差別についての考察
遺伝子レベルで、ガチッと心にはまってしまう他人は確かに存在する。同性であれば良きライバルになれるだろうし、異性であれば、理屈抜きで強く求めてしまう。もし自分がその想いを向けられた時、「そういうこともあるもんだ」と思える人間でありたい。人間関係に利害や理屈を求めすぎては面白くない。
2011-03-06 17:42:44面白いです。RT @nautilus0407: 異性愛者の無意識的差別の典型例。 RT @Arthur_to_Rin: 遺伝子レベルで、ガチッと心にはまってしまう他人は確かに存在する。同性であれば良きライバルになれるだろうし、異性であれば、理屈抜きで強く求めてしまう。
2011-03-06 19:09:49意図しない形でツイートが伝わることがあるものだ。興味深い。日常でも同じだろう。自分もねじ曲がった形で相手の発言を汲み取らないようにしないといけない。
2011-03-06 19:12:01それは如何だろうな?同性がライバルにホントになるのかな?私は嫌悪か恋愛感情かのどちらかだと思う。RT @Arthur_to_Rin 遺伝子レベルで、ガチッと心にはまってしまう他人は確かに存在する。同性であれば良きライバルになれるだろうし、異性であれば、理屈抜きで強く求めてしまう。
2011-03-06 19:12:07むしろ、異性の方が良きライバルとなりえるかもしれないよ? RT @Arthur_to_Rin: 遺伝子レベルで、ガチッと心にはまってしまう他人は確かに存在する。同性であれば良きライバルになれるだろうし、異性であれば、理屈抜きで強く求めてしまう。
2011-03-06 19:12:41恋愛か何かの話だと汲み取られてしまうツイートだったでしょうか? 僕としてはそういう意図ではありませんでした。あった瞬間に昔からの知り合いみたいに感じるような、そんな人っていませんか? 「遺伝子」という言葉を推敲するべきでした。スピリチュアルな話です。 @_heathworld_
2011-03-06 19:15:59そんな異性って本当に素敵です。RT @_heathworld_: むしろ、異性の方が良きライバルとなりえるかもしれないよ? RT @Arthur_to_Rin: ガチッと心にはまってしまう他人は確かに存在する。同性であれば良きライバル…、異性であれば、理屈抜きで強く求めてしまう。
2011-03-06 19:18:01@Arthur_to_Rin んーだったら、たぶん私だったら「異性・同性とかそういう外部要員は全く関係なく、どうしようもなく惹き付けられてしまう」という様な結論になると思う。何で女・男を分けたのか凄く気になる。
2011-03-06 19:19:46@_heathworld_ そうですね、その通りです。分けた意味は、「僕がそういう人間だから」です。一般論としての内容ではないつもりでした。一つお聞きしたいのですが、やはり「差別意識」のようなものが見えてしまうツイートだったでしょうか?
