2011年3月10日

内海桂子師匠の東京大空襲証言

1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲について内海桂子師匠がTwitterで貴重な証言をツイートしてくれました。 これはとても貴重なツイートだと思い、まとめてみました。 みなさん是非目を通されてください。
7
内海桂子 @utumikeiko

三月十日の東京大空襲で下町の人間は誰しもが死ぬ可能性があった。私達家族四人は日に日に激しくなる米軍の空襲に荷物をまとめて何時でも逃げられるようにしていたが、まさかこれほど激しい攻撃を予想も出来ず焼夷弾が落とされてからは何処を見ても火の手が上がり逃げていく方向すら見出せないでいた。

2011-03-09 20:33:42
内海桂子 @utumikeiko

(続き)国際通りの交差点に来ると日本刀をかざした褌一丁の男が「逃げるな」と叫んでいた。我々は近くにあったブリキで火の粉を避けて数時間そこでうずくまって火が通り過ぎるのを待っていた。近くの隅田川に逃げた人達は川に飛び込んでも身動きできず焼死、溺死数万人。私達は褌の人に助けられた。

2011-03-09 20:40:55
内海桂子 @utumikeiko

(続き)その後物凄い空襲は無く下町は焼け跡と死体の後始末でてんてこ舞いしていた。屋根のある家屋には一寸の縁さえあれば当然のように人がやってきて住みつくようになり、私共は変に居ずらくなった。そんな時足立区西保木間で義父の兄弟の家が空くという知らせがあった。高射砲陣地のすぐ隣だとか。

2011-03-10 17:27:34
内海桂子 @utumikeiko

(続き)西保木間はご亭主が出兵中で奥さん一人。高射砲陣地の隣なので毎日大砲の音が物凄くノイローゼで田舎に帰ったとか。私達は直に引越し、といっても着のみ着のままで移りました。音には慣れているので敵機が来るとそれ打ち落とせと見ていましたね。当ったと皆で喜ぶと日本の飛行機だったりして。

2011-03-10 17:36:41

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?