武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会と山梨県立博物館「梅と桜と信玄公」

西曲輪の発掘状況の見学、信玄公屋形図・古府中絵図、甲州文庫「武田晴信信玄像」、柳沢文庫「甲府城下絵図」について。
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日光81 @nikko81_fsi

さて、今日の記録。メインは西曲輪なんですが、梅翁曲輪にもご案内いただき。梅翁曲輪は徳川期以降だからいっか、と昨年の見学会はパスしたんですがね。松木堀に仮通路が通され、本格的に整備が始まっていくようです。二枚目の奥に見えるのが梅翁曲輪南虎口跡。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/mCwj35BAVh

2017-03-18 18:16:42
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日光81 @nikko81_fsi

梅翁曲輪西側の虎口。今は堀底から坂があって虎口になってますが、実際はなくって、外側へ木橋が架かってあっただろうという推測。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/jQ5s6bU6YH

2017-03-18 18:19:26
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日光81 @nikko81_fsi

さて、西曲輪へ。ずっと見逃していたんですが、南虎口の東側石垣の下に、武田時代の門柱の礎石と思しき石があるんですね。西側は側溝ができたときに外されたと思われるそう。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/pe9oMRFJdP

2017-03-18 18:22:09
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日光81 @nikko81_fsi

今回の発掘は西曲輪の中段から下段にかけて。今回発掘して以降南側は後世の造成が入っており、発掘してもあまり成果はなかったようです。ちょうど中段から下段にかけてのところに、モッコリと盛り土がしてあって、その中から中段と下段を分かつ石積が出てきました。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/tfU6Jl7Ezb

2017-03-18 18:29:06
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日光81 @nikko81_fsi

図面(写真2に相当)にもあるとおり、中段から石積~通路~石積~用水路というつくりになっていて、石積は2~3段程度の、要害山城でも見られるような程度の石積みでした。中段のほうには少し間が空いて、内側にも石積みあり。この間には塀があったのでしょうか?#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/8G1qQ0wbJi

2017-03-18 18:35:44
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日光81 @nikko81_fsi

中段の内側のほう、石積と石積の間の築地の痕跡。手前が内側(中段側)奥が外側(下段側)盛り土の量の多さもありますが、現在は緩やかな坂になっていますけど、往時はけっこうな高さの土塁と石積で区切られていたことがわかります。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/nFNYp9EAT7

2017-03-18 18:40:47
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日光81 @nikko81_fsi

少しあけた東隣の発掘現場。ずっと石積みが続いているのが解ります。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/WMQswVoMy1

2017-03-18 18:43:14
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日光81 @nikko81_fsi

もうひとつ東隣の現場。写真左真ん中のチョコケーキみたいなカタマリの大きさ・深さの量の土で、この部分が埋められてしまっていました。浅野家文書古府中の項にもこの土塁部分は描かれていて、おそらく大正の武田神社創建時ではないかと。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/oq6iziahxP

2017-03-18 18:47:31
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日光81 @nikko81_fsi

少し退いて。1枚目右手前に一部分だけ、深く掘っている部分があります。石積みのある層よりさらに深い部分から、堀と思われる部分が検出されました。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/zG4tWl0Q7C

2017-03-18 18:52:02
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日光81 @nikko81_fsi

もっとも西側の発掘現場でも、堀が検出。ただし少し南側にずれています。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/lBBdCMqnAe

2017-03-18 18:55:26
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日光81 @nikko81_fsi

等高線と照らし合わせると、堀推定ラインの延長上に等高線が乱れている部分があり、こことつながっている可能性があるのではとのこと。特に東側が等高線が少しくぼんでいますね。天文20年以前、信虎期造営時には北側だけだったか、南北で曲輪が分かれていたかも。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/7ieXPh5F85

2017-03-18 19:00:00
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日光81 @nikko81_fsi

新発見の堀もいいのですが、遺構の残り具合という意味では西側のこの部分。今では削平されていますが、本曲輪も三段になっていたことがわかっていて、扇状地ならではの傾斜をうまくとりいれた構造だったのでしょう。そんな様子を西曲輪から想像できます。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/fJf1iru8FR

2017-03-18 19:03:23
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日光81 @nikko81_fsi

用水路アップ。これらの存在は少し掘れば水が出やすく、水はけをよく考えられていたからでしょうか。1枚目が最東端の発掘現場、2枚目がそのお隣から。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/O729H9Liq3

2017-03-18 19:05:14
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日光81 @nikko81_fsi

さて、写真1の比較的南のほうから、わずかに成果が上がったのがこれ。建物の礎石と思われる石がひとつと細かな石敷きの遺構。ハッキリとはわからないものの、西曲輪にも本曲輪同様、庭園があった可能性があるとのこと。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/skqGNAQQK7

