まったり清良記

戦国時代の伊予国・三間大森城主にして「土のさむらい」土居清良の一代記を紹介します。
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handan @Aixidaiz_lotus

…と思ったら、『平家物語』壇ノ浦の段において、平家方の武将の『伊予国の住人・仁井(にい)紀四郎親清』なる人物が、源氏方の浅利与一(板額御前を物理的にゲットしたリア充野郎なw)と弓矢比べをするシーンがあった。 #まったり清良記

2017-02-05 13:48:28
handan @Aixidaiz_lotus

↓のページでも、この仁井なる人物が、新居氏の一人ではないか、としている。 データベース『えひめの記憶』愛媛県史 古代Ⅱ・中世(昭和59年3月31日発行) i-manabi.jp/system/regiona…#まったり清良記

2017-02-05 13:51:14
handan @Aixidaiz_lotus

…つまり、『清良記』においては、河野通信(源氏方)と、仁井紀四郎親清(平氏方)はいとこ同士、という(実際はどうだか知らないが、その可能性はあったかもしれない)設定なわけだなw わかる人には、ニヤリと来る設定かもしれないし、来ないかもしれないw  #まったり清良記

2017-02-05 13:54:11
handan @Aixidaiz_lotus

『平家物語』本編の仁井紀四郎は、けっきょく浅利与一との弓矢比べに敗れ、射られて海にドボン、て運命だったんだけど…アレか、「水落ちは生存フラグ」を実行した人だったのかなw その辺突っ込んだらキリがないよなw #まったり清良記

2017-02-05 13:57:29
handan @Aixidaiz_lotus

平氏方として壇ノ浦を生き延びた、タフマッチョな親戚だったら、清良公のご先祖が彼にあやかって、名前一文字を通字に採用してもおかしくはないwww  #まったり清良記

2017-02-05 13:59:13
handan @Aixidaiz_lotus

さて、ちょっと間隔が開いたけど、#まったり清良記 続き。 今回は、今まで紹介してきた、巻一・『一:土居根源先祖の事』のラストを飾るいちエピソードを紹介する。 #清良記 #愛媛 #宇和島 #伊予 #土居清良

2017-02-26 09:08:51
handan @Aixidaiz_lotus

時代は清良公(1546年生)の曽祖父・『土居重宗』が当主の頃、というから、15世紀の話になるのだろうか? #まったり清良記

2017-02-26 09:10:42
handan @Aixidaiz_lotus

あるとき四国をめぐる、あるお遍路僧と、土居家の郎党らが言い争いになった。理由はおそらく「ウチの殿様はもと、鈴木重家の子孫なんだ!(ドヤ」という地元の自慢を、お遍路が聞いて「んなわけあるかいプギャー」と難癖ツッコミを入れたことでトラブルになったのだろう。 #まったり清良記

2017-02-26 09:16:57
handan @Aixidaiz_lotus

その時は、坊主のたわごとだから、と大事に至らず終わった。しかし、そのお遍路僧は、紀州の雑賀鈴木党にゆかりある人物だったのだろうか? 本家紀州の鈴木家の耳にも入ったようで……  #まったり清良記

2017-02-26 09:22:44
handan @Aixidaiz_lotus

《その年の暮れ、紀州鈴木孫市方より、鈴木氏の根源をたずね来たりければ、一家のながれを知らずとてとがむべきにあらず、さらばありのままに書かせ、太郎清行の事こまかに言い聞かせよと、いとねんごろに書いてつかわしけれども》 #まったり清良記

2017-02-26 09:39:45
handan @Aixidaiz_lotus

当主の重宗のもとに、本家本元の鈴木家当主・鈴木(雑賀)孫市(何代目かしらん?w)から、じきじきに「おたくら、ウチと同族なんだって? しかも、もと嫡流とうそぶいてるそうじゃないか。どういう謂れがあっての事か、聞かせてもらいまひょ」と問い合わせが来た。 #まったり清良記

