パフォーマティヴィティ概念の解釈をめぐる江口先生とのやりとり
これとりあえずOKにします。ある人の(車に乗るだけでなく)さまざまな行動から、総合的にある人の行動パターンを推測する、ってことですよね。
2011-10-11 01:48:26@eguchi1965 いやパターンの推測というより、その人が何をしたのかの理解、その人が誰であるのかの理解、その人が何を意図していたのかの理解が、それぞれに与えられる記述の結びつきのもとで、いわば同時に与えられるということなのです。
2011-10-11 01:52:11@frroots んじゃ例の裁判の例にもどせば、裁判官は自発的に車に乗ったという判断と、貞操観念の薄い女性であるという判断を同時に行なった、ということですか?(その正しさはさておいて)
2011-10-11 01:53:42@eguchi1965 いや実際に判断を同時におこなったかどうかはわかりませんが、判決文に提示された限りでの「事実」の理解可能性を考えるとき、行為の記述とアイデンティティの記述が、それを支えるように一貫して与えられているとは言えるでしょう。(その正しさはさておいて)
2011-10-11 01:57:32@frroots では、行為によってアイデンティティが判断され、アイデンティティによって行為の記述が確定する、ってのがパーフォーマティヴィティーってことの意味ということでいいですか?
2011-10-11 01:59:48@eguchi1965 「確定する」というか、そのようにして行為の理解やアイデンティティの理解を我々はおこなっているし、またその理解の「おこない」自体がさまざまな実践(たとえば「判決を下す」という法的実践)を形づくっているという事態があるわけですね。
2011-10-11 02:04:35@eguchi1965 で、その事態を、「行為理解のさまざまな実践の中で、我々のアイデンティティが理解可能にされている」という意味で、「行為遂行の中にアイデンティティがある」という事態だと考えれば、「アイデンティティのパフォーマティヴィティ」と言ってもいいのではないかと思います。
2011-10-11 02:06:52@frroots さっきも書きましたが、けっきょく私たちは他人に親切にすることによって他人に親切な人になり、寛大な行動をとることによって寛大な人になり、いじわるなことをすることによっていじわるな人になる、ということでいいですか?
2011-10-11 02:09:30@eguchi1965 それは難しいですね。オースティンの「行為遂行的」だって、定義があるというよりは、「約束するよ、って言うとき我々は行為してるよね」というある種の自明性に注意を向けるための概念だったのではないでしょうか。
2011-10-11 02:12:45@eguchi1965 あえて言うなら「○○のパフォーマティヴィティ」とは、○○の理解可能性が、行為の理解と結びつき、また行為理解の実践の中で、与えられている様子。くらいではダメですか。。
2011-10-11 02:16:23@frroots オースティンだったら、「単に事実を伸べる発話をconstativeと呼び、同時になんらかの行為を行なっている発話をperformativeと呼ぶ」ぐらいの定義はしてくれるっしょ。
2011-10-11 02:17:19