映像の「音読」と「黙読」——ト書き・ナレーション・おはなしの位置

戦前〜戦後のレトロ写真氏、暇爺→日中両文・何清漣「中国2015」氏、king-biscuit氏、ジョエーウ氏、taq-x氏、和田尚久氏、小谷野敦氏の一連の書き込みが個人的に興味深かったので、備忘にまとめました。
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戦前~戦後のレトロ写真 @oldpicture1900

1924-1928(大正14年-昭和3年)。雑誌『少年倶楽部』で大人気を博した小説『神州天馬侠』(原作・吉川英治、絵・山口将吉郎)です。山口将吉郎の絵は細密で迫力があり、吉川のドラマチックな原作を大いに盛り上げています。写真は挿絵と大日本雄辯會講談社による単行本の広告です。 pic.twitter.com/6dFNnA3Vcc

2017-04-13 01:05:31
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暇爺 :趣味は2輪と猫と何・程両氏の大雑把翻訳。 @Minya_J

ジジの小学生の頃までは、こういうのが「漫画」とは別の、「絵物語」という分野であって、文字は読めなくても、なんとも不思議なある種のエロチシズム(なんて言葉はガキだから知らんかったが)、胸躍らせる力を持っておりましたな。今なら、…なんなのだろう(・・?) twitter.com/oldpicture1900…

2017-04-13 01:08:43
king-biscuit @kingbiscuitSIU

「絵物語」ってあれ、映画の影響でああなっていったところあるはずでな。「おはなし」を「読む」ことにシンクロしてイメージ≒「映像」が喚起される度合いが増幅されるようになって、それが紙面に反映されて、てな経緯で。#雑なことを言う

2017-04-13 01:16:01
king-biscuit @kingbiscuitSIU

そのへんの議論、昨今どういうことになっとるのかよう知らんのだが、いわゆる「挿絵」と「絵物語」の絵との間にゃ割と不連続があるような。たとえば「動き」が前提になっとったりするところとか、な。 twitter.com/kingbiscuitSIU…

2017-04-13 01:17:27
ジョエーウ @joejoeu

@kingbiscuitSIU そういえば紙芝居って映画以降ですか…?昭和以降とかいうなら正に。 立ち絵紙芝居は人形劇のペーパー版だし…

2017-04-13 01:19:58
king-biscuit @kingbiscuitSIU

@joejoeu そのへんマンガ論界隈だと「コマ」の発生とか、結構ねちっこい議論&検証が少しずつ進展しとらすようではありますが、紙芝居は紙芝居でおっしゃる立ち絵なんかと地続きとしてだけ考えてええのか、とかいろいろまだ整理せにゃならんところがあるように思います。なかなか手がまわらんのでアレですが……

2017-04-13 01:22:36
taq--x @taqueshix

RT 草双紙→(絵画小説・大正期)→映画ストーリー絵物語・漫画みたいな感じだろう。挿絵と紙芝居の中間のような。

2017-04-13 01:32:38
ジョエーウ @joejoeu

うーんなるほど…もうトーキー映画が出てきた頃、活弁士の転職先としても平絵紙芝居があった、みたいなこと書かれてるな。 そりゃ映画そのものになるわな。

2017-04-13 01:30:32
king-biscuit @kingbiscuitSIU

「活弁」「弁士」が「映画説明」だったことの意味。映像は「説明」されんとあかんかったわけで。映像が主体で「説明」は従、的な。でもことばによる「説明」≒キャプション的な補助線がないと映像は「わかる」に届かなかったらしいこと。少なくともかつてのポンニチ感覚としては、とか。

2017-04-13 01:35:58
ジョエーウ @joejoeu

あー、活弁って小説でいうト書き部分も喋っていたのか。 落語に非常に近いものがあるな。

2017-04-13 01:41:20
king-biscuit @kingbiscuitSIU

@joejoeu 複数でそれぞれ演じながら語る、というのもあったようで。ほとんどアテレコ的声優のはじまり、みたいなもんで。あるいはラジオドラマの原型、とか。

2017-04-13 01:42:35
ジョエーウ @joejoeu

@kingbiscuitSIU じゃあ観客も結構うるさかったんでしょうかね。 芝居小屋と地続きすぎる。 トーキー映画が出てきた時の世間の衝撃と変化に興味でてきました。

2017-04-13 01:44:28
king-biscuit @kingbiscuitSIU

@joejoeu 連鎖劇、なんてのが割と早くから見世物的にやられてたことなど考え併せても、「芝居」的な映像の見方やとらえ方、ってのは基本だったんでないかと思うとります。

2017-04-13 01:45:28
king-biscuit @kingbiscuitSIU

映像美とか何とかそういう映像の見方って、いわゆる西欧的「絵画」の下地がないと成り立たんかったんでないかいな、とか。テレビの公開録画やそれこそ歌番組なんかでも、茶の間に入り込んできた「上演」「実演」だったりしたところあるわけで。

2017-04-13 01:48:53
和田尚久 (蕩尽) @naonao200170

RT.面白い提起。むかし、田舎の人が東京で芝居を観て、それが黙阿弥ものか何かで義太夫ナシだった。で、その人は「今日は芝居をやってなかったよ」と感想を述べた。つまり芝居=義太夫狂言を指した。「画面外の声」ー「天の声」ー「語り手の存在」がある時期までの日本人には必要だったのだと思う。

2017-04-13 01:48:38
和田尚久 (蕩尽) @naonao200170

その名残が「映画説明」にはあったのだろう。

2017-04-13 01:50:00
小谷野敦とちおとめのババ・バロネッタ @tonton1965

@naonao200170 ナレーションがないほうが藝術的だという意識ってありますね。これは没理想論争ですが。

2017-04-13 03:12:33
king-biscuit @kingbiscuitSIU

ことばによる意味づけ≒しかも「おはなし」的脈絡コミでの、という補助線あって初めて、「眼に映ずるもの」も「見る/わかる」ものになるという感覚と、それを規定してきたはずの「文化」「民俗」レベル含めての縛りについて。#わけのわからないことを言う

2017-04-13 01:51:46
king-biscuit @kingbiscuitSIU

二人羽織とか腹話術とか、なんかそういう水脈とも関わってるはずだよなあ、とはかねがね。

2017-04-13 01:54:13
king-biscuit @kingbiscuitSIU

トーキーになってかえって映像の「黙読」(ヘンな言い方だけど)の習慣が浸透したのかも知れん。

2017-04-13 07:09:22