2017-03-18 19:10:41
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日光81 @nikko81_fsi

石敷きの石は甲府周辺からは取れない、おそらく塩川あたりから採ってきたと思われる青い石。本曲輪の庭園跡からも検出されているそうで、西曲輪にも。。。と思いたくなります。また礎石のほうは1つだけしかないため、建物の位置は特定できないそうです。#武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 pic.twitter.com/WSChA9aRJb

2017-03-18 19:13:39
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日光81 @nikko81_fsi

さて、これに関連して、山梨県立博物館展示の信玄公御屋形図をば。存在は知っていましたが、現物を見たのはお初です。おもしろい・・・おもしろい・・・ #桃と桜と信玄公 pic.twitter.com/PsQpTQuCTt

2017-03-18 19:15:59
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日光81 @nikko81_fsi

東から進んで右手、つまり北側に「是地形高シ」「此地形高シ」とあるんですね(赤で囲った部分)。ここは信玄公の奥、つまり信玄公の座間・座所や台所、そして不動堂・毘沙門堂。さらに黄の丸印には「二階廊下」とあります。てことはプライベート空間に行くたび階段上り下り・・・ #桃と桜と信玄公 pic.twitter.com/Y5F0bqaDnf

2017-03-18 19:25:56
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日光81 @nikko81_fsi

主殿に入ると、脇に奏者の間、さらに「御香所」という部分(赤四角)があります。これ・・・香をつけてから、主殿に入れってことなの?なんなんでしょう・・・オレンジの四角は、右の手前から主殿、穴焼の間、本主殿とあります。穴焼ってなんだ・・・読み違いか?#桃と桜と信玄公 pic.twitter.com/aDKEnJFAEW

2017-03-18 19:31:45
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日光81 @nikko81_fsi

本主殿には「上様是ニ」とあるので、信玄公の座所なのでしょう。穴焼の間には格天井、矢天井、皆コシシヤウシとあります。コシシヤウシ=格子状に障子のある戸、かな?御殿的な様子が想像できますね。本主殿にはフスマシヤウシとあります。室町将軍邸と比較できたらいいよね。#桃と桜と信玄公

2017-03-18 19:38:37
日光81 @nikko81_fsi

その斜め上には、常御対面所(緑)看経の間(水色)があります。本主殿を江戸城大広間とするならば、常御対面所は白書院・黒書院のような位置づけの私的な対面所なんでしょう。看経の間は・・・平山先生の「大いなる謎真田一族」で紹介されていた、あの看経所のはず・・・ #桃と桜と信玄公 pic.twitter.com/mh9n6oI3Pm

2017-03-18 19:45:03
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日光81 @nikko81_fsi

信玄公は武田軍の兵卒のために、仁王般若経の一節をここで唱えるのが日課だったといい、続いて有能で将来を担う春日虎綱や若き真田昌幸のために、祈りをささげ不動明王の呪文を繰り返し唱え・・・その話に差し掛かって、虎綱と昌幸が昔話の途中で泣いちゃうやつ。その場所だ・・ #桃と桜と信玄公

2017-03-18 19:50:47
日光81 @nikko81_fsi

その看経の間を過ぎて庫裏を経た先は、風呂場(青)。西曲輪と接続する通路のすぐ北側。御風呂大好きイメージなだけに、どれだけ使ってたのだろうと気になりますw 近くに御旗屋(赤)。アケシトミとありますが、風呂場から旗が見えた? #桃と桜と信玄 pic.twitter.com/Th0vqCOswG

2017-03-18 19:55:33
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日光81 @nikko81_fsi

さて、そのほかにも興味深いのがたくさん。本当は清水寺の勝軍地蔵像を見に行ったんですけど、それだけでなく。甲州文庫古府中絵図には、字名として残る屋敷跡の位置がわかる、今の屋敷跡看板の元ネタですよね。個人的には畑の名前に「長閑畠」ってのがあってクスクス・・・ #桃と桜と信玄

2017-03-18 19:58:36
日光81 @nikko81_fsi

一般的には、二十四将に入らない?からか、看板にはなっていない「曾根下野守」の屋敷跡も書いてあったのに目がいきました。曾根さんもほしいよ・・・? #桃と桜と信玄

2017-03-18 19:59:50
日光81 @nikko81_fsi

壁に印刷してあった、柳沢文庫「甲府城下絵図」柳澤吉保・吉里が甲府を納めた時代の甲府の絵図なんですが、甲府城はまったく見ず(笑)古府中をガン見(笑)今は廃寺になっている永慶寺のそばに、「信玄公御火葬場」とあったのに、驚きました。ちゃんとそう認識されてたのね。#桃と桜と信玄

2017-03-18 20:04:45