2017-02-26 09:43:41
handan @Aixidaiz_lotus

当主の重宗は、これに対して、鈴木重家や土居清行の因縁を丁寧に返書に書き送った。  #まったり清良記

2017-02-26 09:46:50
handan @Aixidaiz_lotus

《きき分けぬとて折りおり文のかよいければ、土居備中守重宗、返礼を書かせ、奥に一首の狂歌をつらねつかわしぬ。》 #まったり清良記

2017-02-26 23:09:44
handan @Aixidaiz_lotus

だけど、向こうはすぐに納得してくれず、そんなまごいっちゃんに重宗もイラッと来たのか、ある狂歌を一首ひとひねりして、返事の手紙に添えて送った。 #まったり清良記

2017-02-26 23:10:41
handan @Aixidaiz_lotus

《 水上(みなかみ)の にごらば末の  川すすき(鈴木)    清き流れに いつかすむべき  》 #まったり清良記

2017-02-26 23:12:01
handan @Aixidaiz_lotus

歌とともに返事を送ったところ、孫市は何か思うところがあったのか、それ以上問いただしてこなくなった。はてさて、送った返事の文章が丁寧で見事だったので、それに恥じ入ったんだろうか?それとも送った歌に感銘をうけたんだろうか? と。 #まったり清良記

2017-02-26 23:13:18
handan @Aixidaiz_lotus

《孫市方の文は仮名まじりにて悪筆、あて字多き事、なかなかたとえにもとりがたしと聞こえし。かかる事まで書きあつめけるは、不審なる言葉多きものなり。》 #まったり清良記

2017-02-26 23:14:36
handan @Aixidaiz_lotus

…ここではじめて、孫市が言いがかりをつけるのを辞めたワケが、何となくかいま見えてくるw  #まったり清良記

2017-02-26 23:15:48
handan @Aixidaiz_lotus

重宗は、狂歌で 「こっちは水上(川の上流=田舎)の清流住まいだけど、君は下流のほうに住んでるせいか手紙もヘタクソでなんか残念な感じだよね。君らも一緒にこちらにくると、僕みたく洗練されてくるyo!」 …と、向こうの無教養と野暮っぷりを容赦なくdisってきたわけだw #まったり清良記

2017-02-26 23:18:31
handan @Aixidaiz_lotus

(あくまで個人の拡大解釈です。水上は、共通の誇れるご先祖の喩えかも知れない) 以上、「土居重宗、機転と教養で、孫市が仕かけたマウンティングを突っぱねる」というお話なのでしたw #まったり清良記

2017-02-26 23:20:19
handan @Aixidaiz_lotus

このエピソードからは、当時の土居一族の、地方の田舎者だからどうした!!という気概と矜持、高い教養っぷりがダイレクトに伝わってくる。(そして少々、何かをこじらせててめんどくさそうでもあるw)  #まったり清良記

2017-02-26 23:22:19
handan @Aixidaiz_lotus

いま紹介のエピソードの最後の一文によると、このように出自をネタに色々言われることが、昔の記録に多かった、とある。それを受けてか、以下の一文でこの章は終了する。これは作者が、清良記を通して一番伝えたかった事ではないかと言われている。 #まったり清良記

2017-02-26 23:26:34
handan @Aixidaiz_lotus

《ああ土居家代々の武名挙げて数ぞうべからず。されども讃える者、そしる者、ともに不賤のたとえあり。 真にその如く片田舎に、しかも小身の侍なれば、深山の奥のホトトギス、聞く人もなき音を書き誰にか見せん。》 #まったり清良記

2017-02-26 23:28:23
handan @Aixidaiz_lotus

《梅の花の散りほれたる世ともなりなん事のうたてし。しかはあれど遼東の豕(いのこ)にやありなまし。》 ※遼東の豕…自分ひとりが得意になっていることのたとえ #まったり清良記

2017-02-26 23:31:04
handan @Aixidaiz_lotus

これまで紹介した話のほかに、ご先祖・土居清行が伊予に根を下ろしてからの、兄弟一族や家臣のエピソードなども紹介されている。が、これらについては、おいおい触れる折もあるかもなので、とりあえず脇において、今後は次章、巻一・『二:清宗繁盛の事』に歩を進めるつもり。 #まったり清良記

2017-02-26 23:37:24
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