KOMIYA Tomone氏による【差別】というコトバの理解について。
これはちょっと暗澹とした気持ちになりますね。 エミコヤマ氏「マジョリティをいくら罵倒してもそれは差別ではない」 togetter.com/li/1106577
2017-05-04 08:57:55日本語の「差別」には少なくともふたつの意味があって、ひとつは単に「異なって扱う」をするという記述的意味。典型的には「類似商品との差別化」とか「無差別殺人」とかいうときの「差別」ね。必ずしも悪い意味を含んでいない記述的用法。
2017-05-04 08:58:50もうひとつは社会問題としての差別を指すときの用法で、こちらは悪い意味を含んでいる評価的用法。どう定義するかは厳密にはいろいろ考えがあるけど、大雑把には「ある人をその人が属するカテゴリーゆえに貶めたりその人に害を与えたりすること」くらいに捉えておけばいいでしょう。
2017-05-04 08:59:18さて罵倒と差別の「悪さ」の違いについて考えるには、まず「差別」の記述的用法と評価的用法とを区別した上で、後者と罵倒の関係について少なくとも以下の四通りくらいは区別できていないといけないです。
2017-05-04 08:59:441)「AさんがBさんを罵倒した」 2)「AさんがBさんをBさんの属する歴史的に不利益処遇を受けてきたカテゴリー(女性、黒人、障害者…)ゆえに罵倒した」 3)「AさんがBさんをBさんの属する歴史的に有利な処遇を受けてきたカテゴリー(男性、白人、健常者…)ゆえに罵倒した」
2017-05-04 09:00:314)「Aさんは歴史的に有利な処遇を受けてきたカテゴリーに属し、Bさんは不利益処遇を受けてきたカテゴリーに属し、AさんがBさんを罵倒したが、Aさんの罵倒はBさんの属するカテゴリーゆえではなかった」
2017-05-04 09:00:49(1)と(2)の違いが、典型的な単なる罵倒と差別の違い。後者の場合Bさんは罵倒の被害を受けているだけでなく自分の属する被差別カテゴリーゆえに被害を受けているという点で、差別の被害も受けている。
2017-05-04 09:01:27だから、他の条件が等しければ(1)よりも(2)のほうが悪い。ヘイトクライムが単なるクライムと区別されるのはこの理屈。ここまでは簡単な話ですね。
2017-05-04 09:01:53(2)と(3)の違いは、「マジョリティ/マイノリティ」の区別にかかわる話でもうちょっと複雑。(3)を差別と呼ぶかどうかはまあ定義次第だけど、いずれにせよ重要なのはカテゴリーのタイプによって行為の悪さの重みは異なってくるよということ。
2017-05-04 09:02:25歴史的に不利益処遇を受けてきた被差別カテゴリーゆえの貶めは、まさにその歴史を現在において継続させることであり、それゆえ被害を受ける人に対して当該の貶めのみならず他の場面でも自分は同タイプの不利益を被るであろうことを理解させるがゆえに、そうでないカテゴリーゆえの貶めよりもより重い。
2017-05-04 09:02:51歴史的に有利に処遇されてきたカテゴリーゆえに貶められても、他の場面では有利に扱われるのであればその貶めは単独でしか機能せず、被害を受ける人も同タイプの行為に他の場面でも遭遇するだろうということを考えなくてもすむ。
2017-05-04 09:03:30ちなみに(3')歴史的・社会的にそれほど重要な意味をもたないカテゴリー(血液型がA型である、名前が四文字であるetc.)にもとづいた加害の場合も同様。
2017-05-04 09:03:47形式的には(2)(3)(3')はどれも差別と言ってもいいけど、差別の悪さを考えるときに歴史的な被害の積み重ねを考慮に入れない議論というのはほとんどありえないので、他の条件が等しければ(2)は(3)(3')よりも悪いといってよいです。
2017-05-04 09:04:17以上はもちろん「他の条件が等しければ」という話で、個別の行為としては(2)より悪い(1)(3)もあるでしょう。けれど(1)(2)(3)の一般的な違いを無視して「罵倒と差別の悪さは同じ」「マジョリティ/マイノリティの区別は差別の悪さと関係ない」と主張するのは単なる無思慮です。
2017-05-04 09:05:33もうひとつ、これは主に反差別を主張する側へ注意喚起ですが、(4)のようなケースもありうるので、マジョリティ属性の人がマイノリティ属性の人に加害をしたからといって、それがただちに差別の加害だというわけでもないです。
2017-05-04 09:05:57行為者の属性だけ見て、行為の特徴(「カテゴリーゆえに」の部分)を見ないと、(1)と(4)の区別がつかなくなります。行為者の属性だけから「権力勾配が」と説明してしまうのではなくて、それが権力の問題であることのほうが行為におけるカテゴリー使用によって説明されなくてはなりません。
2017-05-04 09:06:30これだけ考えても、「マジョリティを罵倒するのは差別か」というちょっと雑な問いをめぐって、記述的用法と評価的用法の区別も、(1)~(4)程度の区別もしっかりせずに差別論がどうこう社会運動がどうこうとか大きな話するの、不毛すぎるでしょ。
2017-05-04 09:07:19追記:僕の見解
【まとめ追記1】 この連ツイで問われているのは「マジョリティを罵倒するのは差別か」に対し『【差別ではない】がその罵倒が正当でない場合【罵倒した事は免罪されない】程度の事を理解したうえで議論しましょうよ?ッて事。
2017-05-05 08:11:31【まとめ追記2 】 正当な罵倒はありえるか?に対して例をあげると。 ①目前で行われている②クズな行為に対し③『やめろ、クズ野郎!』と罵倒する事は不当とはいえない。と僕なんかは考える。そして【法的にも侮辱罪にあたらない】はず。
2017-05-05 08:13:09一方違った視点でのツイート。
中島氏による【差別】というコトバ自体の善悪否定説
差別には「記述的用法」と「評価的用法」の二種があるという考えとぼくの考えは少し違う。差別とは「扱いに違い(差)を設けること」であって、それは誰もが日常的に常に行っていることであり、それ自体に善も悪もない。差別が許されなくなるのは「扱いに差を設けてはならない」という規範が存在する
2017-05-05 09:47:02場合であり、典型的には公的機関による様々な処分や医療契約など緊急性・人道性の高い契約の締結行為などが該当するが、私的な契約であっても、私立学校の入学許可、会社の雇用契約、一般商店の売買契約や、学校や会社での人物評価、能力評価等にも「扱いに差を設けてはならない」という規範が存在する
2017-05-05 09:57:11と考えてよいだろう。このような規範に反する差別が「許されない差別」となるのであって、それは差別自体が悪いのではなく、あくまでも差別してはならないという規範に反することが「悪い」のではないか。そこで、現実に差別の態様として現れる、人種、民族、性、障害等の属性は差別の口実として利用
2017-05-05 10:06:10