「生存と淘汰の見えざる手」について@u3jinが@hirougaya氏と話して見えてきたこと
「自由な議論を保障するために、この国は人を傷つける主張までも守ることを選んだ」(米国連邦最高裁長官ジョン・ロバーツ)ニューズウィーク日本版3/16日号より
2011-03-10 00:59:51戦死したゲイの海兵隊員の葬式で「死んでざまあみろ」とプラカードを掲げたキリスト教原理主義団体のデモを遺族の父親が訴えた。連邦最高裁は8−1で「合衆国憲法修正一条」(言論の自由)に基づき、プラカード側に勝訴。遺族側は敗訴。確定。
2011-03-10 01:09:50「言論の自由には、相手を不快にする自由も含まれる」と1964年に連邦最高裁が判決している。2011年、まったく微動だにしていませんね。
2011-03-10 01:10:39日本人なら、こういう「いやがらせ」「死者を冒涜する」言論を「憲法で保障された言論の自由の範囲として保護する」と言えるかな?また裁判官がこういう判決を出す勇気があるかな?
2011-03-10 01:11:56自由=何でもアリ…「自由と何してもいいは違う」と育てられた私としては混乱 RT @hirougaya: 戦死したゲイの海兵隊員の葬式で「死んでざまあみろ」とプラカードを掲げた(略)デモを遺族の父親が訴えた。連邦最高裁は(略)言論の自由に基づき、プラカード側に勝訴。遺族側は敗訴…
2011-03-10 01:19:11@OTONAKANA そうです。「裁判所は自由という価値を守るのであって、お前らの言動の価値は市民が決めるのだ」ってことですね。
2011-03-10 01:15:58@hirougaya 生存と淘汰の見えざる手・・・ですね。この表現はとても美しいです。そして良く切れるナイフみたいです。
2011-03-10 01:18:05@hirougaya @OTONAKANA ああー、そっかー!日本のおばあちゃんが言うところの「お天道様が見てるよ」に近いのかなー。<生存と淘汰の見えざる手
2011-03-10 02:08:13@HariHariHaru3 さきほどの連邦最高裁判決は、父親側に500万ドルの損害賠償を認めた連邦高等裁判所の判決をひっくり返した逆転判決。
2011-03-10 02:15:43「裁判所は言論の自由って部分で判決出す。この人たちの行為が好ましいことかどうかはあなたたちで判断しなさいよ」ってことか。そして私たちの判断でそれは淘汰されていくんだ。だから私自身が行為をどう判断するかどうかで、いいんだ。それでいいんだ。混乱が整理されてきた。@hirougaya
2011-03-10 02:29:27@u3jin ご名答。だから判決は彼らの国是からすればこうなる。プラカード掲げてデモした人たちについて市民=ぼくらが判断すればいいのです。裁判所じゃなくて市民が決める、とはそういうことだと思う。生存と淘汰の見えざる手。
2011-03-10 02:38:10@hirougaya はい!自分の考えを持ち判断する人間になろうと思います!…日本裁判も米国のようだったら「裁判所は言論の自由で判決しまっせ」あとはオリコンの私怨まみれな姿とサイゾーのいい加減さと烏賀陽さんのバカ正直さを私たちが見てれば自ずと淘汰の結果が出るってことでしょうかねぇ
2011-03-10 02:49:56@u3jin 日本の裁判所は市民が判断すればいい領域にまで裁判官が「ほれほれ、こう考えるのだよ」と口を出しているともいえます。これは市民の判断力を低く見ている、といえるのではないかな。
2011-03-10 02:57:43@hirougaya 「君たちじゃその辺判断できないでしょ」とも捉えられますものね。でもそれって裁判所だけじゃなくて、私たちシチズン(市民)にもそう思ってる人いるのではないでしょうか。私は「私たちで判断すればいいんだ!」と明るくなれたのは私たちの判断を信じてるから(続く)
2011-03-10 03:14:34@hirougaya 自分たちの判断を信用できないor誰かに判断を任せたい人は「裁判所がそこんとこ判断してよぉ」とお任せしたくなるのでは。だから裁判所だけのの問題ではないような。日本では(私は日本しか知りませんが)サブウェイ・スタバひとつ見ても「お任せ傾向」があるし…。(終わり)
2011-03-10 03:15:08だからアメリカの裁判所の判決を「市民感情を代弁してくれるお上」という日本人的裁判所観で見ると「こいつら血も涙もない」「自由の意味をはき違えている」となるのでしょうなあ。
2011-03-10 02:59:45フリックでのろのろ返事してたら既に回答がココに…。同じこと書いたなぁ。了解です! RT @hirougaya: だからアメリカの裁判所の判決を「市民感情を代弁してくれるお上」という日本人的裁判所観で見ると「こいつら血も涙もない」「自由の意味をはき違えている」となるのでしょうなあ。
2011-03-10 03:25:41「裁判所は民主主義の価値(自由、権利)を守るところであって、市民感情を代弁する機関ではない」とアメリカ人の法律専門家(弁護士など)はそろって言うのです。
2011-03-10 03:14:43それは「市民の判断は市民がすればいい」という市民への健全な信頼がありますし、また市民の側の裁判所(職業裁判官)への懐疑もあります。「そんなこと、裁判官に決めてもらわんでええ」という発想です。
2011-03-10 03:15:56アメリカ憲法では「裁判を受ける権利」は"right to a jury"=陪審員裁判を受ける権利、となっています。つまり職業裁判官ですら権力は信用せず、市民判断を優先させるという発想です。ここまでの権力懐疑と市民への信頼は日本にあるのだろうか?
2011-03-10 03:17:40「ゲイの海兵隊兵士が死んでよかった」というプラカードが合憲であるとアメリカ連邦裁判所が判決したとしても、その文面が示す内容について無害だという決定にはならない。不快で人を傷つける内容でも、表現する権利は保障される、としか言っていない。文面の価値は市民が決めることだ。
2011-03-10 03:25:56そもそも、民事裁判所は発言や表現の価値を決定するところじゃない。真実を発見する場所でもない。そう考えておかないと、とんでもない損害が起きる。
2011-03-10 03:27:29