- Uroak_Miku
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1)これの続きを論じます。 エレン先生は平家物語をどう読むか - Togetterまとめ togetter.com/li/1051026 @togetter_jpさんから
2016-11-22 16:51:062)開国か攘夷か。幕末日本は二派に分かれた。現実路線を決断した井伊直弼は攘夷派を徹底弾圧。「安政の大獄」ですね。それに怒った攘夷派が江戸城に向かう途中だった井伊の行列を襲撃。「桜田門外の変」です。 pic.twitter.com/kgJavI5XxW
2016-11-22 16:54:573)このとき攘夷派は倒幕はもくろんでいなかったはずです。あくまで開国/攘夷の対立でした。それがやがて幕府/朝廷の対立にシフトしていきます。
2016-11-22 16:56:254)この対立項は徳川将軍が政権の朝廷への返還つまり「大政奉還」によって消滅します。その後は幕府/朝廷ではなく旧幕府保守派/朝廷の対立になります。会津戦争がそうでした。白虎隊の悲劇。 pic.twitter.com/xFSybAcmcn
2016-11-22 17:00:065)さあ明治政府が生まれました。天皇は京都から江戸に移り、東京と改名。 pic.twitter.com/EbptxweWAg
2016-11-22 17:02:536)政府内で二派に分かれていった。大久保利通の派と西郷隆盛の派です。 pic.twitter.com/3TNI1mCV1m
2016-11-22 17:07:587)倒幕を果たしたサムライたちを、同じくサムライであったはずの大久保が廃業に追いやっていったのです。「国家」にサムライはもういらない、「国民」があればいい、と。
2016-11-22 17:09:398)岩倉使節団の一員としてアメリカを、そしてヨーロッパをまわり、世界が欧米列強とその植民地の二つに分断されている現実を目のあたりにした彼は、サムライの誇りよりも日本の安全と未来を選んだ。
2016-11-22 17:12:089)この先のことはとばします。山川の日本史教科書にでもあたってください。サムライの長・西郷は大久保とたもとを分かって鹿児島に戻った。そしてついに出兵。政府を倒すと宣言。全国からサムライたちがはせ参じた。
2016-11-22 17:14:2110)熊本で政府軍と衝突。熊本城はついに落とせなかった。敗戦。自害。 pic.twitter.com/KLhEgmT9mQ
2016-11-22 17:15:3912)ところで開国/攘夷の対立はどうなってしまったのでしょう?「尊王攘夷」つまり天皇を旗に日本から欧米列強を叩き出せスローガンはどうなってしまったのか。
2016-11-22 17:18:0113)「尊王」と「攘夷」に分離したのです。まず幕府を倒し、欧米と互角に戦えるよう一時国交や貿易を進め、時期が来たら攘夷に切り替えようという理屈でこの分離をうまく言いくるめた。
2016-11-22 17:19:2414)こんな風に幕末から明治にかけて、対立項がどんどん変化していきました。ガスコンロのひねりが回るみたいなイメージ。
2016-11-22 17:20:3315)思うのですが、江戸時代には漢文/和文の対立項だったのが、明治になって変化して、最終的に文語/口語の二項対立に整理されていったのも、政治権力の対立構図の切り替わりと同じようなものだったのではないでしょうか。
2016-11-22 17:22:1517)高校の国語教科書で、活用形が「文語」「口語」の二段構えで掲載されている(私のときはそうでした。今はどうかな?)のは、敗戦前のなごりなのでしょう。 pic.twitter.com/yrgeiXuocu
2016-11-22 17:24:43