「ミッシング・フラワー・リメインズ・オブ・オールド・フレグランス」前編――『ニンジャスレイヤー』二次創作小説

サイバーパンクニンジャ活劇『ニンジャスレイヤー』(@NJSLYR )の二次創作小説です。 前編(このまとめ) 中編(https://togetter.com/li/1066529 ) 後編(https://togetter.com/li/1067829 )
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ヤラカシタ・エンターテインメント @yarakashita_ent

その日の午後、トウジは寒さで目を覚ました。毛布にくるまっていても痺れるほど寒いのは、暖炉の火が消えているせいだった。ビデオテープの備蓄は、積もった雪をかき分けて帰ってきた明け方に放り込んだ分が最後だった。……震えながらグラスを一本灰にして、ようやく外に出る決心がついた。 1

2017-01-01 22:02:18
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防寒装備に身を固め、トウジは「コアキナイ」を出た。エーテルめいて満ちる冷気と静けさを泳ぎ、死せる巨大マーケットを南下し、東側搬入口から外に出る。重金属を含む雪に残る、朝の足跡を遡る。敷地の南側を回り、ゲート前に着くと、行く手に陽炎が揺らいだ。トウジはガスマスクを着けた。 2

2017-01-01 22:04:58
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ネオサイタマに雪が降ると、かつて「コケシマート・エンジニア・ディストリクト郊外店」と呼ばれていた敷地の東北に横たわるマーケットの亡骸が白く覆われる一方、南西に広がる駐車場では山積した違法廃棄物が化学反応によって発熱し雪を溶かしていた。トウジはそこを「夏の庭」と呼んでいた。 3

2017-01-01 22:06:44
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夏の庭には、水に強く火に弱い、燃料にもってこいのビデオテープが大量に廃棄されている。これを「コアキナイ」の内装フェイク暖炉を改造した暖炉で燃やすのだ。廃マーケットで暮らすようになった最初の冬に、トウジが独りで改造したのだ。店のオーナーであった母が死んだ年のことだった。 4

2017-01-01 22:08:39
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ビデオテープは雑誌同様、まとめてくくられているものが狙い目だ。他のゴミに紛れ込んでいるものを一つ一つ拾い上げるのは困難だ。だから、「夏の庭」の違法廃棄物の谷を歩いて、その日最初に見つけた黒い塊が、少女であるなどとは、トウジは予想だにしていなかった。 5

2017-01-01 22:11:02
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「ミッシング・フラワー・リメインズ・オブ・オールド・フレグランス」(前編) (6)

2017-01-01 22:12:35
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火かき棒でつついたのは、一度、不用意に近寄った空気の動きで、発熱していたゴミを破裂させたことがあったからだ。以後、護身用も兼ねて持ち歩いていた。この日も、黒い塊は火かき棒の先の先でばらりと崩れた。その中で、コガル風に制服を着崩した少女がうずくまっていた。黒いのはコートだった。 7

2017-01-01 22:15:22
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警戒し、いつでも火かき棒を突き出せるようにしながら、トウジは少女に近づいた。ポリエステル地のセーターの下で、標準的な大きさの胸がゆるやかに上下していた。腰の当たりでそろえた両手が握る、小さな端末から延びたケーブルが、少女の後頭部に続いていた。少女は生体LAN端子を持っていた。 8

2017-01-01 22:17:39
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トウジ自身は生体LAN端子を持っていないが、クラブでよく会うサイバーゴスたちがそれをしているのを見ていた。だから、少女が「夢」を見ているのがわかった。黒い3・5インチ擬験[シムステイム]ディスケットに封じ込められた、他人の「夢」。くだらないことだとトウジは思っていた。 9

2017-01-01 22:20:05
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だからその時は少女を置いて立ち去った。 10

2017-01-01 22:22:35
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……三十分後、背中のヴィンテージ軍用背嚢をカチャカチャ言わせながら、トウジは少女の前に戻ってきた。そこが帰宅の途上であったこともある。だが、トウジは思いだしたのだ。前夜、彼女に会っていた。行きつけのサイバーゴスクラブ、彼の主な商売の場所である、「ウゴノシュ」で。 11

2017-01-01 22:25:10
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「おい」トウジは火かき棒で少女をつついた。少女は目覚めなかった。かがみ込んで、少女の手の中の端末を探った。端末には「開」「始」「停」「回」のボタンがあった。「停」のボタンを押すと、ディスケットの回転音が止まり、少女が目を覚ました。二人の目があった。 12

