公理的集合論と「有限性」に関するつぶやきまとめ

E. Nelson の Internal Set Theory を勉強するためにZFCについて勉強していて有限性について思ったことを呟いたのでそのまとめ。まとめ前提ではないので散漫です。
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dif_engine @dif_engine

公理的集合論やるたびに発狂しそうになってたんだけど最近慣れてきた

2016-08-10 23:32:36
dif_engine @dif_engine

NelsonのISTをやってるうちに公理的集合論ってgdgdなところあるなぁ、というかそんな気持ちになってきておおらかになってきたので公理的集合論で発狂しなくなってきたらしい。

2016-08-10 23:47:37
dif_engine @dif_engine

gdgdなところってのは、たまにACクラスタが騒ぐ有限性の定義ですね。ωを最初の極限順序数と決めるとして、それは結局Onの構造によって変わってきちゃうじゃんっていう。(もう遅いしこの話題は打ち切り)

2016-08-10 23:49:47
dif_engine @dif_engine

むかし外史の本にドハマリして精神の平衡を失いそうになってからは「有限性とは何か」のような問題は避けてたのだけどISTについて理解しようとすると避けて通れない。(なお、考えたからと言って有限性が理解出来たわけではない;むしろわからなさを精密化できたというかそんな感じ)

2016-08-11 10:39:20
dif_engine @dif_engine

ブログにもちらっと書いたけどISTでは(素朴な直感では)無限集合にしかなり得ないような大きな集合が「有限集合」だったりする。では有限集合とは→ωの元に1-1にマップされる集合です→ではωとは→最初の超限順序数です→順序数の「全体」はクラスですよね?と辿った。

2016-08-11 11:06:47
dif_engine @dif_engine

ISTはZFCの公理をすべて引き継いているので、ISTにおける有限集合はZFCで議論されている有限集合と同じ。

2016-08-11 11:07:25
dif_engine @dif_engine

で、こうやって順序数全体のクラスOnまで辿ってみると、ωが何であるかという問題の背景にOnがどんな様子をしてるのかという問題があるということがわかってきた。

2016-08-11 11:09:41
dif_engine @dif_engine

ありがちな誤解の例:「 SUCC(x) = x ∪ {x} として  ω := { n | n は ∅に SUCCを有限回施したもの } という風に定義すればOnを引き合いに出さずに決まる」 このように教えることは教育上の利点がある(余計なことを考えさせない)が(続く)

2016-08-11 11:12:18
dif_engine @dif_engine

(続き)、「公理的集合論」で通常採用される言語では「有限回施す」を述べることができないし、そのような述語を構成しようとすると結局順序数論を使うことになる。

2016-08-11 11:15:40
dif_engine @dif_engine

なお、数学における厳密性というのは一意ではない(と私は考えている)ので、公理的集合論の公理を採用しつつ ω := { n | n は ∅に SUCCを有限回施したもの } という定義を使うという「立場」はあっていいと思う。

2016-08-11 11:18:21
dif_engine @dif_engine

「人間の精神が有限なのに(ちょっと意味不明)無限を扱えるのは何故か」ということに対して「それは無限を『形式化』して飼いならしてるからだ」ということはなんとなく理解していたが、公理的集合論では有限性も『形式化』されているということを最近まできちんと理解していなかった。

2016-08-11 11:27:13