- asf17074127
- 1746
- 0
- 0
- 0
敬愛する青山繁晴先生が、神戸南京町と横浜中華街の規模について信じらない認識をお持ちのようです。あまりに驚いてしまったので検証しました。 pic.twitter.com/5ac1M8XroX
2017-08-04 19:31:07@HON5437 ド素人の検証にw 「印象操作」動画ですね。 青山繁晴氏が幼少時に見上げた神戸南京町の賑わいと、 1970年18歳で東西南北の牌楼がまだ無く、大通り300m程だけの横浜中華街の記憶を比較して話してます。 「今はわかんないけど」を削除するのが悪質・意図的w
2017-08-05 18:00:44@woy_z 大通り300mという点でも現在の南京町と並ぶほどの規模ではないでしょうか。周辺の中華学院等も含めれば明らかに大規模では。さらに言えば当時の南京町は戦後の荒廃が続いており、商店も日本人が経営する方が多く、それらは中国物産とは無関係だとか。70年としても横浜の方が大きいのでは。
2017-08-05 23:24:53@HON5437 @woy_z 1970年でも市場通りなど南北の通りに店があり、すでに現在のように四角くい街で、大通りだけではありませんでしたよ😁
2017-08-07 09:05:28@knowsitornot @HON5437 あれれ、そうなると、横浜中華街の公式HPのこの一文をどう理解すれば・・・ <後編 横浜中華街 今昔> 「商業的には、1950年、60年代の中華街は善隣門がある大通りを指し、1971年12月から77年までに東西南北の牌楼を建ててからは、その門に通じる各通りを意味し」
2017-08-07 16:59:50@woy_z @HON5437 それは中華街の組合が決めた事や成した事の歴史ではないかと思います。当時の様子をネットで探すのは難しくで参考になるか解りませんが 昭和30年代の住宅地図を載せたブログ blog.goo.ne.jp/chuka-champ/e/… 1958年の街並み youtu.be/2InYq3NmSqQ?t=…
2017-08-07 18:55:07@knowsitornot @HON5437 貴重な資料を紹介いただき、ありがとうございます。 参考資料とさせていただきます。前後の動画もなかなか貴重ですね。 明治からの造船業、港の大きさに感嘆いたしました。
2017-08-07 19:59:41