【白鯨-mobby dick-】 ♯3-1

楓君の苦難
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葛葵中将 @katsuragi_rivea

日本海、大湊〜佐世保間を繋ぐ海上交通網。 制海権の主導を完全に人類が握る唯一の航路と言われるほど、 現時点でのこの海の安全は保障されていた。 そこらかしこに点在する港を経由し、海軍によって徴用された輸送船が行き交うための水道…

2017-02-27 22:01:49
葛葵中将 @katsuragi_rivea

位置としてはおよそ北緯38度。旧くは出羽の国などと言われた地に面した海の水面は穏やかの一言に尽きた。 一隻の輸送船が海面に白い航跡を大きく作り出し、前進する。 その後ろを日の光を照り返す純白の翼。海鳥達が飛沫を追う光景は人が昔、日常的に拝んでいた光景だ。

2017-02-27 22:03:51
葛葵中将 @katsuragi_rivea

その周囲を滑るように航行する艦娘の姿が複数、位置を確認しながら 輸送船の速力に足並みを揃え、さながら親鳥を追う子鴨のように疾駆していた。 彼女たちは、軽巡洋艦と駆逐艦から構成された水雷戦隊に属する艦娘。 海上護衛任務、輸送船の護衛が彼女たちに与えられた仕事だ。

2017-02-27 22:06:02
葛葵中将 @katsuragi_rivea

「…やっぱり、めんどくせぇ…」 そのうちの一人、茶髪に赤い縁の眼鏡をかけた駆逐艦級の娘は欠伸と共に小言を口走る。 全長にすれば輸送船と言えど、それなりの大きさであるタンカーを護衛するには、 複数名の艦娘で構成されていても、僚艦との距離は必然的に離れることになる。

2017-02-27 22:07:41
葛葵中将 @katsuragi_rivea

輸送船の見張り所からも死角に入り込んで航行していたため、 誰に見られているでもない、と凝り固まった体をほぐすように背伸びまでしてみせた。自身の肉骨を伝わり鼓膜へと体が鳴るのを伝えた。 …彼女は完全に油断しきっていた。 「もっちー、聞こえてる…由良さんに怒られるよ?」

2017-02-27 22:10:05
葛葵中将 @katsuragi_rivea

もっちー…「望月」という艦名を由来として仲間達から貰った彼女のあだ名だ。 僚艦であり姉妹艦、睦月型駆逐艦「三日月」の声が通信機から響き、 自身が通信機のマイクを切ることを完全に忘れていた事実を突きつける。 「げぇ…マジぃ…?」 「…まる聞こえです」

2017-02-27 22:11:50
葛葵中将 @katsuragi_rivea

望月の位置は輪形陣左舷後方、先頭を走っているであろう旗艦、軽巡洋艦「由良」の姿は確認できない。 それでもつい身をよじらせ恐る恐る覗き込むように前方を確認する動作を無意識のうち行ってしまっていた。

2017-02-27 22:13:42
葛葵中将 @katsuragi_rivea

水雷戦隊に所属する駆逐艦にとって軽巡洋艦は直属の上司にあたり、 その存在は何よりも恐るべきものであるからだ。 彼女たち第六水雷戦隊の旗艦である由良は普段こそ物腰柔らかな人物であるが、

2017-02-27 22:15:30
葛葵中将 @katsuragi_rivea

任務となれば話は別。激しく叱咤されるならまだしも… 彼女は残念ながらそのタイプではない。 朗らかな会話と共に渾身の皮肉を混じえ、 部下にあたる駆逐艦達の精神を抉ってくる気質なのだ。

2017-02-27 22:16:49
葛葵中将 @katsuragi_rivea

鹿屋の合同演習で対峙した際に目撃した、かの「鬼百合」と類似している。 背に水でもかけられたように青ざめる望月であったが、幸いにも旗艦からの叱責は飛んでこない。 「しっかりしてよ、これも任務なんだから」 「わかってるよ…」

2017-02-27 22:18:36
葛葵中将 @katsuragi_rivea

世話焼きである三日月は度々周囲に気を配る。言うなればお節介。 任務で行動をともにする望月にはありがたくも思う反面、時折鬱陶しさを感じることもあった。 おざなりな返事を返すが、二人の付き合いの長さはその些細な諍いなど問題になることはない。

2017-02-27 22:19:42
葛葵中将 @katsuragi_rivea

それほどに望月と三日月の付き合いは長い。 この世界に顕現してからというもの、二人は日々、昼夜問わず行動から任務、 さらには所属鎮守府の異動までをも共にし、互いの絆を育んできた…言うなれば相棒という存在。

2017-02-27 22:21:50
葛葵中将 @katsuragi_rivea

通信機のスピーカーからは三日月が大きく息を吐く音がした。毎度のことではあるが、 望月の態度を前に、先に妥協するのはたいてい彼女のほうであった。 輸送船を挟んで反対側を航行している三日月の顔が脳裏に浮かぶ。 (いつもより説教が短いな。おおかた…あたしと同じ気持ちかな?)

