「今川滅亡」~氏真の器量、信玄の鬼畜度、武田―徳川の奇妙な同盟などについて

「おんな城主直虎」で話題になったのが直接のきっかけですけど、個人的には ・ダメダメと言われる氏真だけど、ホントにダメだったか(結局生き抜いて子孫はまあ繁栄。最後の勝者?) ・武田信玄は最近「当時としても、やることが鬼畜外道でエゲツなさすぎ」「そこに痺れるッ、あこがれるゥ!」みたいな、一周廻った評価になってる気がする(笑) ・徳川と武田が一時的にせよ同盟を結んで、同時侵攻で一国を滅亡させつつ、エゴ丸出しで勢力圏拡大し新たな軋轢を生む… そんな点に興味があり、やや雑多ながら叩き台としてまとめました(仮) 続きを読む
63
前へ 1 ・・ 4 5
独破戦線 @dokuha_sensen

こーゆーサインで思い出した。ドイツとソ連が疑心暗鬼だった1939年、ポーランドに侵攻したらソ連がどんな行動を起こすのかが解らずに悩んでいたヒトラー。するとドイツと交渉したいスターリンはユダヤ人外相リトヴィノフをクビにし、非ユダヤ人で首相のモロトフを後釜に・・(続く pic.twitter.com/M6HQznuhip

2017-04-13 06:12:03
拡大
民族と国境bot @NationBorderBOT

第1回から第3回までのポーランド分割で各国が得た地域。 pic.twitter.com/6DiDKeO0SD

2017-07-25 21:37:25
拡大
西洋史たん @seiyoushitan

ポーランド分割は1772年、1793年、1795年の三回に渡って行われたわ。 国力の衰退したポーランド王国の領土を、ロシア、プロイセン、オーストリアの三国はまるでケーキを取り分けるかのように分割して奪取し、最終的には完全に消滅させてしまうわ。なんて不憫なの…

2017-07-27 14:11:11
世界史B_bot @bokusekabot

ポーランド「国じゃなくなったしー!千の風になるしー!泣かないでくだC!」 〈第三回ポーランド分割(1795):コシューシコらのポーランド分割反対闘争に乗じて、ロシア、プロイセン、オーストリアが行う。残る国土を分割し、ポーランドは第一次世界大戦まで、独立国としては史上から消えた〉

2017-08-15 09:11:44
清風堂書店@大阪東梅田 @seifudosyoten

少し前に出た本ですがお勧めです。『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』(ティモシー・スナイダー、筑摩書房)。流血地帯とは、ウクライナ、ベラルーシ、ポーランド、バルト三国のこと。 「ナチス・ドイツとソ連は、歴史そのものを支配しようともくろんだ」 アーレント賞を受賞。 pic.twitter.com/vT9j3UbLvq

2016-11-06 18:59:13
拡大

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ゆうな(南)@歴史(💉×4)(献血44) @yuunachuraumi

@UnnnoS (脚本家同士の意図は別としても)ドラマの枠を超えた「因果応報」の構図を見て取れますよね

2017-08-14 21:40:10
海野史生 @UnnnoS

@sc_hateruma ですよねえ。 さらに史実を追えば織田氏の安土城、次いで豊臣氏の大阪城も焼け落ちて「因果応報」そのものですね。

2017-08-14 22:06:42
ゆうな(南)@歴史(💉×4)(献血44) @yuunachuraumi

@UnnnoS そしてそれを全部見ているのが、幼い頃今川で育った家康ですね

2017-08-14 22:16:22
海野史生 @UnnnoS

@sc_hateruma 全部見て育った家康の江戸城だけが焼け落ちませんでしたね、ずっと後の世に無血開城こそしますが。

2017-08-15 05:32:56
ゆうな(南)@歴史(💉×4)(献血44) @yuunachuraumi

@UnnnoS つくづく家康(というか徳川家)強いなあと思います

2017-08-15 08:43:47
松ノ木ほまれ@ハーメルン&パーピーヤス(ポ○モン) @dominiaverufen

大沢基胤は今川滅亡の折、今川館が焼け落ちた後も 今川のために城に立てこもり戦った人でもある 限界が来て、将兵・民のために氏真に書簡送ってるんですよね 『遺憾ながら、降伏してもいいですか?(意訳)』というもので 氏真も『永きにわたる忠節に感謝する』と返事してる #おんな城主直虎

2017-08-15 18:10:39
松ノ木ほまれ@ハーメルン&パーピーヤス(ポ○モン) @dominiaverufen

朝比奈氏なんか北条で半ば厄介者に近い状態になってもなお氏真に従っている ここらへん、氏真も無能では無かったし人望も多少はあった事の証明 大河ドラマでは今川は大抵敵役なので 義元死後の内政手腕とかはあまりクローズアップされてないのよね #おんな城主直虎

2017-08-15 18:12:58
海野史生 @UnnnoS

@sc_hateruma 武田の侵攻で今川館が瞬殺で焼け落ちたのと同様に、武田の新府城も自ら火を放ったとは言え、織田・徳川軍の前に焼け落ちましたからねえ…

2017-08-14 20:57:32
まやや&充実 @mayaya_jujitsu

>前RT。平山優『武田氏滅亡』では巻頭から巻末までちょくちょく出てくる今川氏真。「昔武田は氏真を怯懦と笑ったが、今信長から逃げ出す勝頼は氏真以上に見苦しい」と武田勝頼を哄笑する駿河侍の逸話といい、この本の氏真は「氏真と同じような軌跡で転落してゆく勝頼」という象徴的な存在なのかも

2017-03-12 20:57:36
まやや&充実 @mayaya_jujitsu

「一回の大敗北で重臣の多くを一気に失う」「領国を立て直すために中央集権化に乗り出すが、それが家臣団の不満を増大させる」「敵が侵攻してきた際、家臣団の寝返りが相次ぎ、防戦できないまま本拠を放棄する」…と今川氏真と武田勝頼の転落の共通点は結構多い

2017-03-13 13:07:00
まやや&充実 @mayaya_jujitsu

では武田勝頼と異なり、なぜ今川氏真は生き延びることが出来たのか?理由は三点あるのではないか。1:氏真は北条氏康との同盟関係が未だ健在で、上杉謙信とも同盟を築きつつあったこと

2017-03-13 13:07:19
まやや&充実 @mayaya_jujitsu

2:氏真は本拠駿府を失陥した後、掛川城に篭城し、徳川軍の攻撃を半年間防いだこと。3:その篭城戦の間に、敵方である武田信玄と徳川家康との同盟に齟齬が生じたため、氏康を介して家康と和睦を結べたこと

2017-03-13 13:07:36
まやや&充実 @mayaya_jujitsu

個人の力量以上に、周辺諸国や国内事情の状況が生き残れるか否かを大きく分けたのだろう。平山優氏が『武田氏滅亡』の末尾に記したように、滅亡の要因を勝頼の個人的資質に全て押し込めて説明することは出来ない、流動的かつ多様さがもつれ合う当時のその瞬間の状況が生存と滅亡との命運を分けたのでは

2017-03-13 13:09:32
前へ 1 ・・ 4 5