武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会と山梨県立博物館「梅と桜と信玄公」

西曲輪の発掘状況の見学、信玄公屋形図・古府中絵図、甲州文庫「武田晴信信玄像」、柳沢文庫「甲府城下絵図」について。
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日光81 @nikko81_fsi

吉里が甲斐を出たのは享保9年(1724年)のこと。そして火葬塚から石棺が出てきたのが、安永8年(1779年)どうもこの石棺は怪しいということなんですけど、石棺はさておき、信玄公が荼毘に付されたというのはこの当時から岩窪だった認識ってことになりますね。#桃と桜と信玄

2017-03-18 20:07:24
日光81 @nikko81_fsi

あとは、大泉寺信虎画像、法泉寺勝頼画像の刷物。勝頼画像は250回忌の際に、信虎画像は大泉寺でも行われた機山公祭の際に、参詣者向けに刷られたかも?みたいな解説。精度はともかく、刷って頒布されてるってことがすごいよね。#桃と桜と信玄

2017-03-18 20:11:48
日光81 @nikko81_fsi

甲斐国志によると大泉寺には信虎信玄勝頼三代の像ありってことらしいのですが・・これが沿うかはわかりませんけど、甲州文庫に掲載の「武田晴信信玄像模本」この信玄公しらない…曰く、武田逍遙軒が描いた原本を安富元実が安永4年(1857年)に写し、さらに狩野雅信が模写したとか。#桃と桜と信玄 pic.twitter.com/jL6OjAwwHg

2017-03-18 20:16:25
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日光81 @nikko81_fsi

全身像もあって、スケッチ的で簡略的に描かれてはいるんですけど、今に他では伝わっていない、入道後の姿で、法衣を身にまとっています。眼光鋭く、下唇をかむ不動明王スタイル。、髭は短く、法衣と刀拵に武田菱。法衣の襟の辺りに花菱が。右手に閉じた武田菱入り扇子、左手に数珠。#桃と桜と信玄

2017-03-18 20:19:42
日光81 @nikko81_fsi

ホントに逍遙軒が描いた真像から模写、また模写したかはわかりませんが、とりあえず江戸時代に信玄公が描かれるというと「あの」諏訪法性兜のヤツばかりだと思ってたんですけど、それ以外にもあったんだというのが興味深いですね。手元の若い頃の画像と比べて面長なのは似てるかも? #桃と桜と信玄

2017-03-18 20:23:20
日光81 @nikko81_fsi

てことで、4/17まで #山梨県立博物館 @kaiseum_ypm で展示中の #桃と桜と信玄 企画、ぜひ武田に関心のある方は行ってみてください。常設展の一部で関連展示数は少ないですが、なかなか興味深いです。同時にブータン展も開催中。あの若き国王夫妻の御召し物も展示。 pic.twitter.com/QcZNg7Z8NC

2017-03-18 20:30:00
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