映画「息の跡」の佐藤貞一さんが著した"The Seed of Hope in the Heart"まとめ:その2
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1-3章8 漏電で壊れた気仙小学校に火の手があがりました。危険な電信柱がそこかしこに倒れていました。「火事だ、逃げろ!」と叫んでみても消防署自体が壊れ、消し止める手段がありません。それより何より火よりも波の破壊力の方がはるかに強大でした。
2017-05-14 16:16:291-3章9 荒れ狂う波が人々の足下を襲いました。「逃げろ」と叫びながら、草を握って近くの崖に駆け上がる人。力つきて流される人もいました。由緒ある古い町並みは砕け散りました。八木澤醤油、畳やさん、和菓子屋さん、炭やさん、そうした皆の日常の幸福が一瞬にして消え去りました。
2017-05-14 16:18:021-3章10 佐藤さんは津波の前、門松をこのあたりに売りに来ていたといいます。武士の時代の風情が残るこの町に門松はぴったりでした。でも、それは2011年のお正月までのこと。この年の3月11日をはさんで町のにぎわいは消え、何もかもなくなってしまいました。
2017-05-14 16:19:221-3章11 この地区では家は全滅し、200人以上の人が波にのまれて亡くなりました。その中には多くのお年寄りが含まれていました。お年寄りはどうしても若い人のようにはいきません。若い人は若い人で非常時には自分自身を守るため走って逃げるしかありません。厳しいけれどこれが現実です。
2017-05-14 16:20:37以下、映画「息の跡」で小森監督とともに海抜高度をはかっていた樹齢1000年の天神杉の話が続きますが、佐藤さんの津波からの脱出物語を先に進めます。
2017-05-14 16:35:05息の跡 佐藤さんの本。続きです。 お店に着いた佐藤さん。地震の被害を気遣いながらかわしたご近所の方との会話。それが永遠のお別れになるなんて、誰が思ったでしょう。。 1-4章1「佐藤たね屋周辺」(海から約2.5キロメートル)
2017-05-15 10:50:241-4章2 気仙川をはなれ、高さ約10メートルの大船渡線にかかる橋から町の様子がよく見えました。佐藤さんのお店も見えました。まっすぐトンネルに向かう線路。いつもと同じ光景でした。包装資材店から約2キロ走って、無事、お店につきました。お店の前では奥さんが蒼い顔で立っていました。
2017-05-15 10:51:281-4章3 中に入ると5000袋の野菜の種は床に散らばり、小さい生き物がうごめいているようです。PCはひっくり返り、レジは壊れてしまいました。余震が続いていました。そこに津波注意報が出されます。「早くここを離れましょう」と奥さんが言いました
2017-05-15 10:52:071-4章4 この時点で佐藤さんはここまで津波がくるわけはないと思っていました。過去200年津波がきたことがないと聞いていましたし、海から2.5キロも離れています。10年前、ここに移ってきたときも、市の職員はこの付近は緊急時には避難場所になる地域だと言っていました。
2017-05-15 10:54:291-4章5 でも奥さんは津波のことを少し心配していました。種苗店という仕事柄、佐藤さんは近所の土をよくみていました。ニンジンやゴボウ、ネギの栽培にむいた砂土です。でもそれが過去津波で運ばれたのかもということは考えませんでした。誰もが津波はここまで来ないと信じて疑いませんでした。
2017-05-15 10:56:371-4章6 近所の鈴木さんの様子を見に行くとお孫さんが持ち出すものをあわてて選んでいるところでした。まもなく鈴木さんがむすめさんと車で帰ってきました。「お父さん(93歳)と病院に行っていたの。おとといも津波なんてなかったし、ここは大丈夫。それよりあなたのお母さんは?」
2017-05-15 10:59:551-4章7 お母さんは10キロほど内陸の古い家に住んでいました。近所の石垣が前の地震で崩れ、お母さんの家はきっと被害があったに違いないと思いました。「急いで様子を見に行かなくてはいけないもので。気をつけて」そう鈴木さんに言い残して、佐藤さんは奥さんとお母さんの家に向かいます。
