芝村裕吏さんによる「『らしく描く』と『描きたいように描く』は、矛盾しない/戦国時代の合戦をボードゲーム上で描くなら」
@siva_yuri なるほど。確かに再現性にとらわれるていたので難しいと感じていました。視点を変えたデザインで勝負してみます。ありがとうございました!
2011-02-25 01:01:09@siva_yuri 何かを描く時に、「らしく描く」ということと、「描きたいように描く」ということを、芝村さんはどちらをどの位の割合で優先させて描いているのでしょうか。
2011-02-25 00:58:03次。 何かを描く時に、「らしく描く」ということと、「描きたいように描く」ということを、芝村さんはどちらをどの位の割合で優先させて描いているのでしょうか。
2011-02-25 01:08:39私の話に限れば、らしく描くことと、描きたいように描くのは矛盾していません。 カヲリさんをらしく描けば、かわいいとみんな言うだろうし、私もそうそう、このへんがかわいいよなあ、と、やってます。 主義主張はさておき、慣れがあればセンスにそう差は生まれないというのが、私の持論です。
2011-02-25 01:13:29人間には色々な人もいます。 素朴な物が好きな人もいますが、複雑な物、ひかるもの、愛憎劇・・・言葉だけでも無数に表現されうる好きがあります。 私はそれが、どれかは間違いで、どれかが正解などとは、思いません。 全部正解なのだろうと思います。
2011-02-25 01:16:27実存するファンがいるのだから、多寡はさておきいろんな好きがあるのは、確かです。 では、どうしてたくさんの種類の好きがあるか。 それは自己の成立のためと、争わないため、あと、慣れです。
2011-02-25 01:17:50人間は多様性を保持しようとします。私にあこがれても私の模倣をしても、私自身になろうとするわけではない。 あこがれと自己保存は違いますよね。趣味もそう。 自己というものを成立させる一環に、趣味がある場合、それは変わったものになるでしょう。
2011-02-25 01:19:58ファンとしてXXが好きというとき、同じ物ばかりに人気が集中すると、 それだけで、反対にこれが好きというものも出るものです。 本来的には競争がないほうが一番になれる。まあ、鶏口となるも牛後となるなかれですね。 悪口が先に出ればただの喧嘩ですが、本来は争わずに勝利する手法なのです。
2011-02-25 01:22:21自己の成立、保存と競争をさける意識が生まれたとき、 そこには多様性が生まれます。皆がそうした結果が、色々な種類の好きができます。これらは商業的に大きな群れを狙うという商業上の動きはあるにせよ、本来はどれが偉いとかではない話です。
2011-02-25 01:24:35その上で、言いましょう。 我々は我々が嫌悪しているようなものでも、興味ない物でも、理解できますし、一歩間違えれば好きになりえます。 その差を生むのは慣れです。 その物事に偶然であれ親しくしていれば、分かってしまうのです。 理解者になりえます。
2011-02-25 01:27:02思考停止や拒絶というメカニズムを使わない限り、人間はうっかり女性でもヌード雑誌を読むのが趣味にもなりえますし、女装する男の考えに共感してしまったりする可能性があります。 慣れさえあれば、もう全然、自分が思ってる以上に理解したり好きになりえたりするものなのです。
2011-02-25 01:29:23その上で、理解がある主題を描く限りにおいては、らしく描くことと、共感を持つが故にそれを表現する、すなわち描きたいように描くのは、矛盾しません。 描きたい物と、モチーフが重なってる限り、それに対する理解や知識がある限りは、矛盾なく描けると思います。
2011-02-25 01:32:20なんで芝村は猫を描くにおいて、目を細めて前脚をぺろぺろしてる猫を見てたら、目があって、次の瞬間には逃げられた。なんてことを らしく、そして気持ちよく、かけます。 理解あるものについては、だれでもそうだと思います。
2011-02-25 01:35:16やりたい事と、やらなければならない事が一致した事を幸せというのなら、猫を描く事と、猫をらしく描く事と、それを面白く、本人も楽しく描くことは、幸せだと言えるかもしれません。 ま。俺は幸せな表現者が地上であとどれだけ増えてもいいんじゃねえのと、思っております。
2011-02-25 01:37:23@siva_yuri 理解や知識を持つために、もっと視野を広く細かくしようと思いました。そうしたら描けるものも一致する幸せも増えるので(技術面とかの問題もあるのですけれど@@)
2011-02-25 01:39:00