「マンガと学校教育」について

伊藤剛さんのTweet
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伊藤 剛 @GoITO

「マンガと学校教育」について「相性のわるさ」が、マンガの内外から言われ続けていることについて、水声社『マンガ研究13講』に論文を書きました。とかくマンガに固有の問題だと思われがちですが、実はこれは日本の学校教育、とくに芸術教育の側の問題だということを明らかにしています。

2016-09-14 01:52:19
伊藤 剛 @GoITO

雑にいうと、美術教育からは「概念的・記号的な表現」「模倣」が排除され、作文教育からは2014年まで「物語の創作」が排除されてきました。マンガ教育は、その「排除されたもの」だけで形作られることになります。

2016-09-14 01:55:19
伊藤 剛 @GoITO

他方、マンガの側が持つ「マンガは学校では教えられない」という違和感は、「感性」こそが創造であり、価値をもつのだという芸術観・創作観に根差しています。ここでいう「感性」とは、技術に還元されない、個々人が唯一無二のものとして持っている「見たまま」「感じたまま」を表現しうるものです。

2016-09-14 01:59:32
伊藤 剛 @GoITO

しかし、そうした芸術観・創作観もまた、そこからマンガが排除されてきたはずの「学校教育」の芸術観・創作観に他ならないのです。つまり、マンガと学校の「相性の悪さ」は、学校教育のマンガ排除を支えたロジックを、排除された側のマンガが素朴に持ち続けてきたことに由来するのです。

2016-09-14 02:01:43
伊藤 剛 @GoITO

この、マンガと教育の問題系は、オタクと学校という問題系とも関連してきます。オタクという自意識とセットになった一連の文化は「学校では公許のものとは扱われないもの」がひとつの条件となってきました。そこから敷衍して、学校空間で正の価値を持つもの「ではないもの」が選択される。

2016-09-14 02:24:01
伊藤 剛 @GoITO

「学校空間で正の価値をもつもの」とは、たとえば「スポーツができる」とか「ロックバンド」といったものが含まれます。一見すると奇異なようですが「不良」「ヤンキー」もこの場合「正の価値」を帯びます。先生から見たら「負」ですが、生徒はその反動を求めるからです。

2016-09-14 02:25:40
伊藤 剛 @GoITO

こういう面倒くさい構図になると、そりゃ強固になりますわね、という感じがしますが、大きく言うと「近代」の問題にほかなりません。またこれが日本に固有のものなのか、そうでもないのかは次の課題です。

2016-09-14 02:03:12
伊藤 剛 @GoITO

オタク文化をひとつのまとまりとしてみようするのは、難しいことです。アニメも、マンガも、それぞれ「これはオタク文化だけど、こっちのはちがう」という選別をジャンルのうちに持っています。ゆえに「これはオタクのものだ」という選別は「私はオタクである」という自意識にすぐにスライドします。

2016-09-14 02:28:13
伊藤 剛 @GoITO

これは、オタク文化が「~ではない」「~ではない」というnot構文で選択されてきたことに由来すると思われます。最もクリアなのが、さきほどの「学校空間で正の価値をもつもの」「ではない」として選択されてきた、という解釈だと考えられます。

2016-09-14 02:29:59
伊藤 剛 @GoITO

もっとも、この図式は、いまでも残留していると思われますが、おそらく2000年ごろまでのものだと考えています。表現はどんどん洗練され先に進んでいきますから、どこかで閾値を超えることで「~ではない」ものの範疇にはいられなくなってしまいます。

2016-09-14 02:32:14
伊藤 剛 @GoITO

しかし「学校空間では正の価値を持つもの」ではないもの、を選択してきたはずのオタク文化とその担い手は、もう一方で「学校空間的なもの」をひどく愛好してきています。オタクは学校が大好きなんですよ。たとえば、一昔まえのオタクたちはお互いを評価するのに「濃い」「薄い」と言っていたでしょう。

2016-09-14 02:33:48
伊藤 剛 @GoITO

「濃度」というのは数値で表現できるものですから、これは「偏差値」のメタファーと言っていいでしょう。ある意味で、いつまでも学校的なものにとらわれている人々、という言い方はできるかもしれません。

2016-09-14 02:35:21
伊藤 剛 @GoITO

そして、ここでもまた、学校的価値観から排除されたものだけを志向しているはずの者が、その実、別の水準では学校的価値観に素朴に忠実であるという図式が見てとれます。

2016-09-14 02:37:20
伊藤 剛 @GoITO

ではあるのですが、管見のかぎりでは、こうした逆説を孕んだ強固な構造も、2000年ごろからだんだん崩れてきたのではないかと考えています。私はあまり「オタクは死んだ」という言い方はしないでおこうと思っていますが、言うとしたら「2000年ごろには死んでたんちゃう?」と言うでしょうね。

2016-09-14 02:39:25
伊藤 剛 @GoITO

そもそも、オタクもサブカルも、1980年代には「よいこの反乱」であったことを想い起すこと。それが「幻の80年安保」の意味でしょう。

2016-09-14 02:40:53