キャパの自伝「ちょっとピンぼけ」を読む。戦争写真家として平和の聖人のように語られるが、実は、とても人間臭い魅力に溢れている。芸術と平和について連続ツィートする。
2011-02-19 15:28:081. 実は、「戦争の反対は平和」ではない。「戦争の反対は芸術」である。平和は平穏でニュートラルな状態。いわば座標軸ゼロを指す。戦争はマイナス。では、反対のプラスは芸術しかない。
2011-02-19 16:47:362. この考え方は、寺脇研さん、マエキタミヤコさん他、多くの心ある人に共有されている。しかし、芸術界ではあまり一般化されない。なぜか。それは、スノビズムが原因。
2011-02-19 17:19:153. そもそも、およそ芸術は音楽、演劇、建築、ダンス、文学などあらゆるジャンルに共通して、想像力と創造力を涵養する。想像力は相手の痛みまでもわかってあげられる力のこと。創造力は新しい何かを文字通り生み出す力。この2つのソウゾウリョクは、そのまま他者や社会への暖かいまなざしとなる。
2011-02-20 13:58:094. 特に日本の芸術界は政治、宗教、平和の話は御法度。それは、マーケットが嫌うのもあるが、それ以上に、「芸術家は現実の社会に関わるのはカッコ悪い」という幻想がはびこっているから。ここが、ボイスやピカソ、カザルスを生んだヨーロッパの文化土壌と決定的に違う点。
2011-02-21 13:03:035. ゲーテはワイマールで政治家として手腕をふるい、マルローはレジスタンスでナチと戦い、タゴールは日本の帝国主義に警鐘を鳴らした。皆、大きな仕事をした芸術家は深い人間愛と現実社会へのコミットをあきらめない。むしろ、そうした態度の延長に素晴しい作品群があると見なければならない。
2011-02-21 13:18:386. 特に芸術家が「平和」と言うと、急に「いい人」と思われてしまう。そして、芸術界では概して、「いい人」=カッコ悪いという先入観が根強い。これは、2つの意味で間違い。平和を語るに「いい人」である必要はない。また、「いい人」であってもカッコいい芸術家がたくさんいる。
2011-02-24 10:26:388. ただ、芸術家にも責任の一部がある。平和を口にするも「カッコ悪い」作品を作ってしまうことだ。これには、皆がっかり。つい誤解してしまう。平和は重要なミッションだけに、本人が義務感で作ってしまうとこうなる。作らされている感、説明意識が働くゆえ、決して良い作品にはならない。
2011-02-24 12:50:539. 良い作品はテーマが「リンゴ」でも「平和」でも関係ない。それが作家にとって「リアルで、やむにやまれぬこと」であるか。たとえ、「バラ」を描いても義務感であれば、つまらない。逆に子供が「平和」を描くと、どの国の子も素晴しい。それは、リアルで楽しんで描いているから。
2011-02-24 12:57:5210. だからこそ、重要な人類的問題には、教条的義務からではなく、自由意思によるカッコいい「新しい表現」が必要。戦争という魅惑的悪魔がカッコ悪く見えるように・・「平和」というゼロは、その悪魔と戦い続ける中にしか存在しない。プラスを加え続けなければゼロの維持すら難しい。
2011-02-25 18:17:2912. 「平和」からの表現も、「あれはダメ、これはいけない」という、教師が子を叱るような目線だけではなく、もっと柔らかい、自由な表現が必要。若い人たちへ伝えていくためには、彼らの言葉と彼らの表現が最も届くのだから。実は、それこそ、芸術が本来持っている本当の価値ではないか。
2011-03-03 09:34:0113. かつてサルトルが叫んだ「アフリカの飢えた子どもを文学は救えるのか」という問いは、詭弁だ!芸術はインモラルでカウンターカルチャーでなければならない。と信じていた。
2011-03-04 22:20:1814. しかし、対抗すべき国家も体制もイデオロギーもズブズブになり、モラルもテロでズタズタにされた現在では、こうした無邪気な芸術の幻想はもはや成り立たない。
2011-03-04 22:29:31