被災地では本当に古着はいらないの?

とりあえずまとめました。 @Ncky_D_MgjrvさんのTweetに対する反応など。 今後の災害支援のあり方を考える上で「なぜ古着はいけないのか」という疑問はたびたび出てくるでしょうけど、その考えるヒントになればと思い、ここに記録します。
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こちらもあわせてお読みください。

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前置き

Acewell(アーシェル) @Acewell_ren

@micky__s ふぁぼられてたので。 気分の問題じゃ無い。という事に気付けない人が多いですね、本当に…。 他人経由の以上、発生するリスクだとかの「現実」を無視して精神論のみを説く馬鹿達。

2013-11-06 15:37:27
micky__s @micky__s

ー 救援物資は被災地を襲う第二の災害である ー http://t.co/iVnljMzr7n というわけで歴史的な事象なのですが、このままいったら、次に大災害が起きたときにもまた同じようなことが起こりそ.. http://t.co/sx2zXgQpJb

2013-11-09 09:18:31

※長いですが、こちらのエントリを全文転載します。
http://www.isad.or.jp/cgi-bin/hp/index.cgi?ac1=IB17&ac2=knowhow63&ac3=5902&Page=hpd_view

(引用ここから)


地域防災実戦ノウハウ(63)
ー 救援物資は被災地を襲う第二の災害である ー
Blog防災・危機管理トレーニング
主  宰 日 野 宗 門
(元 消防科学総合センター研究開発部長)

1.はじめに
 被災地へ届けられる救援物資は被災者支援に大きな役割を果たしています。これは疑いようのない事実です。しかし、物が豊かで流通機構やマスコミが発達した国では、災害が発生すると全国から救援物資が被災地に殺到し、被災地自治体の災害対応に大きな困難をもたらすという「送り主の善意が裏目に出る」事態がしばしば発生します。
 サブタイトルは、それに対する警句としてアメリカの防災関係者で使われ始めたものと言われています。
 このような事態(現象)は、アメリカだけの問題ではなく、日本でも過去にたびたび発生しています。

