ゲーム芸術論・批評論(仮)
内部世界と外部世界を繋ぐインターフェイスとして身体を意識した表現主義舞踏家達だが、果たしてそこにおける身体の役割とは何だったのか。身体は感覚以外に何かを媒介したのだろうか。
2011-01-08 19:41:18日本人の、特に若年女性のファッションは非日常性が固着しすぎだよな、と議論を蒸し返す。ファッションとアニメ文化を共に裏支えしている現実乖離性への無頓着或いは希求の根深さに改めてビックリする。海外だったら確実に浮くよなあ、あんなでっかいゴテゴテした装飾的なな靴とか履いてたらとかー。
2011-01-09 11:04:01とはいえ、今、丈が長すぎるせいで、重みでバネみたいに縮んで、削り売り用に回ってるケバブみたいになってるブーツ履いてる人がいて面白かった。意図してかせざるか、錯視効果で歩みがブレて見えるんだよね。ってこと考えながら俺はガン見してたわけなんだがね。
2011-01-09 11:17:05みんなの前でアタフタしてみんなで盛り上がれる、キネクトですね(*´Д`*) RT @MUNETATSU: サンシャイン噴水広場でキネクト体験会! 明日までやってます! http://twitpic.com/3odn7h
2011-01-09 15:37:43ここあんさんうまい表現だなあ。みんなの前であたふたしてぎこちなさを晒す様がまた、面白いんだよなあ。いやー、いいっすよキネクト。コントローラー握らないっていうのは、予想外の波及効果を産んでると思う。
2011-01-09 15:45:34人は凍てついた炎に触れたときから、楽しい(fun)だけでなく愉しい(interesting)と感じられなければ満足できなくなってしまったんだろうなあ。人間にとって究極の資源とは愉しさで、それが尽きたとき人間は燃え尽きてしまうんじゃないかなあ。
2011-01-12 05:32:21@Hanikamifox ダンガンロンパは未プレイなのですが、ゲームに内在する暴力性をあざとくコミカルに偽装したユニークな作品という印象があります。ドラッグオンドラグーンに近いものを感じますが、ゲーム批判というか、反ゲーム的ゲームとして、不気味ながら思わず気になってしまいます。
2011-01-15 22:39:27ゲームの場合、まず動機を与え、次に情報を与えて仮説を立てさせ、実践の機会を作ってそれを検証させ、正解なら報酬を与えるように設計する。仕組みとしては学校教育とそんなに変わらないが、教科書の場合まず動機を与えるところで失敗しているように思える。
2011-01-22 16:49:38障害者がお笑いか。お笑いの本質は、誤解と蔑みをポジティブに昇華することだと思うけど、あえてそこに障害者が踏み込むということの意味は大きい。本気で差別に向き合う気があるなら、自身に向き合う姿を見せるに、お笑いは最もラディカルな手段だ。
2011-01-23 02:21:43お笑い、特に漫才の起源は見世物文化に行き着くのだろう。それぞれボケは反社会的存在を、ツッコミはアウトサイダーの矯正を試みる監督者を演じる役者だ。そこにはビヘイビアへの統制が、慣習化しつつ暗に身を潜めている。
2011-01-23 12:15:19ちなみに、小島よしおは、あえてアウトサイダーを演じて、既存の権威に噛み付く形でボケをなすりつけるという前衛として俺は見ていたんだけど、無意図なギャグを自分のセールスポイントと考えて、コミカルな行動で客の関心を煽ろうとしたから他の芸人の間に埋もれてるんだと思う。初心に帰ってほしい。
2011-01-23 12:18:08ゲーム批評の難しさは、単純にゲームのプレイ時間が膨大なことが1つにある・・・沢山のゲームを結びつけて論じることが難しい。だから60時間もかかってクリアするスタンドアローンのゲームは好ましくないと思う。PDCAサイクルも低速になる。ストーリー重視であればストーリー特化でいいと思う。
2011-01-27 14:58:35「ガチムチ」は「萌え」のアンチカルチャーだからこそ「誰得」そして「俺得」たりえるのだと思う。始まりはエロスのイデオロギーに追随することに抵抗感を示した人たちが投稿した釣り動画としての「兄貴」で、それが素っ頓狂な空耳でコミカルに粉飾され、徐々に風刺の対象まで巻き込んでしまった。
2011-01-27 23:30:36「ガチムチ」は-ただの-アンチカルチャーに留まらない。コミカルの粉飾は風刺の毒を都合よく抜き差しして、時に「兄貴」は理想的な体躯のシンボル、または珍妙な日本語を操り寸劇を演じるコメディアンとして、無邪気なアイコンとして仕立て上げられる。
2011-01-27 23:37:47とはいえ「ガチムチ」の根底にそもそも、性的マイノリティとしての彼らを揶揄する行為が存在し、コメディの装置として機能していることは間違いない。加熱するエロスにガチムチを並列することで、その悪食を非難するメタファーが成立するためだ。
2011-01-27 23:44:41絵画にナントカ派とかいろいろあるみたいに(前期ラファエロ派とか、バルビゾン派とか)、ゲーム開発にも、主義主張に基づいてナントカ派とかあっていいよなあ。
2011-01-29 00:46:19思想地図とか芸術闘争論とかの売行きからしてポストモダンに対する挑戦は割と順調そう。これらの本が共観テキスト的にtwitter上で共有されている。村上隆は西洋には「文脈」つまりポストモダンにありえないはずのナラティブがあると主張している。
2011-01-29 08:30:17批評の価値は、既存の古びた価値観を暴露し、朽ちさせるための破壊活動だが、それは必ず、グラウンドゼロに芽吹くポテンシャルを提示する義務を伴う。批評の破壊的創造が正常に機能しなければエンタメは肥大してぶよぶよになる。
2011-01-29 17:14:06他方、エンタメ作るにとって批評とは自身の価値を描き出す鏡であるとともに、自身が一度用いた手法に制限を加えようとする警察的存在でもある。エンタメ側は、既存の価値を破壊しつつ、新たな価値を提示するために常に駆り立てられ、創造的破壊を行う。
2011-01-29 17:17:44@hahiguki みんなスルーしすぎだから批評が機能しなくなるのよ。ああいうオオカミ少年を野放しにすると、伝説のゴールデンオオカミが出たって誰も気にしなくなって、折角の逸材が埋れてしまう。だから、扇動者の口を塞ぐのは結構大事だと思う。
2011-01-30 01:18:58伝統芸能、っていう風化した響が嫌なんだよ。能ってすごいポテンシャルを持ってるとおもう。歌舞伎や狂言より。蓄積された表現技術のノウハウを、もっとオープンにしてほしい。ちなみに、脚本とかはThe 能.comで見られます。
2011-01-30 21:06:35問題は、古い知識は大抵古い思考様式で書かれていること。だから現代でオープンソース化しても、なかなかアクセスできない。きちんと論理的に整合性つけて現代化しなければいけない。「現代風」はよくない。
2011-01-30 21:08:36@kiyoshi_shin 新さん、初めまして。私もゲームの批評文化を刺激していく方法を考えているのですが、ユーザー同士のコミュニケーションから批評をモチベートさせる、といった試みは、現在行われているでしょうか?不躾な質問で申し訳ございません。
2011-01-31 16:31:26