社会科学原論の試論

Carlos Rodriguezが考えた社会科学をまとめてみました。1980年代のものですので、現実的に該当しない箇所を大幅に削除しました。
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fever7777 @fever7777

仏教思想を想起されたい。諸行無常、生老病死、色即是空、四苦八苦、等々。「破壊」は次のステージで新たな「創造・誕生」を導く。即ち、「宇宙」とはとてつもなく大きな、無限大のエントロピー(永久機関)である。

2011-02-06 15:41:07
fever7777 @fever7777

「破壊=ゼロ」の状態とは「何もない」のではなく「ゼロという状態がある」ことであり、ゼロは万物の原点である。従って、死に繋がる人生であっても、生きるに値しないなどと言うことはなかろう。

2011-02-06 15:41:19
fever7777 @fever7777

次回以降では、以上の通り「原点」に回帰しつつ、様々な社会システムについて21世紀の姿を提示するものとする。

2011-02-06 15:41:43
fever7777 @fever7777

人間とは「社会システム」との関連でどう規定すればよいのか。考えてみます。

2011-02-08 15:36:49
fever7777 @fever7777

多くの社会システムは、形式上(見掛け上)「人間」が創造し、運用し、更にはアンチテーゼを掲げたり逸脱した行為(不法行為)を起こしたりする。この場合、社会システムの主体も客体も「人間」である。

2011-02-08 15:37:25
fever7777 @fever7777

例えば、殺人を禁止する規範においては、その規範作成の動機づけは「人間」の意思によって為されたものであり、罰則を運用するのも「人間」であり、人を殺す意思(故意)を形成するのも同じく「人間」であると推定できよう。

2011-02-08 15:38:12
fever7777 @fever7777

したがって、人文科学や自然科学のみならず、社会科学ですら「人間の性」について規定せざるを得ない。古くより性善説・性悪説と言った議論もあり、それが数多くの思想体系、宗教、学説へと分化して行った。

2011-02-08 15:38:27
fever7777 @fever7777

客観的・唯物的な現象のみを扱うこれまでの経済学でさえ、「人間の心理的・情緒的側面」に対峙しなければならないケースがある。『罪と罰』のラスコルニコフが犯した行為(殺人による財貨の獲得)は経済学の通説的見地からは、彼の行為の不法性・非道徳性から「労働」ないし「経済行為」に当たらない。

2011-02-08 15:39:21
fever7777 @fever7777

しかし、この「不法性・非道徳性」の判断は極めて「主観的」なもので、例えば似た行為で「親を安楽死させて遺産を相続する」行為には(安楽死に違法性を認める見解があるものの)「経済行為性」を認めている。遺産相続に「経済行為性」があることは、「相続税」が徴収されることをみれば明らかである。

2011-02-08 15:39:56
fever7777 @fever7777

閑話休題、「人間」が「人間」たりえる条件とはなんであろうか。

2011-02-08 15:40:31
fever7777 @fever7777

勿論、ヒトは他の生命体と同じく、炭素、酸素などの原子が複雑に絡みあい構成されている生物であり、哺乳類として脳、消化器、循環器、呼吸器、神経系等の生命システムを持ち、唯ヒトのみが高度な精神・文化活動を営むものとされる。

2011-02-08 15:40:48
fever7777 @fever7777

しかしながら、レベルの差こそあれサル、イヌ、ネコなどの動物も、感情をもち自然界から様々な学習活動を行っている。

2011-02-08 15:41:09
fever7777 @fever7777

また「人間」とはヒトの間と書く字面から、「社会性」こそがそのアイデンティティーとされている様であるが、サル山にも「社会性」はある。従って、人間だけが特殊な生物なのではなく、単細胞生物を含めた多くの生命体との共通性が散見され、結局はよく解らなくなってしまう。

2011-02-08 15:41:41
fever7777 @fever7777

とすると、「人間の固有性」を探求するより、すべての生命体の「共通性」を吟味・検討する方が遥かに簡単な作業に違いない。

2011-02-08 15:42:07
fever7777 @fever7777

食物連鎖というエントロピーがある。ウシが草を食み、そのウシはヒトの口に入り、ヒトはやがて土に帰りバクテリアによって分解される。また適者生存という概念がある。時の地球環境に適合できなくなった恐竜やアンモナイトは絶滅したし、疫病が流行すると今度はそれに強い人種が誕生している。

2011-02-08 15:42:44
fever7777 @fever7777

これは、まさしく予定調和の世界であり、恰も「神の見えざる手」とも言うべきブラックボックスが存在するのだ。これこそ「宇宙の法」であり、自然界の摂理である。

2011-02-08 15:43:17
fever7777 @fever7777

何千人に一人の割合で犯罪者がおり、あるいは歴史の節目にしばしば大きな戦争が勃発するのは、やはり「宇宙の法」ないしは何らかのブラックスボックスによって采配されているからではなかろうか。そうでないと、実存的かつ突発的な人間の行動は説明できない。

2011-02-08 15:43:43
fever7777 @fever7777

ところで、人間(他の生命体にあるかは不明)の暗黙の意識として、アンビバレンツと定義されている正反対の価値観が混在している。絶望と希望、憧憬と畏怖など、これらの相反する感情が一見すると不可解な行為を発生させる。そして、このアンビバレンツは「宇宙の法」のもと成立しているものである。

2011-02-08 15:44:17
fever7777 @fever7777

今回は社会科学が扱う「法・規範」について書いてみます。(続く)

2011-02-12 08:56:50
fever7777 @fever7777

そもそも、何故人間は殺人行為を「禁止」するのか。言い換えれば、法・道徳・規範・禁忌(タブー)の根源は一体何処からくるのであろうか。(続く)

2011-02-12 08:57:14
fever7777 @fever7777

刑法学の立場からは、殺人行為は「法益の侵害」にあたるとする立場と、「社会的規範の侵犯」であるとする見解の2派があるが、どちらも考え方に大きな相違はないと思われる。即ち、前者では「法益」の概念は「人間の維持・保守したいこと」を意味する。(続く)

2011-02-12 08:58:17
fever7777 @fever7777

一方、後者では「社会的規範」とは「人間の受けたくない被害」を示しており、結局「命を守りたいこと」と「殺されたくないこと」は異句同様である。「守りたいこと」と「被害を蒙りたくないこと」とは心理的欲求であるに他ならず、規範とはこういった心理的欲求を背景としたものと説明される。(続)

2011-02-12 08:59:20
fever7777 @fever7777

しかしながら、なぜ心理的欲求が形成されるか根本的に追求してみる必要もあろう。それがヒトの遺伝子に由来するのか、神がかり的なものなのかはさて置き、殺人という行為が明文化ないし規定されたのは、実際にこの忌むべき行為が歴史的に多くの頻度で発生したからであると通説的には説明される。(続)

2011-02-12 09:00:18
fever7777 @fever7777

それでは何故、殺人行為が頻発したかというと、殺人者すなわち殺人を犯したい者がいつの時代も存在するためである。殺人の衝動は、止むに止まれぬ事情があろうが、単なる愉快犯であろうが、ここでは問題ではない。(続く)

2011-02-12 09:01:14
fever7777 @fever7777

さて、しばしば指摘されることであるが、誰かに見るなと言われると見たくなってしまう体験は、皆持っているだろう。タブーを破ることは一つの快楽でもある。また、その禁止の圧力が大きければ大きい程、快楽のヴォルテージは高まる。(続く)

2011-02-12 09:02:03