『肝練り』とか最初に言い出したのは誰なのかしら ~薩摩藩の火縄銃ロシアンルーレット宴会行為『肝練り』の起源を辿る~

皆様からの肝練り情報をお待ちしています。 「甲子夜話よりもっと古い文献や実際に行われていたという証拠がある」 「肝練りという単語の初出はこの作品ではないか」 「こんな作品にも肝練り行為が登場していた」 等、ご存じのことがありましたら当まとめのコメントへ是非。 続きを読む
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うまだ @technerd

@tomo1109_Reffi レファレンス協同データベースのツイッターアカウントみてても無茶すぎるのが山盛り流れてくるので問題ないかと

2016-11-19 18:29:05

依頼内容その1について

Reffi @tomo1109_Reffi

『甲子夜話』(1821~)巻十八 酒宴を設るとき、大円形に群坐して、人々の間を疎にして居、其中央に綱を下げて鳥銃をくくりつけ、玉薬を込め、綱によりをかけ、よりつまるを見て、火をさしながら綱の手を離せば、綱のより戻りてくるくると回るうちに銃玉発す。円坐せしもの、元の如くありて避ず。 pic.twitter.com/GXCSelhejZ

2016-11-19 19:09:42
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Reffi @tomo1109_Reffi

内容としては完全に肝練りですね。他にも肝練りが登場する古い文献がないか調べてもらいましたが、やはり『甲子夜話』が一番古いのではないかとのこと。で、注目すべきは「肝練り」という言葉は使われていない、という点。

2016-11-19 19:13:21

依頼内容その2について

Reffi @tomo1109_Reffi

司馬遼太郎の短篇集『慶応長崎事件』収録『薩摩浄福寺党』(1961) 「なんの、肝を練って居もした」と吊り鉄砲を見た。吊りひもを加減して、鉄砲の筒口が、ちょうど肝付の胸にあたるようになっている。肝付のいうところでは、薩摩にはそういう無茶な肝だめしがあるらしい。 pic.twitter.com/RT5w2YyaHT

2016-11-19 19:21:26
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Reffi @tomo1109_Reffi

「甲子夜話」に出てくるのは単に具体的な行為の描写であって、これを「肝を練っていた」とはじめて表現したのがどうやら司馬遼太郎であった、というのが真相らしい。これが「肝練りは司馬遼太郎の創作である」説になったと思われる。

2016-11-19 19:35:23

※後から気づきましたが、良く見ると「肝(きも)を練る」ではなく、「胆(きも)を練る」ですね・・・

Reffi @tomo1109_Reffi

「胆(たん)を練る」は辞書にも載っていて一般的な言葉のようなんだけど、「胆(きも)を練る」はどうなんだろう?司馬遼太郎が使っているこの言い回し、あまり一般的ではないのかな?

2016-11-20 03:22:33
Reffi @tomo1109_Reffi

それとも、幕末の頃にはこう発音していたという考証に基づいてるんだろうか。ちょっと気になるなぁ・・・

2016-11-20 03:34:29
Reffi @tomo1109_Reffi

なお、『薩摩浄福寺党』は1961年に『慶応長崎事件』に収録されたんだけど、その後、1988年に『アームストロング砲』という短篇集に再収録されている。再収録版のほうも「胆(きも)を練る」で全く同じ。もしルビを振り間違えたみたいな理由だったとしたら再収録で直してそうな気がする。

2016-11-20 03:48:12

<デジタル大辞泉>
 胆(たん)を練・る
  物事に動じないように、精神力を鍛える。「―・って度胸を養う」
<大辞林 第三版>
 たんをねる【胆を練る】
  物事に恐れ驚かないように修養する。
https://kotobank.jp/word/胆を練る-563556

Reffi @tomo1109_Reffi

ただ、司馬遼太郎が『薩摩浄福寺党』で書いたのは、「なぜ鉄砲を撃ったのか」と問われて「肝を練っていた」と返したという会話文であって、「肝練り」という単語そのものを書いたわけではない。これを読んだ別の誰かが「肝練り」という形で単語化し、それが広まっていったのではないかと。