2.国内の災害時における救援物資に係る問題ー地震災害を例にー
(1)1964年新潟地震(1964年6月16日)
 「中古衣料品も全国民の暖かい同情のバロメーターといえる。この量はまた記録的な数字を数え、体育館の天井まで届く程積みあげられた。これをやっとの事で配分して、翌日他の集荷所へ行くと、またそこにも山積みの中古衣料品が厳然として待ち受けているのである。」 (新潟市:新潟地震誌、pp. 324-325、1966年11月)
 「救援物資を配給するに当り、色々の事に出会ったり見聞したりしたので、以下思いつくまま述べて見る。まず数多くの梱包を貨車でいくつも戴いて有難かったが処理に困った。こんどの地震では火事に焼けたのは極く一部で、浸水したと云っても今すぐ衣類を必要とするのは少なかったが、梱包の中では衣類が一番多かった。(中略)これまでに災害救援物資の送付をうけた経験のあるある市長さんが、自ら慰問に来られ、お送りする梱包が準備してあるんだが、処理に困って居られるなら換金して送りましょうと云って下さったが、これは本当に有難かった。
 とにかく梱包の数の多いのには処理に手を焼いた。初めは物によって分けて処理しようと新潟小学校と寄居中学校とで区分けしたこともあったが、余り数が多くなって、とにかく一括積み上げてという事になったが、これを配分するのに頭を悩ました。」 (同上、p. 218)
(2)1983年日本海中部地震(1983年5月26日)
 「救援物資の中の衣類の配分には苦労した。衣類のほとんどがいったん着用したもので規格がそろっていないこと、火災などと違って、震災では家財が残っており、衣類などに困っている人が少ないことなどから、被災者へ直接配分することは困難であった。
 配分委員会では、市婦人団体連絡協議会に衣類を寄託し、換金することとした。婦人団体連絡協議会では、バザーを開催し、売上金を義援金として寄付した。」
(能代市:昭和58年(1983年)5月26日 日本海中部地震 能代市の災害記録、1984)
(3)1993年北海道南西沖地震(1993年7月12日)
 1993年7月12日の北海道南西沖地震では、被災地の奥尻町に救援物資が殺到し、その救援物資を保管するために、町は1億2千万円をかけてわざわざ倉庫を作らざるを得なかったという事実があります。当時の越森町長は、国会に参考人として招かれた際に以下のような発言をしています。
 「天候にもよりますが、救援物資は大型ヘリコプターによるピストン輸送等、緊急かつ大量輸送手段の確保が必要と思われるとともに、救援物資については、マスコミ等の大々的報道により災害直後から全国各地よりたくさんの救援物資が送られてまいりまして、三千トンとも言われる膨大な量でしたが、仕分け等で大変な労力を必要といたしましたし、そのためにわざわざ一億二千万もかけて倉庫も建設しなければならないことにもなりましたし、対岸の江差町やあるいは江差町周辺の町村にも集会所や学校に大変なお世話になったわけでございます。
 個人からの救援物資はできるだけ受け付けず、義援金としての援助をお願いすべきだと考えております。また、企業からの救援物資の提供リストをもらい、必要なときに必要物資を提供していただけるシステムづくりが必要ではないかと感じております。
 (中略)
 それから、さっきちょっと触れましたけれども、このことだけはぜひとも言っておきたいなと思ったのですけれども、大変な救援物資が来たのですね。だけれども、衣類については七割方ほとんど使うことができなかったのです、残念ですけれども。それで、これは先ほど倉庫を建てたということも言いましたし、札幌まで持っていって道庁の皆さんに仕分けしてもらうために、逆にこれも九千万ほどかかりました。それがほとんど七割方投げなきゃならないようなものだということで、もう保管する場所もないし、雨は降ってくるし、中には食料品と一緒に送ってくるものもあるものですから、もうにおいがついてどうしようもない。膨大な三千トン以上の、あの島にどうして入るわけがないのですから。それがもうそういう形に雨ざらしになる、そういうことになるというような状態が続いてどうしようもないから、焼け、焼却してしまいなさい。そうしたら、それをテレビ朝日が追っかけていって、全国の好意を踏みにじる行為を町長がしている、またたたかれるのですね。」
(第132回国会 地方分権に関する特別委員会 第3号、1995年(平成7年)2月8日)
(4)1995年阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震:1995年1月17日)
 阪神・淡路大震災では、救援物資の問題が大規模な形で噴出しました。
 資料(緊急物資等の備蓄・調達に係る基本的な考え方 平成18年3月 総務省消防庁 参考事例5)によれば、以下のようなことが指摘されています。
○  郵政省では、被災者救助用寄贈品(衣料、寝具、保存に耐える食料品、医薬品、日用品、学用品、新聞雑誌類等)を内容とする小包郵便物の料金免除を1月20日から3月2日まで実施した。無料化されたゆうパック(郵便小包)等によって、全国の個人・市民団体から様々な品が義援物資として送られた。しかし、個人からの物資は、中身を開けて整理し、梱包をし直して配布しなければならず、膨大な物資の受入れ、仕分け、配布には多くの人手が必要となった。全体として、ゆうパックは61万個にも及んだ。
○  神戸市は、同災害対策本部宛のものを配送済みとみなし、郵便局で内容を分類した上で、市の集積場所に配送することを要請した。こうした異例の処置は、1月23日から29日まで続き、7万個のゆうパックが処理され、分類作業については、旧大阪小包集中局で行われ、応援要員も含め、約600人体制で行った。
○  神戸市は、約43万個に及ぶゆうパックについて、一つ一つ開封し、品目毎の仕分けが必要となり、物資の受入れスペースの他に、仕分け場所、人手を必要とし、約29,000人のボランティアの協力を得た。
○  神戸市に届けられたゆうパック等の内訳は、衣類51%、食品14%、毛布・布団13%だった。
○  西宮市には、ゆうパック約20万個が届き、その中身としては、アルミホイールに包まれたおにぎり、みかん、ラーメン、缶詰等の食べ物、茶、天然水、ジュース等の飲料水、ノート、消しゴム、鉛筆等の文具類、肌着、セーター、防寒着等の衣類、タオル、ティッシュペーパー、生理用品等の生活必需品で、その内訳は、衣類70%であり、そのうち50%が中古であった。被災者は中古の衣料は受け取らないため、西宮市では、どうしても使用できない義援物資等を処分するのに、2,800万円の費用を投じた。
 阪神・淡路大震災では、救援物資に関する問題は一般国民の間でも話題となりました。当時の朝日新聞(東京本社版)の「声」欄には、以下のような投書が見られます。
 被災地でボランティア活動を行った36歳会社員は、次のように記しています。
 「(前略)救援物資を送って下さる方にもお願いがあります。いろいろな品物を一つの箱で送りたいお気持ちはよくわかるのですが、一つの箱には一つの種類の品物にしていただきたいのです。その方が、効率よく仕分けできますし、量も多くできると思います。」
(「救援を手伝い思いは切々と」、1995年1月28日(土)朝刊)