2011-03-06 19:22:56@Arthur_to_Rin いや、私は前のTweetに「文脈における無意識の差別意識」はあまり感じなかった。。。 ただ、「分けたのは僕がそういう人間だからです」という発言には無意識の差別意識を感じる人はいると思う。その辺りは非常にセンシティブになってきてるからね。
2011-03-06 19:25:24はい、そう思います。反応してくださる方々とは、ぜひ直接お会いしじっくり話し合いたいです。RT @_heathworld_: @Arthur_to_Rin 「分けたのは僕がそういう人間だからです」という発言には無意識の差別意識を感じる人はいると思う。その辺りは非常にセンシティブ…
2011-03-06 19:34:03せっかくなので、同性愛についてちょっと考えてみます。まず先に、先ほどの遺伝子レベルで云々の話は、恋愛どうこうは全く考慮していません。あくまで自分の世界の話でした。誤解させてしまった方は考えを改めて頂けると助かります(^_^)
2011-03-06 19:19:56先ほど「同性愛者への無意識的差別意識」だとの指摘を頂きました。繰り返しますが先ほどのツイートとは全く別物として話をしますが、イエスかノーかは僕には分かりませんが、可能性として「あり得る」とだけお答えします。なぜなら僕は異性愛者、いわゆるノーマルだからです。
2011-03-06 19:26:33「ーだから」と紡いだのには理由があります。キーワードは「無意識的」です。それこそ遺伝子レベルの話で、イレギュラーを嫌う深層心理があるのはごく当たり前であり、他者からは排他されるべきものではないと断言します。この時点で攻撃する、される理由はないと考えます。
2011-03-06 19:29:03しかし我々は人間です。そういったある意味生物としての根底の上に、人格があります。文化的、道徳的な観念を持ち合わせています。友情や愛の存在を認め、受容し、崇拝します。それらが根底の存在を薄くするのです。ここで僕個人の話に戻りますが、「意識的(人格的)差別」はないと断言できます。
2011-03-06 19:32:35僕自身、これまでまったく関係のなかった世界の話かというとそういうわけではありません。詳細は避けさせてください。考察や経験から、意識的に(積極的にと言い換えてもいい)同性愛を差別する愚は人一倍理解しているつもりです。が、しかしそれでも僕はノーマルです。潜在的なものは手に追えません。
2011-03-06 19:37:47同性愛のカップルに特に何も思いませんし、むしろこのような社会ですから、尊敬もします。しかしその性趣向を自分に向けられた時は、正直に言って心穏やかではいられません。根底のせいです。僕が言いたいのは、「潜在的な嫌悪を受容した上で、容認すること」こそが、差別の払拭であるということです。
2011-03-06 19:41:16現在、芸能界のニーズや社会風潮により、「同性愛に潜在的な嫌悪感をもよおすこと」そのものを否定するような流れがあるように感じます。それはおかしいと思っています。本当の意味で、人間的ではない。たまに「同性愛が文化的なものである」という意見を耳にしますが、僕には分かりません。
2011-03-06 19:46:20遺伝子や脳の異常であるかどうかも僕には分かりません。しかし動物界においても「同性愛」とみなされる事例が報告されていることを鑑みて、ただ闇雲に「身体の縛りを超えた魂の行動」と崇拝するような空気は、決して喜ばしいものではないと思います。乙武氏の掲げる真のバリアフリー社会にも通じます。
2011-03-06 19:50:57まとめます。「同性愛への無意識的差別」はあって仕方がないものだと断言します。「あって然るべきものだ」とは断言できないと理解もしています。その上で、文化的・道徳的な観点をもって、客観的に思考し同性愛への理解に務め、許容すること。それこそが真の人間的な活動だと思います。
2011-03-06 19:58:54常にニュートラルな立場でいることが大切ですね。危ぶむべきは、ニュートラルな立場を他者に求めていたつもりが、いつの間にか自分が中心線から遠ざかってしまうことです。
2011-03-06 20:01:49同性愛とかいう括りがそもそもにおいてナンセンスだわ。性愛の結ぶところがセックスだの子孫繁栄だのとは違うだろう。なら、そこに性別の境界線を作る必要はどこにあるのだろうな。
2011-03-06 20:02:51そうですね。なぜなら「愛」という言葉を使ってしまっているからです。 RT @Hawk0502 同性愛とかいう括りがそもそもにおいてナンセンスだわ。性愛の結ぶところがセックスだの子孫繁栄だのとは違うだろう。なら、そこに性別の境界線を作る必要はどこにあるのだろうな。
2011-03-06 20:04:45そもそも非差別なんてものはただの言葉遊びだと思う。差別を全くしない、なんてのは偽善にしか聞こえない。それは部落差別や人種差別も然り。「差別が悪い」ていう論は差別を悪く思っている人の考えが前提にあるから、そこに正当性は見当たらないと思う。
2011-03-06 20:07:49