大湊警備府の日常【第1話】

深海さかな @dzurablk_kai

「そんなもの、このダンボールの樹海に埋もれていて、今更探すなんて不可能だ それとも何か？ お前は上官のこの私にまだ清掃もシーマ交換も終わっていないこの警備府の、埃だらけのマットレスに直に寝ろとでも言うのか？」 不機嫌な時の癖で、深水の喉がゴロゴロと鳴る #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

まるで猫だ 「そんなぁ・・・」 だが、日頃絡んでいる秘書艦が困り果てている様には流石の深水も気を取り直したのか、タバコを灰皿へ押し付けるついでに背後にあるドアを親指で指し示した 「・・・そこの仮眠室に、割合綺麗なベッドがある 二人で使え どうせ今更気にならんだろう」 #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

「あるなら先に言えよな」 「聞かなかったお前らが悪い」 「ほら、行くぞ川内」 手持ち品を抱える龍造寺の背中に、川内の甘える声 「ねーお風呂はー？」 「シャワーは仮眠室にあったぞ どうせ明日まで水は出ないがな」 「汗臭いのに一緒に寝るの、やだなぁ・・・」 #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

「どうせお前らが１つのベッドに入ったら、また汗かくだろうが」 軽口の最後には、さっきより一段と低くなった獰猛な唸り声が追加された これ以上深水の睡眠時間を削ると良いことは無さそうだと察した龍造寺は川内の手を取ると、さっさと執務室の窓とは反対にある扉へ向かう #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

「あんまりさかって、私を起こすなよ」 「するか、そんなこと」 龍造寺はそれ以上深水にからかわれるよりも早く扉を閉めた 隣にいる、たとえ薄暗闇でも顔を真っ赤にしていることがわかる秘書艦のためだ 「ねえ、提督・・・」 袖を引く感触と耳元の甘い声 #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

「今夜は声、出さないようにしなきゃね・・・？」 からかう深水も深水だが、この彼女も大概だな そう呆れ返る龍造寺が漏らした溜め息は、扉の向こうは愚か警備府中へ響き渡るほど大きなものだった #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

その夜 「ねえ」 ベッドに入ってから３０分ほど経った頃だろうか、耳元の川内の声に龍造寺は上半身を起こした 枕元の小窓から射し込む月明かりに川内の瞳が古代漆の色に輝く 「明日、他の人たちも着任するんだっけ？」 「ああ、予定ではそうなってる」 #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

この警備府に配備される予定なのは川内型の三隻とそれぞれの艦長となる龍造寺を含めた士官三名、彼らの留守中警備府を切り盛りする深水の七名となっている 龍造寺が枕元の石油ランプに火を灯すと仮眠室全体が暖かな光に包まれた 「ずいぶんと少ないわよね」 #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

不安げな川内の声音 「近い内に予定されている出撃のために定数外、もう二隻分の人員が臨時で来ることになってるから、暫くは賑やかだよ」 「そうじゃなくて・・・」 川内が言わんとする所は、龍造寺も痛いほどに理解していた #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

日本が太平洋の各地に戦線を構えている現状、この大湊に配備される定数の三隻という隻数が致し方ないものであることは、川内とて理解しているはずだった それよりも彼女が案じているのは前線に残してきた部下の駆逐艦たちのこと #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

石油ランプにくわえたタバコを差し込む龍造寺の横顔に、川内が言葉を投げかける 「いくら阿賀野型が旗艦になったからって、私たちこんな後方に来ちゃってよかったのかな・・・」 「良いも悪いも、上からの命令なんだから仕方ないだろ」 #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

そう口では言いながらも龍造寺は、川内の言い分と同じものを感じている こんな廃墟同然の基地に、いくら仕事に溢れたとはいえ水戦旗艦を勤めた軽巡を留め置いて戦略的価値があるのかは甚だ疑問の残るところだ #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

