千葉の資料などから読み取る「幻の本土決戦」全容、沖縄戦の天皇の関与など

本土決戦の全貌、本土決戦に向けた訓練の貴重な証言、沖縄戦における天皇の関与など。@unspiritualized さんのツイートを中心にまとめました。
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nos @unspiritualized

マジか…。ここには本土決戦での住民ゲリラ化計画に関する貴重な文書があるんだが、まさか捨ててないだろうな・・・千葉県史の7巻に部分が載ってるヤツ。 千葉県:戦争公文書500冊廃棄 戦没者名簿など - 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20170…

2017-04-07 09:40:30
なーぐすく @nyagusuku

@unspiritualized 歴史修正のための一歩、まずは廃棄からか? 国外で通用しないご都合歴史なんていらんです!

2017-04-07 14:59:29
日刊法律ニュース+α @LEGAL_NEWS_Jpn

@unspiritualized @kansaiflower 負の歴史についての記録は「誤って廃棄すべし」なんていう空気が醸成されていないか心配です。

2017-04-10 11:58:27

nos @unspiritualized

1000RT超えたので、この資料について少し詳しく紹介します。1945年に陸軍が千葉県に対して要請した『硫黄島失陥後における県民指導要領(その一)』という名称で、『極秘情報綴』の一つ。『千葉県の歴史』7巻p1015〜に登場します。 twitter.com/unspiritualize…

2017-04-09 09:15:42
nos @unspiritualized

これは、本土決戦と住民との関わりにおいて、軍が地方自治外の行政を通して何をしようとしていたかを如実に示す貴重なものです。沖縄戦でも住民の戦闘への巻き込みは行政と軍が連関して為されました。本土で県の文書として残っているのは、私の知る限り千葉県だけです。次に内容を紹介します。

2017-04-09 09:22:31
nos @unspiritualized

『硫黄島失陥後における県民指導要領(その一)』は、表紙に複製を禁じる一文を置き、千葉県が帝都の外郭として本土防衛の第一線であることを県民に認識させる重要性を解きます。軍においては沖縄が本土、皇土の前衛とさせられていたのが、千葉県は帝都の外郭とされており、似たものを感じさせます。

2017-04-09 09:30:20
nos @unspiritualized

文書では、敵の本土上陸の際は、老若男女などの非戦闘員以外の県民は、すべてその場に踏み止まり、敢然武器をとり自衛抵抗に出てあくまで郷土を死守せよ、と説かれています。これは、軍が、決戦場となる地域の住民の退避・保護を想定せず、戦闘要員としての使用を想定していたことの証拠となります。

2017-04-09 09:33:34
nos @unspiritualized

ただし、45年6月23日に公布された義勇兵役法では、男子は15歳に達する年の1月1日から60歳まで、女子は17歳に達する年の1月1日から40歳までは召集され、国民義勇戦闘隊として戦闘に投入されることが法的に決まるので、実際には、沖縄同様、女性も逃げられなかったことになります。

2017-04-09 09:42:00
nos @unspiritualized

『硫黄島失陥後における県民指導要領(その一)』で興味深いのは、さらに住民の担当任務として「特定の人間はゲリラ的部隊を編成したり、諜報に従事したり、連絡そのほかのゲリラ戦術に出ることも考えられる」とある点。こうした記述は九州の軍の文書では頻出しますが、行政にも通達されていたとは。

2017-04-09 09:46:26
nos @unspiritualized

ここまでが当該文書の解説です。関連して、背景を少し。千葉県は、静岡県、神奈川県とともに、アメリカ軍が九州制圧の次に上陸する場所と想定されていました(そしてそれはほぼ当たっていました:コロネット作戦参照)。帝都または松代大本営を守るための、本土決戦の最前線だった訳です。

2017-04-09 09:51:20
nos @unspiritualized

アメリカ軍の上陸地点とされた地域では、通常の軍とは別に、住民ゲリラ化計画が進みます。先の義勇兵役法をベースとし、陸軍中野学校や彼らに訓練された将兵が住民を率いてゲリラ戦を行うというものです。千葉県もこれが進んでいました。これについて明確に分かる資料を次に紹介します。

2017-04-09 09:57:39
nos @unspiritualized

一つは中野校友会『陸軍中野学校』。ここに千葉県での中野将校の動きが詳述されています。ただ、私家版のため、国会図書館など限られた所でしか読むことはできません。そこでオススメなのが、千葉日報社『幻の本土決戦』です。千葉県民は全巻必読ですが、特に重要なのが、第8巻です。これは名作!

