【鉄血のオルフェンズ】名瀬さんの「女は太陽」発言は平塚らいてうリスペクト「ではない」んじゃないかって話
おとといからずっと、名瀬さんの「女は太陽」という言葉について考えている これはかの平塚らいてうの名言「元始、女性は実に太陽であった」を意識したものだろう でも、平塚らいてうが言いたかったことと名瀬さんの言葉が指すところ(それは鉄血の世界観とつながる)は違ってる気がするのだ→
2017-01-24 17:17:21→ここ(geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/…)に載ってる平塚の発刊文曰く、 >元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。 >今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である。 とある→
2017-01-24 17:20:46→不勉強なのでアレだけど、平塚は家父長制とかで権利を剥奪され、自ら主体的に輝く機会を奪われた「今」の女性を「月」に喩え、そうではない「真正の人」としての女性像を「太陽」に喩えたんだろう 衛星のように誰かに頼らずとも輝ける存在としての「太陽」→
2017-01-24 17:25:58→名瀬さんが言う「太陽」としての女性像も、自分の力で輝く存在というところは同じなんだけど、彼の言葉には続きがある 曰く「女という太陽に照らされなければ、男という花は咲けない」(正確な台詞はわからんけど大体こんなこと言ってたと思う) これが私にはひっかかるのだ→
2017-01-24 17:29:28→ここで「女=太陽」は「男=花」を咲かせるのに必要な存在とされている それは「女がいなければダメな男」の比喩であり「女の偉大さ」を語る言説かもしれない でもそれは同時に「女=太陽は男=花を咲かせるために輝く」とも読めてしまうものではないかと思うのだ→
2017-01-24 17:32:56→平塚の言葉では「依存的な(他者(男)の存在を前提とした)月から主体的な(他者(男)の存在を前提としない)太陽へ」向かう存在だった女は、名瀬さんの言葉では「男を照らす『ために』自ら輝く」存在に矮小化されているのではないか……と言ったら恣意的すぎるか→
2017-01-24 17:37:22→でも、平塚が志向したであろう女の復権、誰かとの関係性(「○○さんの奥さん」とか)によらず独立した主体として存在する女性像を語る言葉に対して、新たに「男=花」という対立項を立てて両者の関係性を語る行為自体が、女を再び関係性の中に閉じ込めていくことにも感じられる→
2017-01-24 17:43:59→ひどい言い方をすると「女は男を咲かせるために輝いてるわけじゃねーんだよ」って感じ しかもこの文脈だと女は自ら輝くことが求められてる 何か「女性が輝く社会を目指して」ってスローガンのもと仕事と家事の二重労働を求めてくる政府みたいだ(?)→
2017-01-24 17:52:11→脱線したからまとめると、平塚の言葉では女が太陽であることそれ自体を目標にして価値を置いていたのに対して、名瀬さんの言葉では太陽としての女が男という花を咲かせるための手段として語られてしまっている(と解釈しうる)ところが不満でした、って話をしたかった 以上です
2017-01-24 17:58:29