「人工知能のための哲学塾」発刊記念ツイッター討論会

「人工知能のための哲学塾」という書籍が発売になりました。 人工知能のための哲学塾 http://www.bnn.co.jp/books/8210/ 続きを読む
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山本貴光 @yakumoizuru

#ai哲学塾 心や精神の可視化については、カール・シューノーヴァー『ヴィジュアル版 脳の歴史――脳はどのように視覚化されてきたか』(河出書房新社)が、多くの図版を並べて見せてくれます。⇒amazon.co.jp/dp/4309252559

2016-08-11 12:33:32
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

#ai哲学 知能は対象であると同時に体験されるものである、そして身体もまた、対象であると同時に体験されるものである、これをメルロ=ポンティ(第五夜)は二重性と呼んだわけです。

2016-08-11 12:33:53
Takumi Ohyama @takumiohym

#ai哲学塾 今回、「身体性」についても扱われていますが、@yakumoizuru さんのおっしゃるような、心を「脳」に還元する見方とどう関係し合ったり、反発しあったりすると思いますか?(大きな問いでごめんなさい)

2016-08-11 12:37:29
T-T-Ghost @TT32768

@miyayou #ai哲学 はじめまして。本質的に現時点では数値化が難しいものを、コンピュータ上で表現するために、あえて哲学を採用したのだと解釈しましたが、それをコード化し、数値化し、ゲームに実装するに当たっての困難と成果について教えていただければ幸いです。

2016-08-11 12:42:21
Katsumi ISHIDA @isis331

#ai哲学塾 自己自身を覗き込む以前に、例えば、用途不明なまま回路図を提示された場合、それが何であるか特定するのは、工学的にもかなり難しい課題だと思われます twitter.com/miyayou/status…

2016-08-11 12:43:11
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

#ai哲学塾 人間が人間の脳を見る時は、ある意味、ロボットが自分の回路を覗き込むのと同じように、不思議な自己頓着な円環を感じますね。RT @yakumoizuru 心や精神の可視化については、カール・シューノーヴァー『ヴィジュアル版 脳の歴史――脳はどのように視覚化されてきたか』

2016-08-11 12:36:36
志良堂 正史 ShiradoMasafumi @ShiradoMasafumi

#ai哲学塾 目次を拝見しますと「ユクスキュルと環世界」だけは『暇と退屈の倫理学』國分 功一郎ごしに少し知っている。人工知能と哲学にゲームを加えたらある環境を人間・ネコ・ダニなどそれぞれの視点で体験できる。地球環境の見方が変わるのは間違いないしわくわくする。

2016-08-11 12:43:13
山本貴光 @yakumoizuru

@ShiradoMasafumi #ai哲学塾 「同じ」空間や環境でも、生物がそれぞれ持っている身体の形や機能によって「違う」空間や環境として認知されるという話は、実に面白いですよね。ゲームAIということでいえば、モンスターやキャラクターはそれぞれその世界が別様に捉えるわけです。

2016-08-11 12:46:08
山本貴光 @yakumoizuru

@miyayou #ai哲学塾 言葉で「脳が脳を見る」と言ってみると、その不思議さが際立つようにも感じますネ。とはやや余談めきますが。 twitter.com/miyayou/status…

2016-08-11 12:50:47
T-T-Ghost @TT32768

#ai哲学 人工知能が可能かどうかというのは、科学哲学それ自体の問題でもあるように思う。素朴な科学主義ではどうしても人間の「生感」が出ないがゆえに、複数、別系統の精神分析理論を同時に活用する、文系の方もおられますね。

2016-08-11 12:52:17
Hiroshi Inukai フィンピーと犬飼博士 @POLYGONINUKAI

この本の表紙を手に持って眺めてるといろいろ去来するんですよねー。海と陸の間、波打ち際に人が1人立ってるんです。#ai哲学塾 twitter.com/miyayou/status…

2016-08-11 12:53:21
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

身体性はおそれずに言えば、身体と環境の循環を常に感じている。つまり我々はかなり自分の存在の感覚の根拠を身体に依拠している。我々が感じているのは自分と世界の境界であり、生理である。RT @takumi10di @yakumoizuru #ai哲学塾 今回、「身体性」について