 神戸市東灘区出身で横浜市在住の36歳の主婦は、救援物資を送るべきかどうかで悩んでいます。
 「(前略)自分の住んでいるマンションの方々にも呼びかけて救援物資のご協力をあおいだところ、4日間でダンボール箱7、8個の物が集まりました。ところがです、集まった物資を神戸市あてに送ろうとしているときに耳に入ってきたのは、「物資が郵便局に6万個も足止めされている」とか「避難所では毛布等は余っている」とかいう情報です。(中略)送ってよいものか、送るとかえって迷惑なのか考えあぐねてしまいます。(中略)救援ということのあり方の難しさをつくづく感じてしまいました。こちらが小さな親切のつもりでしていることは、実はひとりよがりの大きなお世話なのかと…。」
(「救援物資送る難しさを実感」、1995年2月1日(水)朝刊)

(5)2004年新潟県中越地震(2004年10月23日)
 2004年に発生した新潟県中越地震で大きな被害を受けた小千谷市では、救援物資に関して以下のような状況がみられました。
 「地震発生の夜半から、全国からの救援物資が続々と届くようになってきて、昼夜を問わず、市役所前にトラックが着くたびに荷降ろし作業に取り掛かりました。職員は一睡もせずにこの作業を続けました。
 地震発生後3日目の10月25日、朝一番で食糧や水を各避難所に送り出すと同時に、早朝から救援物資を載せたトラックが続々と市役所に到着しました。市役所周辺の道路は荷降ろしを待つトラックで大渋滞となっていました。物資が次々と運び込まれ、市庁舎2階の市民ホールは積み上げられた物資で満杯になり、通路や階段などにも積み上げられました。ついに入りきらず、庁舎前の庭や空きスペースも埋めつくされ、仕分け作業はおろか職員の通行にも支障をきたすまでになってきました。」
(前小千谷市長 関広一:中越大震災 自治体の叫び、p. 33、ぎょうせい、2007年3月)

3.救援物資への対応のあり方

 前述のように、救援物資は被災地にはありがたいものですが、他方では、被災地の防災力を削ぎ、大混乱をもたらすものになりかねない側面を有しています。そして、この傾向は個人からの救援物資において特に顕著です。
 救援物資に伴う前述のような状況を招かないためにも、自治体はマスコミ等を通じて、緊急救援期の早い段階から救援物資による混乱を防止するための広報を実施することが重要となります。
 2007年7月16日の新潟県中越沖地震では、この点に関して注目するべき対応がなされました。地震翌日の17日、新潟県は個人からの救援物資の受け入れを辞退する旨の以下のマスコミ発表をしています。柏崎市においても同日に同様の趣旨のマスコミ発表がなされました。
「県は個人の皆様からの救援物資を辞退しています
 現在、新潟県災害対策本部では、各被災市町村と連携して被災された方々に必要な物資を掌握し随時対応しております。
 小口の救援物資は、被災地域の受け入れ態勢を整えるのが難しく、現場に混乱をきたすおそれがあります。現在多くの方々から救援物資のお申し出をいただいておりますが、上記の理由から、県では当面、個人の皆様からの救援物資の受け入れを辞退させていただいております。
 今後、被災地の要望を確認したうえで、県ホームページおよび報道発表等により必要な物資について随時お願いする予定としております。ご理解のうえ、報道においてご配慮頂きますようお願い申し上げます。」

