河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』に関するツイートまとめ(随時更新)
- hiroki_yamamoto
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そもそも思考のプロセスが残る形で文章化しないと、まともにものを考えるのは難しいと思う。経験のないうちは。批評とかしたい人は、若いうちにやたらとトークとかでお茶を濁すべきじゃなく、きちんと書くべきなんだよね。
2017-07-23 17:47:17ということを、いぬのせなか座・座談会のえらく抽象度の高い議論を読みながら思った。美術の側からも、こういう丁寧な(空気づくりではない)議論の組み立ての試みが出てきてほしい。
2017-07-23 17:55:14河野聡子さんの詩集『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』。言葉がデザインに載っていて楽しく読みました。「代替エネルギー推進デモ」はイベント会場にいるようにドラマチック。しかもユーモラスで苦みもしっかり。知り合いにページを撮って送ったなんて初めての経験をさせて頂きました!
2017-07-23 23:44:00いぬのせなか座叢書は(少なくとも今のぼくの思いとしては)詩に限ったものではなく、共同制作のよりよい実践とその結果としてよりよい思考・制作の道具ができあがる、そのための本を作っていきますが、まずいま詩(集)というものを、日ごろ詩に馴染みのない人にも、道具として使っていただきたい。
2017-07-24 01:34:26『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』刊行から1週間がたちました。この本の形態における特異さは著者やTOLTAによるものではなく、いぬのせなか座の功績なので、気に入った人はいぬのせなか座のこれまでの本も買いましょう。 inunosenakaza.com/works.html
2017-07-24 23:06:09線や色や図像を使わず、上下左右にまっしろな空白が開けたシンプルな体裁をもつ詩集『灰と家』と、『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』が、同等の制作論理を抱える、ための、レイアウトという考え方 そこにおいて自分は、小説・散文の技術をそのままに詩(集)に持ち込んでいる気がする、
2017-07-25 00:12:52というより、特に日本語の詩においては、小説と詩のあいだにどこまで技術的差異を認められるだろう、分量以外で だからこそある意味では、詩集を作るわけだが ぼくにとって詩集は、それを鞄に入れて持ち歩く生き物の空間を、小説化する装置(それは決して物語化などではなく作業場の問題) だなんて
2017-07-25 00:13:58言うと、雑な放言をするなとあとから自分に罵倒されそうだが、ぼくは小説は、圧縮された思考を提示する道具としての詩を、使用する複数の身体や私の側における距離(身体間距離、私が私であることの内的距離、その両方)を扱うものとして考えていたが(いまもいくらかその考えだが)、
2017-07-25 00:14:24詩集を作ったり見開きについて考えたり上演について考えたり思考の展開収縮のあり方(に基づく言葉と物の間の関係(命名や指示の問題というよりひたすら抽象的な思考の配置関係の問題))を考えたりしてるうちに、ふつうに小説を書く(書き直す)生活とは別の仕方で詩を使用する空間を作るという方向に
2017-07-25 00:14:37なりつつあるかもしれない、というのはたしかによく意識するところだ、もともとそうだったと思うけれど手元にはそれを小説と呼ぶ方法しかなかった、いやそれでも小説と呼ぶ可能性は消えないけれど、いよいよ(今更?)「一定の長さの散文を書く」という枠組みは必然ではなくなってきた感じがある
2017-07-25 00:14:50一定の長さの散文をひとつの作品として書き続ける、そのような仕方でもたらされる単一の制作場(単一の思考ではなく!)がもたらす重い拘束、ではなく、より短く制作場を複数並置させるかたちでつくるバラバラな拘束、こそが自分にはあう感じがあり、それは将来どうなるかはわからない
2017-07-25 00:15:04長い小説を書くこと、あるいは長めの小説を書き連ねていくことが、ちりぢりばらばらな制作場をもたらす可能性を考えている人はたくさんいて、それに憧れるところは未だ捨てきれないが、それは長生きすれば次第にそうなるのではないかという馬鹿げた想定をしてしまうところはある。
2017-07-25 00:15:15イメージとか均衡とか印象とかではなくほんとうにあるいみシンプルに、従属関係の網目(図表)により立ち上がる多重的な余白の分解再構築、それこそが標的でありかつゼロ地点、制作の実験場、そして素材そのものであり〈私が死後の私とともに立つための物らの生活空間の運営〉だろう、というデザイン
2017-07-25 00:17:16河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』山本浩貴+h(編集・デザイン)、いぬのせなか座、2017年 inunosenakaza.com/kokokaramiteir… 発行者とそのいかしたウェブサイトに言及するのを忘れていた。 twitter.com/Zahlangabeheft…
2017-07-26 01:48:22@ttouya 今年の詩集なら、河野聡子さんの『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』(いぬのせなか座)、高柳誠さんの『放浪彗星通信』(書肆山田)、林美脉子さんの『タエ・恩寵の道行』(書肆山田)が、読みこたえのあるSF詩としても受けとめられる詩集です。
2017-07-26 19:25:15夏嫌いに拍車がかかり、これには積極的に呪いをおこなっているが、詩集においては良いものが多く、豚の裏声で言祝いでいる次第である。 pic.twitter.com/JRiz7a731k
2017-07-26 20:47:20新詩集の感想、だいたい出てきて、「現代詩人」がいかに保守的かがよくわかり、これまでわかっていたことではあるが、あらためて実感。まあ、いいけど。とにかく「言葉そのもの」を装丁やデザインに惑わされ、決して見ることのできないのが「現代詩人」なのだ。
2017-07-26 23:21:11過去にひきつけなければ読み解けないとか、新しいメディアのことをまったく知らないとか、まあいくつか特徴はあるのだけれど、総じて「保守的」といえるだろう。これを育ててきたのが「現代詩手帖」なのも間違いない。しかしこれにはもちろん良い面と悪い面があり、まあそういうものなのだ。
2017-07-26 23:22:36「言葉そのもの」を装丁やデザインの工夫により見せることを試みた100年前のアヴァンギャルドと比べ、我々は確実に衰退しているというべきだろう。しかし「現代」という言葉そのものがすでに時代遅れなのであり、こんなものでまあいいのだ。「現代詩は衰退しました」
2017-07-26 23:24:23いぬのせなか座の挑戦に対し、過去の詩人や詩集の例を出しての反論しかしないのはただ「私はいま考えていない」という表明にすぎない。己の眼でみて己で考える(それに必要なのは過去の「詩人」が成し遂げたことではなく、哲学も含めた思想全般であることはいうまでもない)ことができないのなら、
2017-07-26 23:55:57