2017-02-27 22:24:49
葛葵中将 @katsuragi_rivea

普段ならば口をうるさくして激を飛ばしてくるはずの彼女が、そこで話を切ったことから望月は三日月も自身と同じ心境であることを察した。 それというのも…この航路に配置されるということは、 水雷戦隊としては少々複雑な扱いに該当するが所以である。

2017-02-27 22:25:49
葛葵中将 @katsuragi_rivea

深海棲艦の目撃例も少なく、ほとんど交戦することもないこの海で任務にあたるということは 前線から後退させられたことに等しい。 未熟な者、戦線において傷を負った者、いわゆる”落ちこぼれ”が配置されるような場所として艦娘達からは敬遠される傾向にある。

2017-02-27 22:27:11
葛葵中将 @katsuragi_rivea

表向きには倦怠な態度を見せる望月であってもこの扱いには不服。 駆逐艦級として就役した者ならば少なからず水雷魂、あるいは駆逐艦魂などという 己の矜持を持っている。その例に彼女も洩れることがあるはずもない。

2017-02-27 22:28:31
葛葵中将 @katsuragi_rivea

彼女たちの属する隊が日本海側を航行する船団護衛の任につけられた際には耳を疑った。 割り当てられた任務をこなすことは必然。頭では理解しつつも… 前線から退いた落ちこぼれというレッテルを貼られたという事実には遺憾の心境を拭うことは出来なかった。

2017-02-27 22:29:49
葛葵中将 @katsuragi_rivea

先程の不満の声は確実に由良も聞いていたであろうことは明白、 それでも彼女から咎められることがなかったのは… その心境を抱いているのは護衛の水雷戦隊全体に波及していた。

2017-02-27 22:31:00
葛葵中将 @katsuragi_rivea

一個の水雷戦隊を預かる長としての立場からか、 部下の不平不満までに口を挟み指摘することは、隊内での秩序は余計、悪化の一途をたどる要因になりかねない。 それを最も痛感しているのは、旗艦である由良自身に他ならない。

2017-02-27 22:32:33
葛葵中将 @katsuragi_rivea

由良の人格としては”空気の読める”部類に位置づけられるのだろう… そう結論づけ、望月はマイクを切ると懐から方位指針を取り出し、 手慣れた手つきで手鏡状のケースを掌の上で一回転させた。

2017-02-27 22:34:13
葛葵中将 @katsuragi_rivea

「そろそろ、かな」 佐世保の港から出航し、速度、時間経過の計算と方位から現在どの位置を 航行しているかはおおよその見当がつく。 指針の朱に染まる先端は佐世保を出航した際よりも自身の体から真横へと近づいていることを指し示す。目的地は目と鼻の先まで迫っていた。

2017-02-27 22:35:29
葛葵中将 @katsuragi_rivea

それと同時に…この海域は限りなく隣国との境界に近い。 周波数を特定の域に合わせると付近を航行する民間に属すると思われる客船、 あるいは隣国の保有する海上戦力、航空戦力から発せられる音声電波を拾うことがしばしばあった。

2017-02-27 22:36:43
葛葵中将 @katsuragi_rivea

言語こそ該当国のものであり聞き分けるには通信妖精達の翻訳を必要とするが、 この、敵と邂逅する確率の方こそ少ない任務の中では そういった一風変わった出来事は退屈しのぎ程度にはなる。

2017-02-27 22:37:48
葛葵中将 @katsuragi_rivea

この海域で任務に当たる駆逐艦達の間に密かな楽しみとして伝わる情報を、 望月はここでの任務に携わった経験があると言っていたとある夕雲型の駆逐艦から教わった。 (牛缶ひとつ、引き換えにしたけどねぇ…) 情報ひとつといえど、この界隈で"タダ"はありえない。

2017-02-27 22:40:49