2017-04-09 10:02:09
nos @unspiritualized

千葉日報社『幻の本土決戦』第8巻は、中野校友会『陸軍中野学校』とかぶる記述もありますが、千葉担当の中野将校の手記が転載され、本土決戦が起きていたら何が起きていたかがよく分かるはずです。起きなかったから、沖縄以外の人はみんな忘れちゃうんですよね、軍と政府が何をやろうとしていたか。了

2017-04-09 10:07:11

想定された本土決戦とは

nos @unspiritualized

本土決戦での戦いがどのように想定されていたかは、以前こちらで連投したので読んでもらえると嬉しいです。 twitter.com/unspiritualize…

2017-04-09 09:52:49

【以下、連投】

nos @unspiritualized

通常「特攻」というと、陸海軍による航空機に爆薬を搭載して突っ込むことを連想するでしょう。詳しい人は、舟艇による特攻もご存知かもしれない。フィリピン戦で始まった航空機による特攻は推進者みずからに「統率の外道」と自嘲されるとおり、軍事作戦上は正道にもとるものとされていました。

2014-08-03 23:29:33
nos @unspiritualized

沖縄戦になると、数と兵力で圧倒的に米軍に劣る第32軍沖縄守備隊をフォローするのは特攻しかありませんでした。つまり「外道」だったはずのものが「正道」となったのです。この時点で日本がおこなっていた戦争は既に異常なものであることは(軍部にとってすら)明白でした。

2014-08-03 23:32:43
nos @unspiritualized

6月23日、沖縄の組織的な戦闘が終結。大本営が、いや日本が何を考えたかというと、「本土決戦」です。沖縄は「本土」じゃないんですね。とうとう米軍が日本「本土」に攻めてくる、その時に政府、軍の首脳がどう考えていたのか。むろん、勝てっこないことはまともに考えればすぐに分かることです。

2014-08-03 23:37:52
nos @unspiritualized

政府首脳の中にも、戦争をやめて、降伏し、和平を結ぶべきだという勢力は存在しました。しかし、沖縄戦終結の昭和20年6月の時点では、彼らの主張は「たしかに和平を結ぶべきだが、こうやられっぱなしでは不利な講和となる。一泡ふかせてからにしよう」レベルの認識でしか浸透していませんでした。

2014-08-03 23:41:06
nos @unspiritualized

では、当時、日本が、軍の最高幹部たちが考えていた「本土決戦」とはどのようなものだったのでしょう。実はこれは大きな図書館に行けば誰でも確認できます。戦後、参謀などの軍の幹部たちが執筆した「戦史叢書」というシリーズがあります。その中の2冊「本土決戦準備」の九州編、関東編を読めばいい。

2014-08-03 23:45:21
nos @unspiritualized

他にも色々ありますが、僕のおすすめは「GHQ歴史課陳述録」ですね。これは戦後GHQが旧日本軍の参謀クラス以上の軍人に聞き取りをしたもので、裁判等とは無関係のため、かなり率直な「本土決戦」計画の輪郭が語られています。まあ要は大きな書店や図書館に行けば確認できるってことです。

2014-08-03 23:48:54
nos @unspiritualized

では、これらから見えてくる「本土決戦」計画とは・・・。まずその規模ですが、大きく分けて九州、東海〜関東です。米軍も前者にオリンピック作戦、後者にコロネット作戦と名付け(合わせてダウンフォール作戦)、日本はほぼそれに対応する準備を進めていたのです。

2014-08-03 23:52:17
nos @unspiritualized

九州、そして東海や関東での「本土決戦」の内容はどのように想定されていたのか。結論からいうと、これらは【陸上における特攻】なのです。ちょっと理解できませんよね、いきなりは。これまで空・海でやっていた特攻を、陸上で、はるか巨大な規模で決行する。これが「本土決戦」計画の実相です。

2014-08-03 23:56:45
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