2016-08-11 12:47:15
Zeon Kawaguchi @metaioh

第三夜のまえおきにありましたが、 ・人工知能は機械に人間の思考を真似させようとしています==>OK ・「記号を介して人間と機械がつながる」==>え?脳はシンボルとして捉えてるのではなく、分散(スパース)表現というのが有力説では? #AI哲学塾

2016-08-11 12:53:42
T-T-Ghost @TT32768

#ai哲学 経済学でも、どうしても数値で人間の行動を予測すると、とんでもなく不道徳な「合理的な愚か者(アマルティア・セン。ただ最大利益を得るだけの人間行動)」になるという問題が指摘されてるけど、使いやすいが故にそのモデルがまだ採用されてる。でも本当はおかしい、みたいな話とも。

2016-08-11 12:55:07
Takumi Ohyama @takumiohym

#ai哲学塾 @yakumoizuru @miyayou 自己自身を見ようとして自己を対象化すると、それはすでに自己でなくなってしまう...というようなメビウスの環状態になりそうですね。

2016-08-11 12:55:08
志良堂 正史 ShiradoMasafumi @ShiradoMasafumi

@yakumoizuru #ai哲学塾 別の誰かや生物になるという夢に相当近づく体験ですよね。ロールプレイングやミミクリー(遊び)の極致のようにも感じます。

2016-08-11 12:55:34
山本貴光 @yakumoizuru

#ai哲学塾 その生物やAIが「どのような身体なのか」、つまり、どんな形なのか、どんな機能なのか、どんな感覚器官を備えているのか、といった条件に応じて、自分の身体について、何を監視できるか/できないかも決まるわけですね。 twitter.com/miyayou/status…

2016-08-11 12:56:19
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

身体の毎瞬間の状況を脳は確認しています。それは生物的な生理であり、その監視によって生物は常に自らの身体を守っているのです。しかし、それは身体から脳を捉えた場合です。逆に脳から見た身体は RT @takumi10di @yakumoizuru #ai哲学塾 今回、「身体性」について

2016-08-11 12:50:47
T-T-Ghost @TT32768

#ai哲学 数値にならないものを思考して、最終的にはコンピュータのコードにしないといけないという数値化が待っているところが難しくて面白いのかなと。

2016-08-11 12:56:30
Takumi Ohyama @takumiohym

#ai哲学塾 @miyayou まさに、身体自身の「知覚」の問題だけでなく、「イマージュ」の作用が二重に混ざり合って身体意識が構成されているように思います。とても不思議なところですが。

2016-08-11 12:57:30
山本貴光 @yakumoizuru

@ShiradoMasafumi #ai哲学塾 VRを用いることで、他の生物やクリーチャーの身体(視聴覚)を疑似体験しながら、文字通りロールプレイできてしまう、という世界まであと一歩かもしれません。

2016-08-11 12:58:29
Zeon Kawaguchi @metaioh

・脳内では個々の対象を分散表現している。 ・分散表現の中でも特にスパースコーディング説が有力である。 「おばあさん」細胞仮説==>分散表現仮説 この分散表現というのが哲学的にどう理解されるのか興味あります。(哲学は分かりませんが)(Q&Aで分かる脳と視覚 P66) #AI哲学塾

2016-08-11 12:58:30
T-T-Ghost @TT32768

#ai哲学 脳が脳を見る、機械が機械を見る行為の不可能性って、ゲーデルの不完全性定理的な「自分の体系の無矛盾を自分で確認することはできない」という話とも近いのかも。

2016-08-11 12:58:38
Takumi Ohyama @takumiohym

#ai哲学塾 @ShiradoMasafumi 他の生物や個体に実際に「成って」しまうような知性の柔軟性というか、可逆性というか、それはとてもおもしろいことですよね。

2016-08-11 12:59:19
Shinya Hayakawa @tsurumau

解明され得ないことが解明される可能性のある対象について、解明しようとする行為すべてが直接的に解明に繋がる行為が哲学なのだろうか #ai哲学塾

2016-08-11 13:00:05
山本貴光 @yakumoizuru

@takumi10di @miyayou #ai哲学塾 しかも、自分を見て対象化する際にも、自分の身体(やそれを拡張する道具)に可能な見方によってしか見ることができない、というのも面白い点ですね。あるいは、自分の記憶や知識に応じてしか見てとれないという面もありそうです。

2016-08-11 13:00:38