男装の麗人に惚れる文化はどれくらい前から受け継がれているのか?「曾祖母だと水の江瀧子かな」「これが宿業か」

セーラウラヌス・ベルばら・リボンの騎士など、ついに平安時代のとりかへばや物語まで遡っちゃった。
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シムテックマ @simteck

天王はるか(セーラーウラヌス)に惚れたお母さん達へ 我が娘が剣城あきら(キュアショコラ)に惚れたのを見て業が深いと思っているかもしれませんがそれは違います あなた方のお母さんが『ベルサイユのばら』のオスカルに惚れたのが始まりなのです 全ては45年前に仕組まれた宿命なのです

2017-03-12 21:32:35
まとめ 全人類を惚れさせるプリキュア剣城あきら/キュアショコラさんに陥落したお子さんたち キラキラ☆プリキュアアラモード 第6話 「これってラブ!?華麗なるキュアショコラ!」への反応をまとめました 214919 pv 1144 217 users 372

源流はどこだ!?

林檎はいません。 @kokkumapple

世代間やべーな……そしてそれをさらに遡るとリボンの騎士のサファイアだ。

2017-03-13 15:50:14
シン・権田原米三 @ShiraishiM1970

いいえ、そのお母さんが「リボン騎士」のサファイアに惚れたのが始まりなのです。すべては、64年前に仕組まれた宿命なのです。@simteck

2017-03-13 05:33:17
おみ太郎 @OMItaro0117

@ShiraishiM1970 @simteck そしてその「リボンの騎士」を描かれた手塚先生は宝塚のファン。全ては103年前から始まっていたのです。

2017-03-13 11:24:36
kaya @kaya_rod

@OMItaro0117 @ShiraishiM1970 @simteck その剣城あきら役の方が元宝塚という…

2017-03-13 11:57:33
noe @noetique

@simteck 曽祖母が水の江瀧子に惚れたのが全ての始まりってことでいいかな。 82年前。

2017-03-13 07:50:12
深町りこ❖リド/暁月中! @cildor

水の江瀧子さん存じ上げなかったので検索してみたけど素晴らしいの一言 pic.twitter.com/GXgV3HLL6u

2017-03-13 10:47:01
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®️icarika @ZadkineMachen

ターキーこと水の江瀧子も推したい♡ #DressLikeAWoman pic.twitter.com/vzbGYfkw7q

2017-02-04 11:22:09
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リンク Wikipedia 水の江瀧子 水の江 瀧子(みずのえ たきこ、1915年2月20日 - 2009年11月16日)は、日本の女優、映画プロデューサー、タレント。1928年に東京松竹楽劇部(後の松竹少女歌劇部、松竹歌劇団)に第1期生として入団。日本の女性歌劇史上初めて男性様に断髪した男役で「男装の麗人」の異名を取り、「ターキー」の愛称と共に1930~40年代にかけて国民的人気を博した。1942年の松竹退団後は劇団主宰、映画女優などを経て1955年に日活とプロデューサー契約。日本初の女性映画プロデューサーとなり、石原裕次郎を筆頭に、浅丘ルリ 13

コメントで指摘していただいた川島芳子さん

筋トレ妖怪こまち @youkaikomachi

剣城あきらの前に天王はるか、天王はるかの前にオスカル、オスカルの前にサファイア王女、サファイアの前に愛新覺羅顯㺭(川島芳子)がいるので男装の麗人に憧れてしまうのはもうなんていうかしょうがないんだよ pic.twitter.com/kA6M4BGMN7

2017-03-13 00:51:02
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dyson@baha @Dyson_baha

更におばあちゃんのおばあちゃんが川島芳子に夢中になっていた可能性も否定できない

2017-03-13 13:30:02
リンク Wikipedia 川島芳子 川島 芳子(かわしま よしこ、1907年5月23日 - 1948年3月25日)は、清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女。本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)、字は東珍、漢名は金璧輝、俳名は和子。他に芳麿、良輔と名乗っていた時期もある。8歳のとき、粛親王の顧問だった川島浪速の養女となり日本で教育を受けた。1927年に旅順のヤマトホテルで、関東軍参謀長の斎藤恒の媒酌で蒙古族のカンジュルジャップと結婚式をあげた。 カンジュルジャップは、川島浪速の満蒙独立運動と連携して挙兵し、1916年に中華民国軍 51

えっ、こんな時代から!?

あげ @C____xx_

@OMItaro0117 @ShiraishiM1970 @simteck 「南総里見八犬伝(1814年)」や「とりかへばや物語(平安時代)」等が好きだった御先祖様がいるかもしれない…

2017-03-13 11:53:31
リンク Wikipedia 南総里見八犬伝 『南総里見八犬伝』(なんそうさとみはっけんでん、旧字体: 南總里見八犬傳)は、江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって著わされた大長編読本。里見八犬伝、あるいは単に八犬伝とも呼ばれる。文化11年(1814年)に刊行が開始され、28年をかけて天保13年(1842年)に完結した、全98巻、106冊の大作である。上田秋成の『雨月物語』などと並んで江戸時代の戯作文芸の代表作であり、日本の長編伝奇小説の古典の一つである。『南総里見八犬伝』は、室町時代後期を舞台に、安房里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれ 59
マルコ @revena_tw

@simteck とりかえばやに・・・まで遡りそうな勢いですねw

2017-03-13 09:06:42
リンク Wikipedia とりかへばや物語 『とりかへばや物語』(とりかえばやものがたり)は平安時代後期に成立した物語である。作者は不詳。「とりかへばや」とは「取り替えたいなあ」と言う意の古語。関白左大臣には2人の子供がいた。1人は内気で女性的な性格の男児、もう1人は快活で男性的な性格の女児。父は2人を「取り替えたいなあ」と嘆いており、この天性の性格のため、男児は「姫君」として、女児は「若君」として育てられることとなった。男装の女児である「若君」は男性として宮廷に出仕するや、あふれる才気を発揮し、若くして出世街道を突き進む。また、女装の男児である「 59
ドカ太郎 @dameningen1gou

@simteck ご先祖様が出雲のお国、そしてさらにさかのぼって白拍子に惚れてしまったことが全ての元凶なのです。

2017-03-13 12:14:01
リンク Wikipedia 白拍子 白拍子(しらびょうし)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人。主に男装の遊女や子供が今様や朗詠を歌いながら舞ったものを指すが、男性の白拍子もいた。素拍子(しらびょうし)とも書き、この場合は無伴奏の即興の舞を指す。複数の白拍子が登場する鎌倉時代前期の軍記物語『平家物語』では、白拍子の起源について「鳥羽院の時代に島の千歳(せんさい)、和歌の前という2人が舞いだしたのが白拍子の起こりである」としている。また「初めは水干を身につけ、立烏帽子をかぶり、白鞘巻をさして舞ったので、 8
🌕🐈せいら ⚓❄ 🐘🦉 📦🌟 @neko_paradise

更にはお母さんのお母さんががリボンの騎士のサファイアに惚れたという風に遡って行けますね。 というか、一番の源流はなんだろう。白拍子とかとりかえばや物語あたり? twitter.com/simteck/status…

2017-03-13 10:58:49