20170701『現代思想』6月臨時増刊号マルクス特集刊行イベント
- Shohey_Proudhon
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ラクラウ=ムフは「ポスト・マルクス主義」と言われるが、それは偶然的な名付けから、それを引き受けて行ったという経緯。マルクスについて両義的な評価を行う彼らは、マルクスをマルクス主義とは異なった仕方で受け取ったのではないか?と。
2017-07-01 16:22:33ラクラウ=ムフが秩序の攪乱的要素である「政治的なもの」をマルクスから受け取ったのは、ルンペンプロレタリアについての叙述からではないか、というのが山本さんの説。Mehlmanなどが『ブリュメール18日』からそのように汲み取っており、ラクラウはそこから影響を受けているのだろう。
2017-07-01 16:25:59補足:ラクラウによれば、ルンペンプロレタリアートこそ生産力の歴史の「外部」に放逐されたものであり、それゆえ歴史の発展にとって「過剰なもの」であり、つまり敵対関係において表象/代表されない歴史のアウトサイダーである。異質なアウトサイダー、秩序の攪乱要素が「政治的なもの」を為す。
2017-07-09 17:46:14なお、Mehlmanのこうした議論は評判はそんなに良くないとか。植村さんなどはそうした読み方には注意が必要であるという。
2017-07-01 16:26:47駆け足ですすんで行ったので、あまり実況が追いきれなくてすみません…のちほどフロアからの議論などで補足できればと思います。
2017-07-01 16:29:01次は、サプライズゲストで立教大学の佐々木隆治先生が登壇です。「現代「マルクス経済学」批判序説」というタイトルでの発表です。
2017-07-01 16:30:00まずはいわゆる伝統的マルクス主義について。その特徴は、①哲学的世界観(弁証法的唯物論→エンゲルスが人口に膾炙させたもの)、②図式化された説明原理としての「史的唯物論」、③マルクス経済学、の3つである、と。
2017-07-01 16:32:02今回のテーマであるいわゆる「マルクス経済学」の問題点について。第一に、搾取還元論。そのため、マルクス経済学は経済的形態規定を無視してきた。また、資本家による生産手段の私的所有を根本問題とする所有基礎論。この程度の結論を得たいならば、別にマルクスを読む必要ない。
2017-07-01 16:35:35こうしたイデオロギー的なマルクスの読みとその行き詰まりに対して、数学的手法で「マルクス経済学」をバージョンアップさせる試みが登場している。その実態はブルジョア経済学の均衡論を密輸入するものであり、経済学批判の核心である経済的形態規定を完全に消し去ったもの。
2017-07-01 16:37:32クライマンにいわせれば、中途半端にブルジョア経済学をマルクス経済学に混ぜ込むので、具体的には均衡論的な「同時的価値決定」を前提することで事実上物量体系になる。負の価値問題や転形問題という偽問題が発生するのは、ブルジョア経済学を持ち込むから。
2017-07-01 16:41:40『資本論』は経済学ではなくて、経済学批判であることが決定的に重要。経済学批判の独自性は、「なぜ労働が価値に表されるという形態をとるのか」という問いを立てたこと。
2017-07-01 16:45:29経済学では、物と物との関係である、人と人との関係しか考えられない。上記のようにいえば反論はあるだろうが、そうした関係とは区別される、物に社会的な意義を付与するような人と人との関わりを経済学はとらえられない。商品は交換からではなく、特殊な形態の労働から生じるのだ、と。
2017-07-01 16:48:08形態規定を重視する学者は多い。ポストン、ルービン、ハインリッヒ、ホロウェイなど。しかし、形態規定を一面的に強調するがゆえに、素材的次元の重要性が抜け落ちてしまう問題も。重要なのは、いかにして形態規定が素材的世界を編成し、変容させるのか、ということを明らかにすることである。
2017-07-01 16:50:21補足:「転形問題」論争に火をつけたのはサミュエルソン論文。彼は主流派の利潤論にたいする批判を強化するためには、マルクスの価値論を捨て、「ブルジョア経済学のツール」を採用すべきだと「助言」した。マルクスの理論的方法の独自性の理解抜きには、こうした中心化する権力作用に対抗できない。
2017-07-10 10:29:14マルクスの物質代謝論、晩期マルクスの物質代謝への飽くなき探求が、マルクスの理論の核心であり到達点であるといえるのか、そこが疑問。
2017-07-01 17:08:15たとえばアレントは、マルクスが社会を分析するうえで労働を重視している。労働が社会にとって重要な位置づけを得るのはあくまで近代であり、そうした近代的な視点で歴史を見るのはどうなのか? 人間と自然との物質代謝の媒介たる労働が超歴史的であるのは否定できないにしても。
2017-07-01 17:11:56また、私的労働という形態を重視することにも疑問。前近代は人格的な支配で、近代は人格的紐帯が解体され、全面的に物象的な支配が貫徹するというのは図式主義ではないか。むしろ、ブラック企業という現象をみても、人格的支配と物象的支配の絡み合いを考えるべきでは。
2017-07-01 17:14:32続きまして、酒井さんへのコメント(というよりはグレーバー『負債論』へのコメント)。グレーバーの最初のところで、物にたいして社会的な力を与えながら人間経済や人間関係を継続させるという話は興味深かった。これはマルクスの価値形態とどう関連するのか。
2017-07-01 17:17:06気になるところではグレーバーは現代的な不当な負債(奨学金など)を批判したいがために、負債そのものをネガティブにとらえすぎではないか。どんな社会でも人は社会や他人に何かを負っており、負債を返していかなければならないというモラルは拭い去れない。
2017-07-01 17:20:10そうであれば、負債なきコミュニズムというグレーバー的構想よりは、ナタリー・サルトゥ・ラジュの『<借り>の哲学』のような、負債を否定せず、国家の暴力や資本主義によって不当なものにされた負債を、<借り>へと組み替えて行くことが良いのではないか、と。
2017-07-01 17:22:32