長瀧重信氏逝去に関して

長瀧氏逝去の報に触れた、宗教学者 島園進氏の一連のツイートをまとめました。
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島薗進 @Shimazono

1長瀧重信氏、逝去。digital.asahi.com/articles/ASJCG…  福島原発事故後の放射線の健康影響について、政府側の専門家として中核的な役割を担った。長崎大の関与は同氏がいたからこそ。山下俊一氏とともにチェルノブイリ原発事故後の笹川医療協力に関わり、大きな役割を果たしもした。

2016-11-15 07:14:46

朝日新聞デジタル記事
長崎大名誉教授の長瀧重信さん死去 原発事故の被害調査
2016年11月15日00時37分
http://digital.asahi.com/articles/ASJCG61Z0JCGULBJ013.html

島薗進 @Shimazono

2長瀧氏との初対面は2011年6月頃の鉄門会(東大医学部同窓会)で講演を行ったとき。山下俊一氏らの放射線「安全」論に私なりの疑問を提示した。聴衆に長瀧氏がおられ、猛烈な反論を受け、その後、懇親会でお互いに敬意ある話し合いをさせていただいたが、論点はすれ違ったままだった。

2016-11-15 07:15:48
島薗進 @Shimazono

3長瀧氏は福島原発事故後の放射線健康影響問題の政府側専門家リーダー。拙著goo.gl/vCsZFP で同氏の放射線影響論の足跡を追った。長瀧氏の著書『原子力災害に学ぶ 放射線の健康影響とその対策』goo.gl/k9u2kE を読みこんだ。

2016-11-15 07:16:53

つくられた放射線「安全」論 ---科学が道を踏みはずすとき
河出書房新社 (2013/2/23)
島薗 進 (著)
https://goo.gl/vCsZFP

原子力災害に学ぶ 放射線の健康影響とその対策
丸善出版 (2012/1/20)長瀧 重信 (著)
https://goo.gl/k9u2kE

島薗進 @Shimazono

4福島原発事故後の鉄門会(2011年6月頃)で、放射線健康影響をめぐる医学者の対応をめぐって講演。講演後に共感して話しかけてきた学生もおり希望をもった。祖父、伯父、父、友人等の縁で鉄門会には親しみがある。家にはいつも名簿があった。長瀧氏もそこを踏まえて、応対して下さったと思う。

2016-11-15 07:18:35
島薗進 @Shimazono

5その後、長瀧氏への批判的論考を続けてまとめてきた。「『医学のあゆみ』12/3特集・長瀧重信「はじめに」批判のまとめ」togetter.com/li/237262、「低線量被ばくリスクWG主査長瀧重信氏の科学論を批判する」chikyuza.net/archives/18243

2016-11-15 07:19:19

島薗進氏
『医学のあゆみ』12/3特集・長瀧重信「はじめに」批判のまとめ

まとめ 島薗進氏『医学のあゆみ』12/3特集・長瀧重信「はじめに」批判のまとめ 『医学のあゆみ』239(10)12/3刊の特集は、長瀧重信氏に依頼された企画「原発事故の健康リスクとリスク・コミュニケーション」。これに対する島薗進氏の批判をまとめました。 11887 pv 202 3 users 22

ちきゅう座
低線量被ばくリスクWG主査長瀧重信氏の科学論を批判する
2012年 1月 8日
<島薗進(しまぞのすすむ)>
http://chikyuza.net/archives/18243

島薗進 @Shimazono

6長瀧氏回顧「チェルノブイリ事故後の旧ソ連医学者と日本の医学者―イリーンと重松の連携が3.11後の放射線対策にもたらしたもの」 kimbara.hatenablog.com/entry/2012/11/… 重松、長瀧、山下氏が関与したイリーンの本はウェブで読める。nashim.org/jp/pdf/index.h…

2016-11-15 07:20:53

wakaben6888のブログ
島薗進氏『チェルノブイリ事故後の旧ソ連医学者と日本の医学者―イリーンと重松の連携が3.11後の放射線対策にもたらしたもの―』
原発
 今晩(11月19日)配信した「メルマガ金原No.1173」を転載します。
http://kimbara.hatenablog.com/entry/2012/11/19/231330

長崎・ヒバクシャ医療国際協力会
PDFファイル書庫
http://www.nashim.org/jp/pdf/index.html
ここで、イリイン氏、重松氏、長瀧氏、山下俊一氏らが関係した
書籍などが読める。

島薗進 @Shimazono

7長瀧氏には原発事故後だけでなく、なぜこの科学分野がかくもこじれたものになったのか、詳しくうかがいたかったところだ。責任感強く率直なお人柄だが、どうして政治的な科学への関与の道に進まれたのか。戦後の公衆衛生の歴史、重松逸造のことなど、歴史的な証人としても重要な方だったが……

2016-11-15 07:26:57