小田嶋隆さん@tako_ashiの「グリーン車の乗客は「一人分の座席」ではなくて「貧乏人と隔離された空間に入場する権利」を買っていたわけですね。」

例の、「事故で難儀している子供やお年寄りをグリーン車に入れてあげて」をめぐる炎上騒動が明るみに出したのは、グリーン券の隠された意味が「貧乏人と別の空間で過ごす権利」であったことだと思う。 by 小田嶋隆
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小田嶋隆 @tako_ashi

コラムニスト。ブログは冷温停止中。その他色々と停滞中ですが、順次再起動する所存です。てはじめにツイートなどを。ログはこちら twilog.org/tako_ashi

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小田嶋 隆(おだじま たかし、1956年〈昭和31年〉11月12日 - )は、日本のコラムニスト、テクニカルライター。
http://ja.wikipedia.org/wiki/小田嶋隆
 
 

小田嶋隆 @tako_ashi

青い目の息子よ、おまえは何を見たのだ? 「非常時においては、対価とサービスの対応関係に例外を認めても良いのではないか」という旨の提案をツイートした女性が、袋叩きに遭っている社会を見ました。

2014-01-04 01:40:05
小田嶋隆 @tako_ashi

つまりグリーン券を通じてでわれわれが購入しているのは、「他人に配慮しない権利」ないしは「他人にわずらわされない環境」なのだという解釈ですね。

2014-01-04 12:25:32
小田嶋隆 @tako_ashi

親切とか譲り合いみたいなものはカネを払わない連中が負担しろよ、と。

2014-01-04 12:26:29
小田嶋隆 @tako_ashi

例の、「事故で難儀している子供やお年寄りをグリーン車に入れてあげて」をめぐる炎上騒動が明るみに出したのは、グリーン券の隠された意味が「貧乏人と別の空間で過ごす権利」であったことだと思う。(続く)

2014-01-04 14:14:45
小田嶋隆 @tako_ashi

「自腹でチケットを購入していない乗客」が混入することで、グリーン車の「結界」が破れると、「特権」が「特権」であることの意味は失われるわけで、結局、グリーン車の乗客は「一人分の座席」ではなくて「貧乏人と隔離された空間に入場する権利」を買っていたわけですね。@tako_ashi

2014-01-04 14:20:31
小田嶋隆 @tako_ashi

「差別が大嫌いな人々」を嘲笑することで「甘ったるい偽善を拒む冷徹なオレ」をアピールする簡単なお仕事です

2014-01-04 15:53:31
小田嶋隆 @tako_ashi

冷徹音頭を作詞せねばならんな。メロディーはまあその場のアドリブで。歌う度に多少違ってもたいした問題ではない。

2014-01-04 15:56:30

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「寛容というのはけっこうな贅沢だということに尽きる。」 これだってようするに「正義の鉄槌」なのだ。 たしかにこの話には「じゃあどうだったらいちばん望ましかったのか」が欠けている。 by 渡邊芳之 29958 pv 78 16 users 10

まとめ 馬場正博さん@realwavebabaの「ま、世の中何でも杓子定規ばかりではいきませんな。」 赤ん坊を抱えた妊婦とか本当につらそうな人にグリーン車の人が席をそっと譲ってあげるような「小さな親切(大きなお世話じゃないよ」まで否定することはないと思う。 by 馬場正博 2333 pv 2 1

まとめ 為末大さん@daijapanの「【帰りの会式批判法】について ”私のせいじゃありません” いざという時、そう言う為に.. ”彼らは自由だと思っていた”という本がある。善良な普通の村人がどうやってナチスドイツのユダヤ人迫害に関わっていったかという話。彼らが一様に言うのは”僕のせいじゃない”という言葉。今も私達は世間という空気に流されて生きている。 by 為末大 8543 pv 75 5 users 9

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「ざまあみろ」でしかない主張が社会正義とか遵法意識の皮をかぶっているんだ。」 読んだら批判できなくなるから読まずに批判するのである。 「やらずに批判」「会わずに批判」「買わずに批判」「飲まずに批判」などもすべて同じ。批判対象に自己関与しないことが重要。 by 渡邊芳之 7521 pv 32 9 users 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「正義感に高揚した顔の恐ろしさというのが20世紀の歴史。」 ロシア革命の映像にも、ナチのイベントの映像にも、戦争直前の日本にも、1960年の日本にも、カンボジア革命にも、ユーゴ内戦にも、ここ最近のデモにも、われわれが共通して見るのは正義に高揚した美しい顔だよね。 by 渡邊芳之 3690 pv 10 2 users 2

まとめ 伊東乾先生itokensteinの「『「義憤」というのは恥ずかしいものだ』」 何か問題の当事者が憤慨したりするのは人間として当然だけれど、義憤というのは当事者でもないのに判ったような気持ちになってあれこれ軽薄な反応をする事で人間として浅はかである、 2921 pv 7 1

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分の正義に合うデモは「正当な政治的主張」で,自分の正義に合わないデモは「社会の迷惑」.. 「自分の正義」を持っている限り必ず「ダブスタ」になります。自分が正義を持つこと自体を捨てない限り他人の正義は批判できない。 by 渡邊芳之 15310 pv 75 2 users 5

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「偽善」は「行為そのものの効果は善であるもの」を言うと思います。 「自分の主張が正しい.. 反原発派を「反原発のために被害者を利用した」と批判したのと同じ人が,「原発がないと困る」ということを言うためには平気で「被害者を利用」するのはちょっと気になる。by 渡邊芳之 2809 pv 7

まとめ 佐々木俊尚さんsasakitoshinaoの「ルールや法律に過度に頼るのではなく、その場その場のコミュニケーションに.. 異様なまでに過度なルールを強いる人たちがたくさん現れている(あるいは可視化されている)のをただ非難しかえしていても何もはじまらないので、その状況を踏まえた上で自分が何ができるかを考えないと。非難の応酬からは何も生まれない。 by 佐々木俊尚 15364 pv 84 4 users 2