- Zahlangabeheft
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「けっして強くはなかったが、きわめて攻撃的で、他人より少しでも先行したいという生来の気性がゲームにもよく表れていた。」 付き合いづらい。
2016-11-15 22:20:10ちなみに、プリンストン大学とランドの間に非常に密な人材交流があったことは、この本を読んでもわかります。ナッシュもタッカーも行き来してるし。
2016-11-15 22:24:39ていうか間違った。ここはずっとプリンストン大学のはなしでした。 ファインホールも(ランドじゃなくて)プリンストン。 twitter.com/contractio/sta…
2016-11-15 22:25:47105 「ゲームはヨーロッパの愉しい伝統で、1930年代に移民たちが(ランド研究所の)ファインホールへ持ち込んだ。… 40年代後半には、クリークシュピール、囲碁、やがて考案者にちなんで名付けられた「ナッシュ」あるいは「ジョン」に人気が集まっていた。」
2016-11-15 22:04:58というわけで、こないだの進捗報告会では「ランド研究所には〜」と言ったけど、プリンストンの数学者たちなども含めその界隈に「ゲーム文化」が広まっていた、ということですね。
2016-11-15 22:30:51とはいえ、「ゲーム理論の従事者たちはゲームも(昼間も夜も、やたらと)やっていた」──そしてその傍らに「ゲームを使った実験」まで盛んにやっていた──というのはゲーム理論史にとっては重要なことでありましょう。
2016-11-15 22:33:44プリンストンで数学者がゲーム三昧だったという話はこの本にも書いてあって、特にFloodはブリッジ好きでニューヨークまで通ったり、ブリッジの全国大会に出たり、ブリッジのゲーム理論を作るとか同僚に言ったりしてたらしい。 books.google.co.jp/books?id=cWy1C…
2016-11-15 23:20:37N. Rescherという人も、おそらく分析哲学史上、あるいは哲学史上かもしれないが最も多く単著を公刊した、しかも存命の人物なんだけど、誰も論じないという不思議な人ではある。僕も数冊読んだことがあるだけです。
2016-11-16 00:37:16N. Rescherは数学で学部をやっていてChurchがPhDの指導教官なので、ここからこの系譜は数学系になるのだが、さらにO. Veblenから指導教官の系譜を辿ると、かのPierre-Simon Laplaceに行き着く。Laplaceの系譜なのかーと思うと、恐れ多すぎる。
2016-11-16 00:42:31@kasa12345 レッシャーはライプニッツ研究者でもあって本や論文たくさん書いてるんですけど、質はそんなに高くはないので批判しやすく、「批判しやすい大物」のリストのトップですね。先日も批判しました。
2016-11-16 00:44:40@hiroyuki_in いや、論じられてるだけでも驚くよ。認識論でも大量に書いてるけど、誰も論じないので。口述筆記で講義をそのまま単著にしているらしい。僕も印象としては、アイデアはいっぱいあるけど、まあ真面目に論じるほど練られていないという感じ。そもそも査読論文を知らない。
2016-11-16 00:47:03@kasa12345 口述筆記をそのまま本にしてる、ってのはよくわかります。どれもそんな感じです。ライプニッツ関連ではよく論じられるのですけど、認識論ではスルー状態なのですね。
2016-11-16 00:49:02@hiroyuki_in そうだねえ。若いときは良かったのかもしれない。22歳でPrincetonでPhDをとっていて、同大学哲学の最年少記録らしい。まあ、なんか異能の人。
2016-11-16 00:52:15@contractio そうです。これ認識論の本なのに、原題とは全然異なる題名になっている…このひともランド研に努めたことがあって、キャリア最初の本はそこから出てます。 @hiroyuki_in
2016-11-16 10:32:09@kasa12345 @hiroyuki_in またランドかw たまにルーマンが参照するので、どういう人なんだろうな、と思ってました。
2016-11-16 10:34:30@kasa12345 @hiroyuki_in この人、デイヴィドソンとハーバート・サイモンが参加してる意思決定に関する論文集を編纂してたりするので、おそらくそれでシステム論の文献にも顔を出すんだと思うのですが。 books.google.co.jp/books?id=-2zFR…
2016-11-16 10:36:11