2016-11-19 19:43:15
Reffi @tomo1109_Reffi

司馬遼太郎がなぜ『甲子夜話』の火縄銃ロシアンルーレット宴会行為を「肝を練っていた」と表現したのかというと、薩摩には二才(にせ)と呼ばれる若者のグループによる集団教育制度(郷中教育)があって、その教育の一環として「肝試し」が行われたというところからの連想ではないかと。

2016-11-19 19:49:03
Reffi @tomo1109_Reffi

具体的な内容は書かれてないんだけど、『国史大辞典』の郷中教育の項や『日本歴史地名体系』の鹿児島県総論なんかには二才が「肝試し」を行ったという記述が出てくる。これは現代人が肝試しという言葉で連想する、夜にお化けの格好をして驚かすアレのことではなくて(まああれも含まれるんだろうけど)

2016-11-19 19:54:55
Reffi @tomo1109_Reffi

もっと抽象的な意味での色々な形式の度胸試し、イニシエーション的行為のことを指している。例えばバンジージャンプみたいなものとか。司馬遼太郎も『甲子夜話』の火縄銃ロシアンルーレット宴会行為を「肝試し」の一種であると位置づけて、それを「肝を練っていた」と表現したのかな。

2016-11-19 20:01:56
Reffi @tomo1109_Reffi

さて、では「肝練り」という単語を最初に発明したのは誰なのか、ということになるとこれはなかなか難しい。津本陽の『薩南示現流』(1983)が初出なのかどうかははっきりしない。近年に「肝練り」という単語が広まったのは、ほぼ間違いなくとみ新蔵によるこれのコミカライズが原因なんだけど。 pic.twitter.com/oRf1c0goN5

2016-11-19 20:16:03
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Reffi @tomo1109_Reffi

ところで津本陽の薩南示現流、原作のほう読んでみないとなぁ・・・漫画にばかり目が行ってて原作チェックしてなかった。原作と漫画では当然内容違うだろうし、描写は同じでも「肝練り」という単語が使われてるかどうかは違うかもしれないもんな。

2016-11-20 02:25:06
Reffi @tomo1109_Reffi

薩南示現流の漫画のほうは2004年刊行なのか。原作が1983年だから27年開いてる?

2016-11-20 02:44:24
Reffi @tomo1109_Reffi

オンラインで在庫押さえたから朝一で取りに行こう

2016-11-20 02:50:08
Reffi @tomo1109_Reffi

薩南示現流の原作ゲット

2016-11-20 10:11:22
Reffi @tomo1109_Reffi

お、胆練り出てきた。薩南示現流の原作のほう、「間隔を疎にしておく」とか「くるくるとまわる」とか、甲子夜話の記述を現代文に変えただけでほぼそのまま引き写してるな……

2016-11-20 10:39:23
Reffi @tomo1109_Reffi

津本陽『薩摩示現流』(1983) 二才宿で酒宴を設けるとき、広間の中央に綱で火縄銃を水平に吊り下げ、玉薬をこめる。若者たちは銃を中心に輪をえがいて坐る。たがいの間隔は、できるだけ疎にしておく。銃口の位置は、円陣を組んでいる者の胸の高さにある。 pic.twitter.com/oe36uXUwXA

2016-11-20 11:19:31
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Reffi @tomo1109_Reffi

(続き)酒宴なかばに一人が立ち、綱によりをかけ火縄に点火して手をはなす。綱のよりがもどり、銃がくるくるとまわるうちに弾丸が飛びだす。宴の座にあるものは、顔色をかえ、避けようと身を動かすなどの挙動に出れば、厳罰に処せられる。

2016-11-20 11:22:59
Reffi @tomo1109_Reffi

(続き)弾丸に当る者がいても疼痛をうったえず、見る者も悲しまず、平然とふるまう暴勇は、戦場での進退に臆しないための、胆練りといわれていた。

2016-11-20 11:25:25
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