- kanata0954
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ハリホジさんやヴェンゲル、たぶんモウもグアルディオラもクロップもデュエルの重要性をかなりプライオリティ高くしてると思うが、それは組織としてマンオリエンテッドであれぞーナルにであれ、ボールスペースを閉塞すればするほど、このゲームの特性上逆説的に相手にスペースを与えることになるから。
2016-09-30 22:15:08つまり、意図的に閉塞すればするほど届かない距離、相手にコントロールされうるスペース、コースが生まれるし、相手のやり方次第ではそこを使われる。そこでは、イーブンもしくは劣勢な状況が生まれ、一義的な組織のサポートを瞬時に選手に与えられないシークエンスが発生する。
2016-09-30 22:17:51そこでは文字通り「デュエル」するしかない。が、戦争(とくに機動戦)のやり方と同じで、組織の空白で効果的にデュエルできればできるほど、組織のリセットを早めることができるし、やり方によっては即応することもできる(グアルディオラのカウンタープレッシングは登場時の意味合いはそんな感じ)。
2016-09-30 22:19:43日本でデュエルが単なる気持ちの換言になっちゃってるのは、個の勝負を戦術的な縦深の中でどう位置づけるか、というのがないのに「デュエル」の部分だけ遵守しようとしてるからじゃないだろうか。
2016-09-30 22:21:32@500zoo そんな時にデュエルの日本語訳が必要な気がするわな。プレスをかけつつ、プレスによって空いたスペースを埋めるべく「圧縮」とか「圧迫」とか
2016-09-30 22:25:11@toto_manutd 文脈を含み込んだ言葉の翻訳ってどの言語でも難しいんですが、日本サッカーはそうはいっても自分たちの言語に置き換えてきちんと定義せず、曖昧に導入しすぎなんですよね。内部ではされてるのかもしれないですが、少なくとも指導レベルで意味があるような定義はたぶん無い
2016-09-30 22:29:41@500zoo 体育会系の人間たちは何かを学ぶというか、知るや疑問に思う事に対して無頓着というか嫌がる傾向が強い気がしますねぇ。少なくとも自分の興味があるものだけでも知る事や学ぶ事を好むオタク気質の体育会系の人間って少なくとも俺の周りにはほとんどおらんし
2016-09-30 22:31:43@toto_manutd 言いたくないんですが、教育の問題、しかも根が深いやつだろうなという感は強いですね。そもそも一朝一夕では向上できないのに、問題が真正面から認識されないので手をつけるのが遅れ続けて五朝五夕で済んだかもしれないものが十になり十五になり……的な怖さを感じます
2016-09-30 22:37:34これって、チームとして構想されている戦術的な文脈の実装強度の謂であった「インテンシティ」を同じようにただの「気持ち」「玉際」に換言してしまった過ちと同じで、ようするにありがたげな概念は受け入れられても、「なぜそうなのか」がきちんと読み込まれていない。なので実装に問題が出続ける
2016-09-30 22:23:28