 国内において、災害時にこのような対応(早い段階で県と市町村が足並みを揃えて「個人の救援物資を辞退する」旨のマスコミ発表)がなされたのは、2007年新潟県中越沖地震が初めてですが、決してその場の思いつきでなされたのではありません。筆者の個人的な見解ですが、このような対応の伏線(契機)となったのは、2004年新潟県中越地震の被災地となった長岡市が2006年度(平成18年度)の地域防災計画において示した「個人からの救援物資の辞退」の方針であったと考えます。
 今後、国内においてはこのような対応方針で臨む自治体が増えてくると思われます。その結果、個人からの救援物資による混乱は回避されることになりますが、それで救援物資に係る課題が全て解消されるわけではありません。対策をさらに前進させるためには、以下のような意見に耳を傾ける必要があります。

 「全国からの救援物資がすばやく届いたことには大変力づけられた。しかし、本文にも書いたが、物資をトラックから降ろし、それを各避難所へ配送する手配が大作業であった。特に、水のような重い物資をトラックから一旦降ろし、他のトラックに積み替える作業は、大変な重労働であった。
 そこで、物資を提供してくださる方が、あらかじめ運送会社に対し、災害対策本部の指示に従い物資を各避難所まで届けるようにという指示をしておいていただければ、極めて能率的になる。トラックが災害対策本部に到着した時点で、本部員から配送先の地図を受け取って、そのまま何箇所かの避難所へ配送してもらえれば、物資の到着もそれだけ早くなり効率的である。
 虫の良いお願いかもしれないが、物資の集積場所は戦場のようになる現実から、このようなルールができるとありがたいと思った。」
(長岡市災害対策本部編集:中越大震災ー自治体の危機管理は機能したかー、p. 30、ぎょうせい、2005年7月)
 救援物資を満載して被災地の応援に向かう自治体、団体、企業には、被災地の負担にならない救援のあり方(「自己完結」など)が求められます。

   なお、救援物資問題を扱った良書である「中越発 救援物資はもういらない!?」(震災がつなぐ全国ネットワーク、2008年10月)のpp. 56-57では、行政に対して以下の6点を提言しています。これまでの議論のまとめ的な内容になっていますので、ご紹介します。
① 個人からの救援物資については、「災害発生直後は、原則として受け取らない」
② 応援協定を結ぶ自治体・団体・企業からの物資調達を基本にする
③ 無料「ゆうパック」の申請をしない
④ 大口の申し出については、提供物資や提供者などを記録する
⑤ 可能なかぎり避難所へ直接配送を依頼し、物資だけでなく車両や人員も要請する
⑥ 受け入れ体制の広報
 個人的には、「プロの配送業者の(ノウハウの)活用」も含めるべきかと思いますが、救援物資問題の総決算的な本ですので、ぜひ一度手に取られることをおすすめいたします。


(引用ここまで)

はじまり

革ヤス @Ncky_D_Mgjrv

#被災地いらなかった物リスト が話題らしいが、見ると時期を分けずにテンデンバラバラにコレイラン、コレイランと言っている。それなら結局、「現金」となるが、それすら被災直後は意味が無いっていう事に気づくべき。要らない代表格の折鶴だって、時期によって、人によっては大事なんじゃないの?

2013-11-09 09:58:38
革ヤス @Ncky_D_Mgjrv

誰かが食品では書いていたけど、被災直後はこういう類、数日後はこういう類、1が月でこういう類、ってして貰った方が良いし、類型を考えるのに役に立つ。 #被災地いらなかった物リスト

2013-11-09 10:00:55
革ヤス @Ncky_D_Mgjrv

つか、服だって、新品とか言っているけど、廃品は問題外だが、洗いさらしなら中古でも良いのでは?新品選り好みできる程、そう書いている人が居る時の被災地は衣類に関しては平常状態だったのか? #被災地いらなかった物リスト

