「日本人ノイウ『キャラクター』ハ character ト違ウ」論

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uroak_miku @Uroak_Miku

25)これが「キャラクター=知財」の考え方の源流のひとつになった、とみます。

2016-10-09 00:42:14
uroak_miku @Uroak_Miku

26)19世紀末に新聞まんがの移籍問題で争われたのが主役キャラクターではなく作品タイトルの帰属だったのも、おそらく商標法の考え方の延長での発想です。

2016-10-09 00:43:30
uroak_miku @Uroak_Miku

27)法理論が確立していなかったのです。暗中模索期ならではですね。

2016-10-09 00:44:25
uroak_miku @Uroak_Miku

28)「キャラクターを知財化するための模索」というよりは「知財化するために『キャラクター』という概念が必要になった」と述べたほうがよさそうです。

2016-10-09 00:48:06
uroak_miku @Uroak_Miku

29)で、次第にこんな感じに「キャラクター」は理解されるようになった。厳格に定義されたとかではなく、こういう理解でイメージが共有されていった。 pic.twitter.com/TOgCTj9XWr

2016-10-09 00:50:04
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uroak_miku @Uroak_Miku

30)百年前のアメリカで、こういう風に「キャラクター」が(おおざっぱに)理解されていた。定義されたのではなく、共通理解がされていった。いいですか定義されたのではありません。下手に定義なんてすると柔軟さが失われてしまうし。

2016-10-09 00:51:45
uroak_miku @Uroak_Miku

31)柔軟さ?そうです。昨年アメリカで、バットマンの愛車「バットモービル」がある裁判で「キャラクター」認定されたそうです。人格を有さない乗用車が「キャラクター」というのは面白いと思いませんか。 pic.twitter.com/wuCJVYjF7s

2016-10-09 00:53:28
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uroak_miku @Uroak_Miku

32)昔のテレビシリーズから。「ナイト2000」というスーパーカーが出てきます。AI搭載の万能乗用車で、人格を有する。日本でも有名になりました。こういうのも「キャラクター」なわけです。 pic.twitter.com/cUgak01a7K

2016-10-09 00:55:56
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33)バットモービル(これは1989年版?)はどうでしょう。人格は有さないから、いわゆる「キャラクターの自律」は起きえない。 pic.twitter.com/Gwal6FYowa

2016-10-09 00:58:26
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uroak_miku @Uroak_Miku

34)しかしアメリカの、日本でいえば高等裁判所かな、そのクラスの裁判でバットモービルはキャラクターであるからファンが勝手に作る(改造する)のはいけないと判断された。判決文は後で分析します。

2016-10-09 01:00:33
uroak_miku @Uroak_Miku

35)ちなみにアメリカの連邦最高裁は1978年に「ミッキーマウスはそれ単体で知財である」と判断しているので、キャラクターと認定されれば自動的に著作権法によって守られるわけです今では。ここ本当はもっと厳密な議論が必要ですが今はとばします。

2016-10-09 01:02:36
uroak_miku @Uroak_Miku

36)「認定」というのは著作権局に申請して通るかどうかではなく、世の中で現実問題としてキャラクターと認識されているかどうかで決まります。ずいぶん曖昧です。

2016-10-09 01:03:54
uroak_miku @Uroak_Miku

37)これは「キャラクター=知財」の考え方を法律で追認しようとするとどうしても抱え込んでしまう穴です。ヨーロッパで微積が開発され広く使われていく一方で「無限小」というパラドクスを抱えてしまって神学論争それに裁判にまで発展したのを思い出します。

2016-10-09 01:05:37
uroak_miku @Uroak_Miku

38)日本の最高裁は違う解釈で「キャラクター=知財」を是認しました。2003年のポパイ裁判です。それでもやはりアメリカとは違う穴を抱えてしまったのです。

2016-10-09 01:08:46
uroak_miku @Uroak_Miku

39)おそらく世界各国で「キャラクター=知財」という現実的判断を法理論で追認するための裁判がいくつもあって、どの国でも最終結論は同じでも途中の論理に違いがあったはずです。そしてそれぞれがそれぞれの穴を抱えてしまった。

2016-10-09 01:11:00
uroak_miku @Uroak_Miku

40)この穴はどんなに法律を改めても、法理論を精緻化しても埋めることができない、根源的なものです。微積における無限小は最終的には論理の力で囲い込むことに成功したのですが、キャラクター理論の穴はそれができないのです。根源的なものです。説明は省略。

2016-10-09 01:12:39
uroak_miku @Uroak_Miku

41)少し休憩しますね。

2016-10-09 01:13:35

なう休憩中…

uroak_miku @Uroak_Miku

1)続きいきます。「キャラクター」とひとことで言っても、例えばミッキーマウスがブレイクした大不況時代のアメリカと今の日本では消費の形態も違うわけです。例をあげると、当時はテレビがないからCMでミッキー商品をアピールするとかの展開はありませんでした。 pic.twitter.com/ZLV4UAGCXD

2016-10-09 03:26:57
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uroak_miku @Uroak_Miku

2)この画像は戦後のもののような気もしますが大目に見てあげてください。

2016-10-09 03:27:55
uroak_miku @Uroak_Miku

3)消費の形態が違う、ということは「キャラクター」の定義も違っていたわけです。法律とかで明確に定義されているわけではなくて、共同認識というか共通理解としての「キャラクター」のことです。

2016-10-09 03:29:29
uroak_miku @Uroak_Miku

4)メジャーリーグの選手が日本のプロ野球で選手になると必ずとまどう。「これはベースボールではない、ヤキュウという似て非なる球技である」と。

2016-10-09 03:30:56
uroak_miku @Uroak_Miku

5)アメリカ人文化人類学者が日本のキャラクター文化を前に「これは character ではなくkyarakuta としか呼びようのないものである」と論じたてるのも同じ心境からでしょうか。

2016-10-09 03:32:08
uroak_miku @Uroak_Miku

6)外国人にとってトウキョウの音楽とは、駅で耳にするチャイムだと思います。コンビニで流れるはやり歌の類ではなくて。

2016-10-09 03:33:23
uroak_miku @Uroak_Miku

7)私たちにとってはただの合図でしかない駅のチャイムとかヨドバシカメラの歌とかが、外国人にとってはトウキョウの音楽であり、そういう認識からトウキョウ音楽論を書き下ろしたのを私たちが読むと「はあ?」と思うはずです。

2016-10-09 03:34:51