「恐らくお上が考えてるのは、新しい任地が決まるまでの保留期間か、それとも・・・」 「それとも？」 そこで龍造寺の口元は紫煙を含んだまま、つぐんでしまった 「・・・なに、気にするな 別段解体される訳じゃあるまいし、心配は要らんよ」 「本当に？」 #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

後方とはいえ基地に数責しか艦を配置できない現状で、まさか軽巡を解体する腹積もりはあるまいと龍造寺は踏んでいた それよりも考えられるのは、経験豊かな士官と軽巡を用いた、あまり大きな声では言えないような特殊任務 だがこれはあくまで龍造寺と深水の妄想に過ぎず、 #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

詳細な任務内容が達せられるまでは迂闊なことを口にするわけにはいかない 何より、糠喜びだったときに川内が気の毒だ 龍造寺は話題を変えることにした 「もし退役する時は、三人で喫茶店かレストランでも開くか」 「ちょっと楽しそうかも」 川内がはにかむ #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

「俺や深水は接客のできる性格じゃないからな、ホールはお前に任せて 料理は深水、俺はレジで」 「もう、自分だけ楽なところにして」 「俺が経営者なんだからな？」 「でも、今だって副官のお尻に敷かれてる」 「あいつはただでさえ腰が重いからな、苦労するよ」 #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

「でも、私以外のお尻は触ったらダメだからね？」 そう言うと川内は龍造寺の胸元へ腕を回し抱きついた とても軍艦とは思えない滑らかな肌から伝わる暖かな体温 「わかってるよ」 龍造寺はタバコを消すと川内の頬へ口づけを返した #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

「ほら、明日も早いんだ もう寝よう」 「うん、おやすみ」 ランプを吹き消した途端再び闇に沈んだ寝室で龍造寺は、川内の肩を抱きながらぼんやりと、今後のことへ思いを巡らせた #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

予定では明日着任するのは、神通と那珂、それに龍造寺の士官学校時代の同期二人 増援の二隻については会ってみるまでわからない 「・・・ま、なるようになるだろ」 #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

ニコチンのもたらす安堵感に身を任せているうちに息を吹き返し出した睡魔に、次第に遠退いていく意識 だがこの時、龍造寺たちはまだ誰一人として予想だにしていなかった この後訪れるであろう数奇な運命を #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

明くる日 仮眠室の片付けと執務室に山と積まれた引っ越し荷物の仮眠室への移動、執務室の最低限の清掃をなんとかこなし、三人が昼過ぎに遅めの食事を摂っている時のことだった ２０畳程の未だ寒々しい執務室に、硬質なノックの３連打が響き渡る #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

「入れ」 後に付け足した咳払いに深水がにやりと笑うのを視界の端に捉える中、龍造寺の正面にある両開きの扉が勢いよく開け放たれる 「邪魔するぞ」 「入りまーす！」 「フン、なんだ 悪くはない部屋だな」 「し、失礼します・・・」 #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

川内と同じ緋色の制服に身を包む艦娘二名を含む四名が、約一名を除き無遠慮にどかどかと入ってきた 「お前らなあ、いくら相手が俺とはいえ始めくらい入室要領をだなぁ・・・」 だが小言混じりに弁当箱へ箸を置く龍造寺の声は、川内の姦しい声音に掻き消される #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

「わー！！ 神通に那珂、久しぶりー！！」 二人の間へ駆け寄りそのままの勢いで首元へ腕を回して抱きつく川内 緊張の色を全身に湛えていた左手側の艦娘の内気そうな表情に安堵と嬉しさ混じりの笑みが溢れる一方で、右手側、髪を団子にした艦娘は首を強かに締め付けられ青ざめる #今夜の川内

深海さかな @dzurablk_kai

「姉さん・・・」 「ち、ちょっと、首・・・！！ ギブギブ、それ以上締めたら古傷が開くって！？」 容姿や態度、話し方から察するに、内気そうなのが元二水戦旗艦の神通、今まさに意識を失おうとしている方が元四水戦旗艦の那珂だろう 「よう、元気そうだな」 #今夜の川内