2013-11-09 10:04:22
革ヤス @Ncky_D_Mgjrv

結論として、「被災地は思考力が通常の半分以下です。だからアホでも便利だと思える品物を送りましょう」って事になるのだが?? 被災から数年経っているのに、未だに必要支援物資の類型化も出来ていないのが・・。

2013-11-09 10:08:11

ここからが本論

micky__s @micky__s

.@Ncky_D_Mgjrv 古着が「いらない」とされるのは、種類ごとの仕分けにかなりの労力と空間が必要となる点が主な理由です。個人から個人に送るのなら、喜ばれる場合もあるかもしれませんけど。

2013-11-09 10:08:35
革ヤス @Ncky_D_Mgjrv

そういえば、81の活動「コエチカラ」で拠出した義捐金はどうなったのだろうか??

2013-11-09 10:09:14
革ヤス @Ncky_D_Mgjrv

@micky__s では何故新品なら良いのでしょうか? 即ち行政なりの支援物資送付元が衣類の類型化を工夫すれば良いという話なのでしょうか?

2013-11-09 10:12:01
micky__s @micky__s

.@Ncky_D_Mgjrv まずは「第二の災害」について調べてみてください。話はそれから。

2013-11-09 10:16:43
革ヤス @Ncky_D_Mgjrv

@micky__s 「第二の災害」ウィキレベルですが読ませていただきました。正直私がこのハッシュタグでツイートした事が書かれていただけに思いました。また、服は耐久品であるが故、不要に送られたものを処分した、とは読めましたが、何故新品でないといけないのかは分かりませんでした。

2013-11-09 10:22:40
革ヤス @Ncky_D_Mgjrv

@micky__s 因みに、人手不足の件は私も承知しております。一応。

2013-11-09 10:23:19
ウチダ シンヂ @udasji

@micky__s @Ncky_D_Mgjrv 僕、洋服専門の古着屋なんですけど、一人の人にマッチする洋服って500キロに対して一着あるかないかなんです。うちの近所の避難所では古着をうちの店に集めて分別して避難して来た方に店の在庫から無料で配布してました。

2013-11-09 11:23:01
makoto @makoto0510

こんな感じでは次に災害が起こってもまた古着送りの二次災害が繰り返されそう。

2013-11-09 11:23:19
ウチダ シンヂ @udasji

@micky__s @Ncky_D_Mgjrv ちなみに500キロの仕分けって毎日やってる僕らでも二人で半日以上かかるかな?震災から3か月くらいは毎日物資を買取して無料配布するのが続いてたかな。衣類の種類で一番必要とされるのが肌着関係なんだけどそいつはさすがに新品でした。

2013-11-09 11:26:03
ウチダ シンヂ @udasji

物資と言えば、靴を思い出す。原発で逃げてきたばぁちゃんがサンダルしかなくて靴をもらいに来た。ぴったり合うサイズが店頭在庫のブランド品の革靴でそいつを渡したな。おしゃれな婆ちゃんが出来上がっていたっけ。

2013-11-09 11:28:36
ウチダ シンヂ @udasji

ユニクロから届いた新品の洋服も倉庫でのハンドリングで止まっちゃって、炊き出しのボランティア言った友達が運搬してた。いま思い出すとうちの店はまぁ便利に機能してたかな?その店ももうすぐ閉店で、ちょっと思い出してしまった。

2013-11-09 11:31:19
ウチダ シンヂ @udasji

郡山の避難所はものすごい物資がたまちゃって困ってた。南相馬は足りてなくて物資の受け入れを呼びかけてた。双方の担当の方を電話でつないで融通してもらえるように話したっけ。受け入れ側が遠慮してたけど有効活用という意味ではよかったんじゃないかな?

2013-11-09 11:51:38
革ヤス @Ncky_D_Mgjrv

@udasji @micky__s 「マッチする服」って何でしょう?平時なら好みでしょうが。被災直後もそんな選り好み出来る状態なのですか?勿論お洒落第一の方もいらっしゃるでしょうが、これは一時の凌ぎですよね?皆様は1ヶ月、1年と時間を経てからの話をしている訳ではないですよね?

2013-11-09 12:04:14
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