芝村裕吏さんによる「旧日本軍の建設工兵について 他」
南洋が戦場になりえることは、1919以後、すなわち日本に南洋諸島が転がり込んできたあたりからはじまります。が、その前からの蓄積が全然違い、それに日本は中国とこそ、やりあってました。 2正面作戦する予定などはまるでなく、現実的でないと思われていました。
2011-02-27 17:13:16逆説的には、アメリカは己の得意とする土木を最大限生かしたんですね。 で、不得意分野を生かせなかったからといって、日本を叩くのは、おかどがだいぶ違うと思います。
2011-02-27 17:18:48アメリカは工兵の規模もノウハウも全然違ったので、んー。密林切り開いて飛行場つくるの? ふむふむ。じゃあ、5000人送り込む。4日だ。 4ヶ月じゃない。フォーデイズだと、これこそ最初の計画表から日本の(工兵の)常識と桁外れの数字を出してきてたんですね。
2011-02-27 17:20:08日本は、南洋諸島を見て、作戦を立てる際に、基地を作るという発想をしませんでした。 これには理由もあり、南洋諸島に軍事基地や空港を作ることに制限がかかっていたせいもあります。
2011-02-27 17:23:49では、どうするか。いくつかのプランがありました。 で、航空技術の発展の方向性もあり、当時は今後の見通しもよくわからなかったので、3つあって3つとも、航空行政として行ってます。
2011-02-27 17:27:38プラン1 空母の拡充(最初、条約制限外だった) プラン2 航空樹航続距離の延伸(攻撃機も戦闘機も足が長い) プラン3 新型水上機の開発
2011-02-27 17:29:22言うまでもなく、プラン2が零戦や一式陸攻です。 で、プラン3は、他国よりは本機ではありましたが、主力は強風(が間に合わないので二式水戦)で、二式水戦の量産数は327機と、プラン2の規模と比較すると、これまた桁違いでした。
2011-02-27 17:34:12つまりはなんのことはない。さすがに水上機で決戦しようと思うほど、日本もバカではなかったということです。 当時においても水上機はだんだんすたれておりました。日本は南洋諸島とその制限で例外的に継続的な技術開発していましたが、趨勢ははっきりしていました。
2011-02-27 17:37:07参考情報です。 http://bit.ly/hjIqRU RT @siva_yuri: 旧日本軍の飛行場設営隊がアメリカに比べて機械化が遅れていたと言われる件
2011-02-27 16:43:37