2017-01-01 22:27:25
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トウジは確信した。昨夜、確かにその目を見た。右目はドサンコの氷結湖めく青いコンタクトに覆われ、左目は裸眼、小さな黒目が意志の強さを感じさせる三白眼。そのちぐはぐさが意図したものだと確信し、似合っていないと思った。だから覚えていた。カワイソウだと思っていたからだ。 13

2017-01-01 22:29:51
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「あ……」少女が立ち上がりかけ、よろけた。警戒していたトウジは手を貸さなかった。溶けた雪と汚染された土の混じった泥が、少女のコートを受け止め、毛にまとわりついた。彼ははっとした。泥のこびり付きから、コートの毛がオーガニック素材であることに気づいたのだった。「お前」「なに」 14

2017-01-01 22:32:28
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「お前、なんで」尋ねながら、トウジには答えが判っていた。追けてきたに決まっている。だが、少女は黙ったまま、ちぐはぐな両目で、キッとトウジを睨んでいた。冴え冴えとした怒りが左右の瞳に共通していた。「私を笑った」少女は言った。トウジは頷いた。思い当たる節があった。 15

2017-01-01 22:34:18
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少女は醜かった。離れすぎた両目と、くっきりしすぎた鼻筋が、ボリュームのありすぎるクセの強い赤毛に縁取られた瓜実顔を、魚のように見せていた。さらに、鼻の先端は、寒さのせいだろう、売れ残りのPVC造花のように赤くなっていた。 16

2017-01-01 22:36:33
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そして、少女はみっともなかった。コガル風の着こなしは似合っていなかったし、なによりサイバーゴスクラブと異なる文化圏の装いだ。だから、ダンスフロアを取り巻く手すりに、所在なげにもたれている彼女を見て、よくもこんなところに来られたものだと、そのカワイソウを笑ったのだった。 17

2017-01-01 22:38:44
ヤラカシタ・エンターテインメント @yarakashita_ent

その笑いは、「ウゴノシュ」の奥の、トウジに商売が許された半円形ブース内だけのものだったはずだ。だが、そうではなかった。……「私を笑った」少女はもう一度言った。「責任とってよ」「どうやって」 18

2017-01-01 22:40:37
ヤラカシタ・エンターテインメント @yarakashita_ent

「なんで笑ったか、判ってる」少女の目が伏せられた。「あんただけが笑った。だから」「だから?」「教えて」 「なにを?」少女の目が、再びトウジを睨んだ。「私が、カワイイになる方法」そう言った。「おう」トウジは答えてから、なぜ自分が応じたか解っていなかった。 19

2017-01-01 22:42:17
ヤラカシタ・エンターテインメント @yarakashita_ent

トウジの住処である「コアキナイ」は、かつてはオイラン/マイコ風の扇情的キモノドレスを扱う店だった。隣接するカネモチ・ディストリクトからの直通バスが運んでくる、ディストリクト内繁華街のオイランたちが主な客で、トウジの子供時代は彼女たちの足下をうろうろすることですぎていった。 21

2017-01-01 22:46:48
ヤラカシタ・エンターテインメント @yarakashita_ent

子供時代の記憶の中で、店は繁盛していた。オーナーであったトウジの母に、時流を読むセンスとオイランスクールで培った共感力があったからだ。在学中にトウジを産み、父と別れた彼女は、きらびやかな世界を演出する裏方に生活の糧を求めたのだった。美しく愛嬌ある母がトウジは好きだった。 22

2017-01-01 22:49:34
ヤラカシタ・エンターテインメント @yarakashita_ent

しかしその生活も、コケシ第七商業地区の事故による、コケシマート社の事業撤退とともに終わった。マーケットは閉鎖され、ショックが尾を引いたのだろう、母は翌年にカロウシで死んだ。うすっぺらなフートンに、眠ったように横たわる母は、ノーメイクだった。 23

2017-01-01 22:52:12
ヤラカシタ・エンターテインメント @yarakashita_ent

母の残した金は、中学の学費と店舗経営費の返済に消えた。卒業費が払えず、トウジは学校を中退した。家賃滞納によりフラットを追い出され、父の顔は知らない。行くあてのない彼に残されたのは、母の残した一枚のカードキーだけだった。母の店、「コアキナイ」に至るためのカードキー。 24

2017-01-01 22:55:03