2017-05-15 11:02:031-4章8 店を離れるとき、近所の家を見ました。村上さんの家は小さなお城のようでした。見たところ家に被害はありませんでした。村上のおじいちゃんや何人かの人が近くのハナミズキの並木を歩いていました。顔色が悪いようにも見えましたが、別にあわててもいませんでした。
2017-05-15 11:02:401-4章9 大正時代から続く酔仙酒造の酒蔵の建物も無事に見えました。皆、落ち着いていました。佐藤さんはいつものスピードでお店を後にします。 海では水平線に巨大な波の壁が生まれていたことをまだ全く気がついていませんでした。 数分後、津波が佐藤さんのお店があった地区を襲いました。
2017-05-15 11:06:131-4章10 思い出がつまった風景は消えてしまいました。佐藤さんに残されたのは車とわずかな持ち物だけ。家、ハウス、店はかけらも見当たりません。たった一枚の種の袋も。
2017-05-16 19:16:071-4章11 陸前高田市の人口は減少していましたが、お店のあたりは毎年増えていました。ある家族は洒落た西洋風の家をたて、ワクワクして引っ越してきたまさにその日に津波に家を持っていかれ、多額のローンだけが残りました。新居の鍵を受取り、まだ引っ越してもいない家を失った家族もいます
2017-05-16 19:16:491-4章12 お店の東にはたくさんの家が建ち並んでいました。住宅街の端は急な斜面になっていました。津波はすべての家を飲み込み15メートルを超える波がこの斜面を駆け上がりました。海からの波と川からの波がここでぶつかり渦となり、すべての家とたくさんの人々を巻き込んだのです。
2017-05-16 19:17:261-4章13 皆、必死に逃れようとしました。このとき津波を知らせる放送も警察も消防署も壊れ、病院の屋上はまるで漂流船のようで、パトカーも消防車も救急車も来ません。皆、ひたすら走って逃げるだけ。死から、何とか、何としても…
2017-05-16 19:18:311-4章14 少し前に佐藤さんが渡ってきた大船渡線にかかる橋は、付近ではとびぬけて高い場所です。海から2キロも離れていて、皆、ここにさえ来れば安全だと思いました。 津波が轟音を響かせ、黒いしぶきをあげながら猛スピードで迫ってきたとき、町の人たちはこの橋をめざしました。
2017-05-16 19:19:301-4章15 あるいは走って、車で、自転車で。けれど津波はいとも簡単にこの橋を越え、皆、津波の怪物に飲み込まれてしまいました。橋は佐藤さんのお店からわずか300メートルのところにあります。お母さんのところに向かわなければ佐藤さんも同じように橋の上にいたことでしょう。
2017-05-16 19:20:091-4章16 このあたりでは高田一中が避難場所に指定されていました。標高40メートルで急な坂の上にあり、ここは無事でした。 たくさんの人がここに駆け上がり、あるいは崖をよじのぼって無事にたどりつきました。皆、津波を目の当たりにしていました。
2017-05-16 19:23:151-4章17 子どもたちは泣き叫び、高齢者は戦争のときよりひどいと言いました。皆、下にいる人たちに「そこにいちゃだめだ」「こっちへ来い」「逃げろ、逃げろ」と叫び続けました。
2017-05-16 19:24:241-4章18 近所の人を助けているうちに自分自身が波にさらわれてしまった人、自分のことは放っておいてというおばあさんを説得しているうちにいっしょに流されてしまった若者、おぶっていたお母さんを流された人もいました。そのお母さんは、毎年、お店にニラの種を買いに来ていた人でした。
2017-05-16 19:25:011-4章19 あるいは荷物を取りに戻って、あるいは家にカギをかけに行って、それきりになった人。犬を探しにいった近所の人は、どこに行ってしまったのか。たくさんの家が住人もろとも流されてしまいました。彼らはもう戻ってきません。
2017-05-16 19:25:271-4章20 お店があった地域では、半数以上、500人くらいの人が亡くなりました。お店を出る前、佐藤さんは何人かと言葉を交わしています。鈴木さんは93歳ですがとてもお元気でいつも回覧板を持ってきてくれました。
2017-05-16 19:26:06