上映中止になった『ヒア アフター』を思い返してつぶやいてみた
0.『ヒア アフター』上映が中止になっちゃった。今回の震災と津波による甚大な被害を考えて、配給側が判断した結果だ。この映画は僕はもう一度見に行こうと思っていた矢先のことだったので、個人的には残念だった。今日は、この映画のことをつぶやかせてもらいます。
2011-03-16 22:56:221.ただ、一度見たきりで、手元にDVDなどもないから記憶をたどってつぶやいていきます。また、間違いがあったら訂正します。
2011-03-16 22:59:242.『ヒア アフター』は三つのストーリーのラインが徐々により合わさっていく構造になっている。しかも、そのテンポがものすごく、遅い。
2011-03-16 23:01:373.まず、上映中止の要因となった津波のシーンがオープニングにある。場所は東南アジアのどこかだと思うが、休暇を取って恋人と訪れていたフランスのちょっとタレントっぽい感じの女性ニュースキャスターが大津波に巻き込まれ、九死に一生を得る。
2011-03-16 23:02:314.いきなり派手なスペクタクルで観客の注意を引き込むやり方はハリウッド映画の常套手段だが、この映画は津波シーンが明けると、急速にスローダウンする。また、これ以降、本作にはメリハリの利いた映像はまったくなくなる。
2011-03-16 23:04:075.さて、このニュースキャスターは生と死の境をたゆたっていた時にあるビジョンを見る。このビジョンは一体何か? 彼女はそのことが気になる。
2011-03-16 23:06:176.そして、津波から生還後の彼女はもう以前の彼女ではなくなっている。パリで仕事に戻っても精彩を欠くようになり、番組を降ろされる羽目になる。
2011-03-16 23:08:037.彼女は、この世にないものを見た。そして見てしまったらもう以前の自分とはなにかが変質してしまっているのである。そして、彼女はそのビジョンをなんとか言葉にしようと本を書き出す。このラインがまず一つ。
2011-03-16 23:09:198.もうひとりはマッド・ディモン扮する引退した霊媒師である。引退した原因になった事件ははっきりと描かれている訳ではない。が、霊媒能力が落ちたからではない。彼は他人の親しい人の来世をキャッチしてそれを伝えるということに対して強いためらいがあるのだ。
2011-03-16 23:11:449.このマッド・ディモンは工場の労働者としてサンフランシスコでひっそり暮らしているが、趣味で通っている料理教室で、いい女に出会う。このねーチャンとの料理教室でのやりとりがやたらとエロい。お約束通り二人は急速に接近する。
2011-03-16 23:13:0010.彼が霊媒師だと知ってねーチャンは霊媒をせがむ。彼はしぶしぶ霊媒を行い、彼女の近親者の声を伝えるが、それが二人の関係を壊す。理由はわからない。彼は旅に出る。さて、どうなる……。これがもう一つのライン。
2011-03-16 23:14:0311.3番目のラインはロンドンから始まる。仲のいい双子の兄弟がいる。母親は薬物中毒から立ち直ろうとしている。が、とつぜん兄が死ぬ。弟は母親とも引き離され、深い欠落感の中で生きることになる。なんとか兄ともう一度話したいと思い、霊媒師を探す。これが3番目のラインだ。
2011-03-16 23:16:2412.この三つのラインがゆっくりゆっくり接近していく。通常のストーリーは途中で何度かクロスするのだが、物語の後半にさしかかるまでは、ほぼ平行。ラインの間隔が少しずつ狭まり、後半になって三人はロンドンに集まる。
2011-03-16 23:18:0213.この構造は「死に触れた三人の魂がよりそい、回復する物語である」とひとまずいうことができるだろう。脚本を書いたのは『クイーン』『フロスト×ニクソン』のピーター・モーガンである。
2011-03-16 23:19:5214.悪くはない脚本だとは思うが、バランスは悪いし、精緻にできているとは言えないと思う。『ヒア アフター』はなんだか検討台本(もしくは第一稿)で撮ってしまった印象が残る映画なのだ。
2011-03-16 23:22:0915.しかし、このバランスの悪さがイーストウッドの手にかかると微妙にいい味になっていく。一方で、イーストウッドの演出によってバランスの悪さが際だってしまっている気もする。
2011-03-16 23:24:3516.例えば、マッド・ディモンの前に現れた料理教室の女は物語の途中で急に消えたような印象を与える。それは物語がバランスを欠いていることもあるが、この男女の描き方が妙に鮮烈でエロくさく、強く印象づけられてしまうから、女が急にいなくなったような印象が強く残るのだと思う。
2011-03-16 23:27:5317.あと、この映画を見て不思議に思うのは、既成の世界観に吸引されることに対してなんとか踏みとどまろうとしている印象がぬぐえないことだ。踏みとどまるとはどういうことか、これはちっと説明が難しい。
2011-03-16 23:29:5919.宗教はたいてい死後のビジョンを持っているものだ。イスラム教が描く天国はやけに具体的だし、インドの宗教の輪廻もその一つかも知れない。このようなビジョンになじむように物語を収束させれば物語は安定する。多くの人にそのような世界観がインストールされているからである。
2011-03-16 23:36:1720.が、イーストウッドはそのようなビジョンをあえて見せない。まるで抵抗するかのようだ。この映画が見せる死後の世界は、手と手が触れあった時の一瞬のインサートショットだけだ。しかも、かなりおとなしい映像である。霊媒師が出てくる映画にありがちな、声や顔つきが変化するという演出も排除。
2011-03-16 23:37:4821.この映画で「死後」を伝えるのはマッド・ディモンのごくノーマルな声である。この映画では声が大切に扱われる。主人公の霊媒師はディケンズの朗読を好んで聞く。また、彼がフランス人の女性ジャーナリストと出会うのはブック・フェアの朗読コーナーである。
2011-03-16 23:39:0422.この世を生きる人間があの世にかすかに触れるのを描く時、その表現はどのようなものになるだろうか? 簡単に言えば、死後の映像表現はどんなものか。『ヒア アフター』はそこをあえて伏せる。そしてそれを声に委ねるのである。しかし、これはちょっとした冒険だ。
2011-03-16 23:42:4823.映画は音声による表現は副次的なものだと捉えられがちである。映像による演出こそが映画の醍醐味なのだということが盛んに言われる。歴史を紐解くまでもなく言葉(音声)の前にビジョンありきが映画なのだ。が、イーストウッドはあえて本作では声に執着心をみせる。
2011-03-16 23:44:1624.本来、見たこともないビジョンを想像力を駆使して描くというのが、ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』以来受け継がれてきた映画の醍醐味だった。イーストウッドはそんな映画の“おいしいところ”をいったん放棄しているようだ。
2011-03-16 23:46:40