#まなざし村 民や #ツイッターレディース のようなのが無駄に声が大きいから「女は理性的じゃない」とか「女は感情で考える生き物だ」なんて偏見が生まれ、女性の発言力がどんどん低下していったんでしょうね。 ほんと女性にとっても害でしかない。
2017-03-20 02:56:51「XXのせいで集団Aに対してOOという偏見が生じAが不利になる」という言説は、XXが実際にOOであったとしても、偏見を作りあげる側・差別者側でなく対象者に帰責するという点で問題があります。古典的な差別荷担の形です。こうした発言が反規制派で相互批判されないならば、とても残念に思う。 twitter.com/chasyan/status…
2017-03-21 12:55:19私は歴史的経緯の考察を語ってるだけであって、別にこの考え方を肯定してる訳でも支持してる訳でもありませんよ。偏見の構造を解析する事は、それを解体する為にも欠かせません。 twitter.com/hyougen0/statu…
2017-03-21 13:05:09ディフェンスになっていません。「この考え方」とは「女は理性的じゃない」「女は感情で考える生き物だ」という偏見のことですよね。私はきゃしゃん氏がそうした偏見を信じているという批判をしているのではありません。→ twitter.com/chasyan/status…
2017-03-26 08:56:16→『まなざし村民やツイッターレディースのようなのが無駄に声が大きいから「女は理性的じゃない」とか「女は感情で考える生き物だ」なんて偏見が生まれ、女性の発言力がどんどん低下していった』と言うとき、→
2017-03-26 08:57:03→もし、「まなざし村民やツイッターレディース」と今呼ばれている人々の登場以前に、女性への偏見が生まれていなかったと考えるならばそれは誤りですし、→
2017-03-26 08:57:45→もし、『のようなの』という言葉で、「感情的」な人、「論理的でない」主張をする人全体を指しているのだとすれば、「感情的な」女性の声が「無駄に大きい」せいで「女性は感情的」という偏見が生まれた、と言い換えられます。 この仮説は以下の2点で問題があります。→
2017-03-26 08:58:43→まず、「無駄に声が大きい」とか「目立つ」と言うとき、そこには認識や価値判断の問題があります。例えば、女性は感情的という偏見を信じている人、或いは信じていなくてもその偏見的言説に多く接している人にとっては、認識の段階で、感情的な女性に目が留まりやすくなるということがあります。→
2017-03-26 09:00:35→つまり、仮説設定において、自らが女性の「理性的な」大きい声を過少認識している可能性を見落としている。またもし、男女問わず「感情的な」声が「理性的な」声より目立つというのなら、なぜ感情的な男性のせいで「男性は感情的」という偏見が生じなかったのかという問いが生じます。→
2017-03-26 09:01:19→そして次に、「偏見の構造」を解析するのに、そもそも差異を「原因」とする論は有用ではない。つまり、差別者側は恣意的に最も都合の良い理由を付けてその集団を貶めるので、差別者にとって、作りだす「原因」は何でも良いのです。ゆえに、偏見の「原因」を対象者側に見出す議論は無意味であり、→
2017-03-26 09:01:59→「偏見の構造を解析」するのならば、差別者がどのように差異を「原因」に仕立て上げているのか、どのように差別が正当化されるのか、という差別する側の論理・プロセスを解き明かしてゆくべきです。→
2017-03-26 09:02:29→以上のように、問題のある仮説を真実であるかのように論じることは、「偏見の解体」どころか、「歴史的経緯の考察」といった「中立・客観・学問的」視点の名の下に、偏見をかえって正当化・増幅してしまう。→
2017-03-26 09:02:55→そして、仮説そのものの問題だけでなく、その「原因」論に基づいてその「原因」保有者を「害」とみなすことは、重大な差別荷担です。被差別集団の一部の「悪」に対して「あなたたちがそんなだから差別されるのだ」とする「自浄」言説は、しばしば被差別集団内からも声があがりますが、→
2017-03-26 09:03:27→一部の女性が「女性にとっても害」であるというように、誤った仮説に基づいて被差別集団内に対立構図を作りだすことは、スケープゴートによって、偏見を作り出す側から焦点をそらすことでしかない。
2017-03-26 09:03:52