【三国志】魏の浮華の徒と「画餅事件」についてのまとめ
考えられるのは、二人とも中核メンバーではなく、特に丁謐はフォロワーの位置だった。そのためパージが起きた時も余波が小さく、後に曹爽の猛プッシュで烈祖様の代に復活したし、畢軌も烈祖様側近だったことで信任は変わらず、やらかしてもなお召還はされなかった、とか。
2017-04-14 22:57:59画像訂正。浮華の徒こと四聡八達三豫の候補リスト、TLの皆様の議論もベースにブラッシュアップしてみた pic.twitter.com/F0zL872bZX
2017-04-14 23:27:40魏略の李勝についての記述によると、浮華を禁じた時の処置として、関わっている人間があまりに多いから結局許され、処分は「禁錮数歲」で済んだとある。「数歳」って2,3年のイメージ。青龍の中頃には復帰を許されていたのではないか。鄧颺みたいな重い奴は正始まで禁ぜられたようだが。
2017-04-15 23:23:04董昭伝を見るに、諸葛誕と鄧颺こそが浮華の代表であるように読める。董昭に批判された彼らの行動は、徒党を組んで互いを褒め合い、自分たちに与す者は褒め、外れたものを貶めるというもの。また、禁奥に密かに人を送り、宮中深くまで交際の輪を広げていた。そしてその数はあまりに多かったと。
2017-04-16 00:13:55董昭が言ったように、浮華が奴客を家人として禁奥に出入りさせていたとすると、そうすることができる人物が、彼らの活動の中心近くにあったことになる。台閣はそこまで行けないので尚書ではない。中書か黄門だろう。
2017-04-16 23:00:05しかし、仲間内で互いに褒め合うだけでは、官職には就けないはず。何らかの方法で人事に介入できてこそ、自分たちのコミュニティを人材登用に反映させられる。それがどういう方法なのか、ということを考える必要があるかもしれない。 twitter.com/Jominian/statu…
2017-04-16 23:13:58そして今さら省み始める火付け役
きょう1日、仕事をしながら画餅事件と浮華のこと考えてたけど、ふと思ったのは「浮華の面子と親交あるからそいつも浮華」としてしまっていいのだろうかということだった。浮華と書かれている、司馬師のように明らかにパージされている、それに関する記述がある奴くらいに留めるべきなのではないか
2017-04-15 23:10:54すごいお前が言うな感あるけど、例えば司馬懿は曹丕四友(これも眉唾ではというのは一旦置いておいて)だが、別に曹丕と趣味は近くない。なんせ詩がアレであるし、親友といえる呉質とは随分異なる。無論、太子付とプライベート込みのグループは違うだろうという指摘も受けねばならないが……。
2017-04-15 23:13:09擁護派さんじゃないけど、当時も烈祖様含めてそういうのはあっただろうし。魔女狩りや、隣国の半島や大陸のアレとかアレみたいになりかねないのは勇み足かもなあ、と思うのであった。
2017-04-15 23:15:22なお、同時期の呉では
皇太子になった孫登が「魏では四聡八達という期待の若手グループがあるらしい……。せや! うちでもそういうの作ったろ!」と思いついて胡綜にあんなべた褒めの賓友目を書かせた説、多いにあると思います。
2017-04-22 01:49:42