大典太光世と蔵・包丁藤四郎・大包平・陸奥守吉行再刃の話

大典太光世と蔵・包丁藤四郎・大包平・陸奥守吉行再刃の話
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斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

4 他にも2010年以降の坂本家資料提供により、一部の書籍にも再刃はされておらず直刃に見える刃文が化粧研ぎの為と記されている。ただ昨年11月の宮川氏の北海道での講演ではこれを焼成後の研ぎによるもの、焼身による歪みと敵刃を受けた跡がある旨裸眼視認は出来ないが丁子乱れ刃文ありと説明。

2016-10-07 21:32:04
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

6 堀井秀明刀匠もまた丁子の刃文を得意とする刀匠の為、再刃をしなかったのは刀傷を残すためとも考えられる。なお、釧路大火で焼ける前にも一度刀身の修理はされている模様。  時代的に完全に専門外のため、高知の竜馬記念館に行かれた方や「寄贈目録控」をご覧になった方情報をお寄せください。

2016-10-07 21:42:28
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

5 合わせて吉行と共に寄贈され龍馬親戚の物とされてきた埋忠の刀も竜馬佩刀であると判明したとの事。竜馬の脇差も大火に遭いつつ、反りがあるような姿をしていること、刀匠の名前が判明している事も含めると、吉行は大火の後再刃ではなく修理として再刃ではないが熱を加えられ後研がれたと考えられる

2016-10-07 21:38:08

その後宮島さまとのやりとりで
「焼き入れをともなう再刃は行われておらずとがれたのみ」との結論に。
資料提示しつつお話ししますね。 まず誤解の元は『日本刀大百科事典』(福永酔剣)。これによると龍馬の吉行が室蘭の刀匠・堀井秀明刀氏が再淬し、札幌の研師・富田秋霜氏が研磨したことになっていますが、この情報ソースである『刀剣会誌329号』では「損傷の程度比較的少なき備前宗光其他二三は過般在室蘭の刀匠堀井秀明氏之れを再淬し、目下札幌市に於て富田秋霜氏研磨中なる由なり」と書かれています。ここで出てくる備前宗光について。土佐勤王志士遺墨展示会の坂本弥太郎氏の出品控え書きによると吉行の前に龍馬の甥の高松太郎佩刀の備前国長船宗光が書かれており、どうやらこれのことだろうと。つまり『日本刀大百科事典』で取り違えられて書かれてしまい、それが広く流布したというのが現状のようです。
 吉行については、京都国立博物館の宮川禎一先生、並びに東京国立博物館の末兼俊彦先生のお話によると、再刃はされておらず刃取りと呼ばれる化粧研ぎが施されていたのが、経年劣化により化粧が剥がれてきた為に刃文が見えるようになってきたということでした。なお、吉行がやけに真っ直ぐなのはこれまた弥太郎さんが当時のメモを残しており、形が変形したことなどが書かれていたとも聞いています。このメモは昨年札幌の坂本家から高知県立坂本龍馬記念館に寄贈された遺品類の中にあるはず。このメモについては、私は資料原本を見ていないのであくまでも伝聞であることを付け加えておきますね。いずれきちんとした形で発表されるものと思います。北海道に渡った龍馬の刀の三振の中で、昨年再発見された勝光宗光合作刀には焼けた後が見られず、釧路大火当時、坂本家になかった可能性もありそうです。

斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

@JYOSOWI468OOvR1 お忙しい中恐れ入ります。刀剣研究を行っている斜水と申します。2016年10月20日の呟きで御手杵が「天正11年6月」生まれとの記述がありますが、こちらの参考文献をご教授いただけませんでしょうか。これ程具体的な数字を経眼したのは初めてで(続)

2017-02-20 18:45:52
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

@JYOSOWI468OOvR1 (承前)四代目五条義助の活動年紀を見直すきっかけにもなるかと存じます。三名槍揃い踏みの展示期間を前にご多忙は重々承知の上ですが塚本氏にお取次ぎいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2017-02-20 18:50:02