ポルノに関する

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藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

念のために言っておくと、ぼくは暴力的なポルノはあんまり好きじゃありません…… だけど、あるものはあるので、それが何故かということを考えてきたというだけです。ポルノから宗教まで、人類が生み出したものは平等に扱う、フロイト主義者の思考OSがあるので……

2016-09-12 01:19:51
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

暴力性を、単に「サディストという異常者」がいて切り捨ててよいのかにも、いくらかの疑問もある。フロイト的には、社会を維持するために啓蒙なり教育なりで欲動を断念すると必然的に攻撃衝動が生じる。ジラール的には、他者に憧れた後、相手が持っているものを持っていないことによる羨望が原因。

2016-09-12 01:23:30
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

かつての人類が行っていた〈供犠〉の現代版として、社会構造全体の中で必要悪的にそれが生じているのだとすると、「サイコパス」や「サディスト」の問題であるとして切断処理するのも困難になるし。厄介なものだよ。

2016-09-12 01:25:01
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

問題として残るのは、欲望の多型倒錯を含めた解放、多様性の是認に「向かうべきだと主張するならそれは何故か」という問題だけれど(それが進むべき方向とは思わない人もいるだろうが)、ポルノに関する「表現の自由」を擁護するなら、論理的必然として認めなければならない。さらに、人権もまた。

2016-09-12 04:27:04
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

「人権」という名称を不当に使う例があったとしても、理念としての人権すら根こそぎ否定してしまってはいけない。人権が存在する以前の、特権階級以外の人々が置かれた状態に戻ることを本気で望んでいないなら。

2016-09-12 04:32:55
藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 @naoya_fujita

「表現の自由」を主張しつつ、「人権」を否定するなどというのは、主張の基盤を掘り崩している。もし、人権や人類の進歩がなければ、ぼくらが今生きている、平民が理不尽に楽しみのために殺されたり拷問受けたり奴隷にされない、当たり前のように享受している世界はなかっただろう。そこに戻る気か

2016-09-12 04:58:06
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