具象と抽象の果て、孤独の探求

ひとつの見解として
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田中希生 @kio_tanaka

自分にとって一番大切なもののために、すべてを捨てることが、真面目ということである。大切なもののために、自分の身体を寄り添わせ、形を変え、ついには大切なものにぴったり重なり合うほどに、努力することが、真面目ということである。だからどんな講義でも出ることは、この努力を怠ることである。

2017-05-04 01:55:36
田中希生 @kio_tanaka

ともあれ、真面目はたいてい怠惰の別名であって、どんなまずい料理でも美味しいと言って食べる真面目さも、なんでも不味いといって食べないで飢える怠惰も、けっきょく同じことである。自分にとって必要なもの、大切なものはなにか、そこから、自分の世界を再構築するのが、ほんとうの真面目である。

2017-05-04 02:24:35
田中希生 @kio_tanaka

ほんとうに大切なものを、自分の外側にひとつだけ持って、そのために生きる。それは見つけるのも難しいことだが、大切なものとは何だろうか。それは、きわめて私的であり、またその分だけ、具体的であり、同時に、秘密に近づいていく。この秘められたもののために、真面目なひとは、自分の仕事をする。

2017-05-04 02:44:59
田中希生 @kio_tanaka

国家に「国民国家」の傾向と「帝国」の傾向があるように、芸術にも「具象」傾向と「抽象」傾向とがある。美の女神アフロディーテの顔がどうみてもギリシア人なら、エジプト人は納得しない。帝国において、どうしても美は抽象化していくし、世界宗教の描く偶像はそうした抽象化の傾向を帯びていく。

2017-05-07 00:34:48
田中希生 @kio_tanaka

衣服の襞をみるといい。具象的な、つまり非対称性をもったギリシア彫刻は、アレクサンドロスの遠征とともにインドや中国を経て、抽象的な、つまり対称性をもつ仏像に変化していく。如来の姿は、インド人でも中国人でも、ましてや日本人でもなく、抽象化された《悟り》そのものでなければならない。

2017-05-07 00:37:23
田中希生 @kio_tanaka

しかし、運慶があの「無著」を彫ったときが、ひとつのメルクマールである。このときをひとつの画期として、日本は精神的にも仏教の帝国を離れる傾向を帯び始める。つまり、無著菩薩は本来の出自であるインド人としてさえ、彫られていない。日本人である。俗に中世と呼ばれる時代のはじまりである。

2017-05-07 00:46:20
田中希生 @kio_tanaka

われわれはこうした画期を何度かもっているが、神聖ローマ帝国滅亡後のヨーロッパや、清帝国滅亡後の日本は、抽象から具象への変化の実例を提供している。その意味で、抽象であれ具象であれ、国家の描く二つの極(帝国ー国民国家)に重なるかぎり、芸術は政治に従属するものでしかない。

2017-05-07 02:57:06
田中希生 @kio_tanaka

帝国は理念をもつ。反対に、国民国家は経験をもつ。抽象化は非局所化=帝国化であり、具象化は局所化=国民国家化であって、その両極間の遷移が、一般に芸術史なるものを形成しているのだが、二つの極を突き抜けた場所にある《個人》や《世界》については、芸術史はこれらを取りこぼしたままである。

2017-05-07 03:06:42
田中希生 @kio_tanaka

もっとも具体的なもの、すなわち《この私》、ここにしか美はない。その意味で、運慶の「無著」にあるのは、国民国家というより私的なものである。そしてこれまでに彼の彫った仏像のなかで、もっとも私的であるがゆえに、換言すれば、抽象・具象の二項を越えて具体的であるがゆえに、世界的である。

2017-05-07 03:10:30
田中希生 @kio_tanaka

仏教が中国やインドなど、帝国の影響を離脱して日本独自の傾向を帯び始めることと、無著像の出現は重なり合っている。しかしこうした芸術の傾向を政治史に重ねるなら、中世芸術の到来を語る通常の芸術史ができあがるだけである。運慶の感じていたはずの孤独は、新時代到来の喧騒にかき消えてしまう。

2017-05-07 03:18:01
田中希生 @kio_tanaka

現代は、こうした美術史に埋もれ、真の意味での具象化=孤独化(それは局所化というよりも無化を意味する)の手前に集る諸記号の群れと抽象化の狭間で身動きの取れなくなっている時代である。ぼくはこの世界が、もっと「孤独」を歓迎し、「孤独」を愛することのできる場所であってほしいと思う。

2017-05-07 03:22:33
田中希生 @kio_tanaka

ついには理念の形成にとどまる抽象化=帝国化(自由主義)と、伝統のうちに閉じこもる局所化=国民国家化(ナショナリズム)の両極からいかに飛び出して、真の具象化、無の場所にいたる孤独を、ひとは勝ち取るのか? こうした課題は、いまでも充分に新鮮で、普遍的なものであると、ぼくは思っている。

2017-05-07 03:25:58