福澤諭吉と日本人の英語

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uroak_miku @Uroak_Miku

1)これは日本初の国語辞典『言海』冒頭にある文法解説章から。面白いことに「助詞」の項目がなくて代わりに「天爾遠波」とあります。「てにをは」と読みます。 pic.twitter.com/wmibcWlpon

2016-12-07 13:50:58
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2)動詞の分類表に「接続法」とかあるので驚きます。フランス語やドイツ語の文法用語ですよそれ。

2016-12-07 13:52:05
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3)そもそも品詞の概念が英文法からの流用なのですが。

2016-12-07 13:52:30
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4)文明国の証として国語辞典の存在がありました。アメリカなんてイギリスの英語辞典では満足せず自国で改めてウェブスター英語辞典をまとめあげたぐらいです。それを福澤諭吉が咸臨丸でサンフランシスコに渡ったときに買い入れて、日本に持ち帰られた。 pic.twitter.com/To4PHqMPbm

2016-12-07 13:56:16
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5)明治8年に文部省が国語辞典の編纂を企画。15年には初稿が揃ったものの校閲にさらに4年かかり、そのうえ予算不足で刊行計画が流れてしまった。それでも責任者の大槻文彦は24年(1891年)に自費出版。国家的偉業として伊藤博文や勝海舟らも祝賀会に参列したそうです。

2016-12-07 13:59:44
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6)辞書編纂とは単語に文を分解して整理することです。日本語は「膠着語」といって単語の切れ目がはっきりしないため、切れ目を入れるためのメソッドが必要でした。『言海』は英文法を応用してこのメソッドを確立させた。いわゆる品詞分解です。

2016-12-07 14:02:00
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7)この辞書によって国文法の基礎が出来上がったといっていいでしょう。これ以前にも国文法は模索されていましたが、やはり膨大な語彙に裏打ちされた大槻の品詞分解法は際立っていました。

2016-12-07 14:03:10
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8)ただ「接続詞」という英文法の概念を持ち込んだのはちょっと強引ではなかったかと思います。これが祟って「日本人の英語は接続詞がいつもおかしい。『二年連続で負けた。しかし今年は勝つ』なんて書いてくる。『しかし』ではなく『だから』だろ?」とか英語ネイティヴの教師に言われてしまう。

2016-12-07 14:05:24
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9)マーク・ピーターセンのこの本で指摘されていますね大学での教え子が英作文できまってやらかす接続詞の奇妙な用法について。しかし彼でさえその根が咸臨丸にまでさかのぼるとは見抜けなかった。amazon.co.jp/dp/4004314208

2016-12-07 14:08:24
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10)咸臨丸が渡米したのは1860年。万延元年。 pic.twitter.com/icsFdJidLy

2016-12-07 14:11:34
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11)ホワイトハウスで大統領と謁見。 pic.twitter.com/YWyK4rqf8X

2016-12-07 14:12:57
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12)ちなみに福澤が持ち帰ったウェブスター辞典は英中辞典でした。これをもとに英和辞典を作るつもりだったようです。

2016-12-07 14:14:48
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13)『言海』の刊行記念祝賀会にも福澤は招かれていたのですが「語彙の並びがあいうえお順なのが気に入らん」という理由で欠席。

2016-12-07 14:16:03
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14)などなど面白い歴史的逸話を織り交ぜて中学英語論を書き綴っています。

2016-12-07 14:17:25