないか。その「式」には結婚式のような神を伴う演出はない。

2016-07-11 15:14:10
逆卷 しとね @_pilate

神がかつていた場所・空蝉となった神の身体のようなものを立ち上げる「式」を繰り返すこと。そこに聖愛でも俗愛でもない、(ポリアモリーを含む)愛の思想的潜勢力があるように思う。これはたとえば、結婚式における「誓います」を行為遂行性の例証として挙げるスピーチアクト理論の異性愛主義を批判し

2016-07-11 15:15:05
逆卷 しとね @_pilate

た、セジウィックのクィア・パフォーマティヴィティとも一脈相通ずる「式」だろう。ともかくも、この発表の体全体を使ったパフォーマンスに、人を否応なく巻き込んで思考へと誘惑する「式」の力を感じたのは、わたしだけではないだろう。などという雑多な感想。〆

2016-07-11 15:16:05
SATO Keisuke @ks_sato

特に、RTしたこの部分はすごく重要なご指摘だと思う。「式」という「儀礼的なもの」を、「代替宗教」として説明するのではなく、何かそこに別種の潜勢力があるとみなすのは、非常に魅力的な解釈。ぐぬぬ、宿題が増えた。>RT

2016-07-11 17:01:35
SATO Keisuke @ks_sato

以前も紹介したけど、日本における教会式結婚式の受容とその思想については、以下が必読。 濱田陽「 「無宗教」への「対話」―チャペル・ウェディングと、日本のキリスト教」『宗教と社会』7、2001 ci.nii.ac.jp/naid/110007653… #CiNii

2016-07-11 17:09:05
SATO Keisuke @ks_sato

また、同じく以前も紹介したけど、五十嵐太郎さんの建築文化論からの結婚式教会論も必読。 五十嵐太郎『「結婚式教会」の誕生』 、春秋社、2007 amazon.co.jp/dp/4393332695/…

2016-07-11 17:11:10
SATO Keisuke @ks_sato

あと、若干話題になったキリスト教と同性愛と聖書解釈については、三巻本の『2 性』における小笠原史樹「キリスト教と同性愛」を読んだうえで、以下がおすすめ。 山口里子『虹は私たちの間に―性と生の正義に向けて』(新教出版社、2008) amazon.co.jp/dp/4400427064/…

2016-07-11 17:44:30