『ゲンロン0』付録メモ

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池内 @barthesisim

東浩紀著『ゲンロン0』付録の読書メモ。この付録では、観光客という概念がこれまでの著者の仕事とどのように接続しているのかについて、理論的な背景とこの数年の実践との関係を整理することでクリアにしている。具体的には、「二次創作」とその相似としての「福島第一原発観光地化計画」について。

2017-04-07 11:30:10
池内 @barthesisim

東は、「観光」という言葉こそ使ってこなかったものの、「ふまじめな存在」については考えてきたと述べている。具体的には、「ふまじめな存在」として似た現象として、「二次創作」が挙げられる。

2017-04-07 11:33:05
池内 @barthesisim

続き)「二次創作は(中略)特定の作品について、その一部を抜き出し、原作者が期待した読みかたとはまったく別の読み方を、しかも原作者に対してなんの責任も負わずに「ふまじめに」生み出す働きのこと」であり、「それは、観光客が、観光地に来て、住民が期待した楽しみかたとはまったく別のかたちで

2017-04-07 11:38:10
池内 @barthesisim

続き)楽しみ、そして一方的に満足して帰るありかたに構造的に似ている」。つまり、二次創作と観光客は、無責任さが共通している。さらに、「観光も二次創作もともに、最初は嫌われるにもかかわらず、時間が経つにつれ受け入れられ、いつのまにか住民や原作者の経済がそれなしには成立しなくなってしま

2017-04-07 11:42:53
池内 @barthesisim

続き)う、そういう皮肉な過程があるところも共通している」。このような構造は、二次創作に限らないポストモダン社会の一般的な現象だと東は指摘する。つまり、「現代社会においては、ある作品が、それ自体の価値だけで評価され流通することはほとんどない。あらゆる作品は(中略)「他者の視線」を

2017-04-07 11:47:47
池内 @barthesisim

続き)内包した形で消費される」のだ。「他者の視線」とは、他人が評価するものを評価することである。この現象が現代社会の共通したものであるならば、観光にも当てはまるだろう。それを東は、「ひとはしばしば、住民が無自覚に生きている「素朴な土地」がまず最初にあって、次に観光客が発見され、

2017-04-07 11:53:25
池内 @barthesisim

続き)経済的利益と引き換えに素朴さを失っていくという順序で事態を捉えがちである。けれどもほんとうにそうか。」と問題提起する。さらに、「いまはあらゆる場所が、観光客の視線をあらかじめ内面化し、町並みやコミュニティをつくるように変わってしまっているのではないか」と指摘する。

2017-04-07 11:56:51
池内 @barthesisim

続き)そのこと自体の是非ともかく、僕たちはまずこのことを認識する必要があるだろう。「二一世紀のポストモダンあるいは再帰的近代の世界においては(中略)観光客の視線を織り込むことなしにだれもコミュニティをつくれない」。以上の議論から、「観光客とは現実の二次創作者なのだ」という結論。

2017-04-07 12:03:00
池内 @barthesisim

続き)それを現実に実行しようしたのが「福島第一原発観光地化計画」。しかしこの計画(本の出版)は激しい反発を呼んだ。東は、その反論のほとんどが「内容に関するものではな」く「反論に値するものではなかった」と述べているが、社会学者の開沼(福島出身)に対しては、反論を本書で試みている。

2017-04-07 12:14:06
池内 @barthesisim

続き)開沼の主張は、「福島イコール原発事故のイメージを強化する試みはやめ」て、「福島の多くの地域には(中略)原発事故の影響はほとんどない」という事実をまずは啓蒙すべきだ、ということだ。その主張を、東は理解し同意している。

2017-04-07 12:18:04
池内 @barthesisim

続き)東の問題意識は、「まさにそのような啓蒙が万能ではないからこそ、観光地化の提案が必要なはずではなかったか」ということだ。そもそも開沼は、「福島第一原発観光地化計画」の参加者であり、前掲書へ寄稿もしている。そして観光地化の必要性は、チェルノブイリを考えればわかる、と東は述べる。

2017-04-07 12:22:00
池内 @barthesisim

続き)チェルノブイリに訪れれば、そこが想像していたよりはるかに「ふつう」の場所であることであることがわかる(そうだ)。けれど、チェルノブイリに訪れたことがない多くの日本人は、そのような「現実のチェルノブイリ」を想像できるのだろうか。かなり難しいだろう。

2017-04-07 12:26:20
池内 @barthesisim

続き)であれば、福島も世界から「フクシマ」として認識されることを免れることは極めて難しいだろう。そういう現実に対して「まずはフクシマの虚構性に抗うべき」で、この点は開沼の主張と同様であり、繰り返しになるが、東はそれに同意している。

2017-04-07 12:31:51
池内 @barthesisim

続き)それに加えて、東は「福島については、もういちだん複雑な戦略を立てるべきだ」と主張する。現実としての福島がある一方で、世界ではフクシマが生まれ続けてしまう。その構造は、先ほど述べたポストモダン社会の現代において、不可避のものである。ならば、そのような構造を逆手に取るしかない。

2017-04-07 12:39:48
池内 @barthesisim

続き)「フクシマをめぐる幻想は、(中略)再生産され続ける。だとすれば(中略)フクシマの流通を逆手に取って(中略)本来の福島に導くことはできないか。(中略)「事故現場を見てみたい」「廃墟を見てみたい」といった感情を逆手に取って福島の魅力を世界に発信する(中略)ことができないか」。

2017-04-07 12:44:45
池内 @barthesisim

続き)東の戦略はこのようなものだった。すなわち、「ふつうであること(=福島)」と「ふつうでないこと(=フクシマ)」を行き来することで、事故以外の土地の背景に関心が向く。それが狙いだった。しかし残念ながら、そうは理解して貰えなかった。

2017-04-07 12:52:47
池内 @barthesisim

続き)以下は感想。3.11以降、福島に限らず「当事者とその外部」という枠組みが強くなったと感じていて、それは「何かを言う権利を俺は持っているのか」という躊躇いもあるけれど、むしろ「これを言っときゃ差し障りないだろう」という「配慮」が社会を覆っているのでは、とも思う。

2017-04-07 12:59:31
池内 @barthesisim

続き)つまり、ますます「正しいこと」「揺るぎないもの」を僕たちは志向するようになった。それは、リベラル的には反アベであり、保守的には国家の賛美かもしれない。いずれにせよ、「正しいこと」「揺るぎないもの」は、イデオロギーの内容を問わず、連帯することを楽にしてくれる。

2017-04-07 13:08:51
池内 @barthesisim

続き)でも、「正しいこと」への渇望は、近代へ回帰することしか生まない。宮台さんによれば「世界はそもそもクソ」なわけで。笑 東さんが言いたいことは、「ポストモダンの哲学を産んでもいないのに、そこから目を逸らすなよ。俺は作るぜ」ということに尽きる気がする。格好いい。(終わり)

2017-04-07 13:19:54