マーク・マゾワー「暗黒の大陸」抜き書き

メモ
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ぜく @ystt

「第一次世界大戦と、ヨーロッパの古い大陸帝国の崩壊は、民主主義だけでなく、ナショナリズムの勝利の合図ともなり、後者の方がはるかに長続きする勝利となった。国民自決の原則を西欧から中・東欧へと拡大することで、パリ講和条約は、おおよそのところ現在まで続く境界と領域の原型を作った。」

2017-02-14 00:02:22
ぜく @ystt

「けれどもナショナリズムの勝利は、それに続いて、流血、戦争、内戦をひき起こした。エスニシティがパッチワークをつくる東欧に、国民国家が広がったことによって、現下の政治問題としてマイノリティ問題が浮上することになったからである。」

2017-02-14 00:02:49
ぜく @ystt

「国家の主権は『人民』に由来し、『人民』は特定の国民であると定義された場合、他のエスニック集団が国境内に存在することは、国民自決の原則を信じる人々にとっての、不面目、脅威、挑戦であると見なされざるをえなかった。」

2017-02-14 00:03:19
ぜく @ystt

「古い19世紀の帝国は、まったく異なる方法で機能していた。帝国の正統性は、エスニシティではなく、王朝的忠誠を基礎としていた。そのために、ドイツ系でもロシア皇帝の行政機構の高位に上ったり、国際会議でオスマン帝国を代表する外交官がギリシャ系ということがありえた。」

2017-02-14 00:03:43
ぜく @ystt

「1914年から18年の戦争は、このような世界を一掃してしまった。1920年のナチ党綱領の第4項目は『国民の一員のみが国家の市民たりうる』としていたが、少なくともこの点ではヨーロッパの大部分を代弁していた。」――マーク・マゾワー『暗黒の大陸』pp.64-65

2017-02-14 00:04:05
ぜく @ystt

オスマン帝国もロシア帝国もオーストリア=ハンガリー帝国も、周縁地域のナショナリズムの高まりに対して『帝国ナショナリズム』を創造しようとしたが失敗し、結局は対抗ナショナリズムを煽る結果となってしまった。

2017-02-14 00:05:23
ぜく @ystt

「このように列強は連盟が『新興』諸国の内政に干渉する分には満足していたが、自国に関しては違った。彼らの考えでは、西欧の『文明化された』国々には、『未熟な国々』にはまだ存在しない、マイノリティの同化を促進する手続が発展してきていた。この見解はある程度正しかった。」

2017-02-14 00:09:43
ぜく @ystt

「ウェールズ人やカタルーニャ人の子供が専門職や公務員としてキャリアを形成するのは、例えばつい最近まで互いに憎しみあっていたポーランドのウクライナ人やルーマニアのハンガリー人の場合よりも容易だった。」

2017-02-14 00:09:55
ぜく @ystt

「ブルターニュの子供は学校では苦しんだかもしれないが、家や村を焼かれたりはしなかった。このように、マイノリティ条約は、文明化が足りない諸国民に国際的な態度というものを教育する一つの方法だった。」

2017-02-14 00:10:02
ぜく @ystt

「しかし、この徹底的な自由主義の隠れた前提は、文明化された国民生活への同化は可能であり、望ましいということであった。ミルは数十年前に『相違なる複数の国民集団からなる国では、自由な制度はほとんど不可能である』と主張していた。つまり、民主主義は同化を必要とするとされたのである。」

2017-02-14 00:10:13
ぜく @ystt

「ブラジルの代表は、1925年にジュネーブで、条約の目的は、社会のあるグループが自らを『常に他者』であると感じる状態を永続させることではなく、『完全な国民的一体性』のための条件を作り出すことであると述べた。」

2017-02-14 00:10:24
ぜく @ystt

「この主張と、カール・シュミットの、現代大衆民主主義は『第一に同質性を、第二に、もし必要性が生じれば、多様性の排除ないし根絶を』前提とする、という主張とそう遠くはない。」

2017-02-14 00:10:32
ぜく @ystt

「彼は続けて、『民主主義は、自らの同質性を脅かす異質なものや標準的でないものを拒絶し寄せつけないことによって、その政治的な力を示すのである』と述べている。」

2017-02-14 00:10:43
ぜく @ystt

「自由主義がこの欠点に関していかに偽善的であったかは明白である。説教と実際の行為の内容が食い違っているのである。結局、自由主義自体はどの程度普遍主義的で人種偏見から自由であったのだろうか。」

2017-02-14 00:10:53
ぜく @ystt

「1919年に日本が国際連盟規約に人種の平等を確認する条項を挿入しようと提案したさい、それを拒絶したのは自由主義の諸列強であった。アメリカの自由主義は長年人種差別と共存してきた。」

2017-02-14 00:11:04
ぜく @ystt

「イギリスやフランスも、ふさわしくない肌の色をもつ植民地の臣民が完全な市民権を得るのを非常に困難にしてきた。『イギリス帝国は住民全員に普通平等選挙権を与えているだろうか』とシュミットはこの点を鋭くついた。」

2017-02-14 00:11:12
ぜく @ystt

『このような原理を基礎とすれば、一週間と存続はできまい。恐ろしい数の多さで、有色人種が白人を支配するだろうからである。それにもかかわらず、イギリス帝国は民主政体なのである。』

2017-02-14 00:11:22
ぜく @ystt

「自由主義者のなかには、二重基準を問題視する者もいた。植民地問題の第一人者アルベール・サローは『フランスは二つの顔を実際に使い分けることはできない。首都に向けた自由の顔と植民地に向けた専制の顔を』と述べたが、もちろんそれは可能であった。」

2017-02-14 00:11:43
ぜく @ystt

「英仏の同化主義への信奉は、国民国家の枠内で見たときのみ、通用したのである。」――マーク・マゾワー『暗黒の大陸』pp.83-84

2017-02-14 00:11:50
ぜく @ystt

ヨーロッパと民主主義の関係は相当に屈折しているとは思う。

2017-02-14 00:13:33