宗教論あれこれ、未完成

未完成の宗教論。
0
オヨヨ @panopticon1984

これまでのツイートと矛盾するかもしれませんが、仮に清水富美加さんが私の娘だったら、「なぜ」「どうして」という「なぜなぜ攻撃」を仕掛け、出家を止めただろうと思います。それでダメだったら、「あんな団体、インチキじゃい!」「とにかく止めろ!」とでも叫ぶかもしれません。

2017-02-12 17:26:33
ピゾナ @pizonat

正しいと思う。俺なら殴ってでも止める。自分の子どもだったら、自分が業を負ってでも明らかな不幸に進むのを止める、それだけ愛情があるから。ようは自分が業を負ってでも救うというのが本当の愛なんだよ。他人にはそこまで愛はかけられないので助言までで、その先はその人の自己決定に委ねる。RT

2017-02-13 02:54:29
ピゾナ @pizonat

続き)アホみたいな新興宗教であっても、入信するのを殴ってでも止めたら、子どもに一生恨まれるかもしれない。子どもがバカなら一生恨むだろうね。一生恨まれるという業を背負っても止める。他人に対してはそこまでできないよ。ま、殴るというのは極論だけど、なんとしてでも止めるってことだね。

2017-02-13 02:58:19
ピゾナ @pizonat

そうだった、今日は愛について語ろうと思ってたんだ。良い流れだ。

2017-02-13 03:02:21
ピゾナ @pizonat

だから多分、愛の究極は自己犠牲なんだな。自分が恨まれる業を背負うという損な役目を引き受けてでも人を助けるみたいな。だから本当に誰しもが隣人愛を発動して誰に対しても業を背負って救おうとしたらこれはこれで大変な社会だ。毎日、そこいらでそんなことはするなと殴り合いの喧嘩になる。

2017-02-13 03:12:01
ピゾナ @pizonat

続き)だからリベラルの自己決定権の原則(=よりよい自己決定ができるようにいろんな情報を教えてあげて助言する、そのうえで個々人の自己決定を尊重する)というのも、隣人愛のひとつの形態というかギリギリの形なんだよな。洗練された愛の在りようと言ってもいい。

2017-02-13 03:14:52
ピゾナ @pizonat

まあでもなんだかんだで、自己決定権の原則についてもそうだが、結局は皆がどうしたら互いの人権を尊重した上で、互いの知識経験を共有したうえで、皆が幸せになれるかを考えた結果のものであるし、また日々皆はそういう方向でいろいろ考えてるわけで、

2017-02-13 03:35:48
ピゾナ @pizonat

続き)そういう意味では皆が愛の技術論の探求者=キリスト教徒なのだと言えなくもない。そして、愛の技術論の探求者であることにより意識的であるということにキリスト教徒であるということの意義はあるのではないか?つまり、キリスト教徒というのは意識高い系ですな。

2017-02-13 03:38:00
ピゾナ @pizonat

続き)ま、単に愛の技術論の探求ということだけだと、カルトに絡め取られてしまうというかカルトになりうる(永遠の感覚の哲学で言えば、魂を無いExactnessの追求に堕してしまいうる)ので、そこはイエスを救世主と信じるというキリスト教徒であることの定義、根本は大事にすべきなのだろう。

2017-02-13 03:44:24
ピゾナ @pizonat

続き)ようするに、永遠の感覚の哲学という観点からみると、キリスト教にとってイエスの存在こそは魂なのだろう。イエスなきキリスト教は魂なき教え、物質主義的なカルトに堕しうる。カルトの本質というのは要はナチズムみたいなもんだ。youtube.com/watch?v=1pjUpS…

2017-02-13 03:48:30
拡大
ピゾナ @pizonat

続き)物質主義と精神主義、キリスト教でいえば愛の技術論とイエス様を信じること、どちらかが欠けてもだめですよということだろう。林雄介氏が、実学と老荘思想のどちらも重視するのもそういうことだろう(林雄介教の本質かな)。#林雄介教

2017-02-13 03:56:58
ピゾナ @pizonat

続き)永遠の感覚の哲学とは、ともすれば物質主義に傾倒してしまう(その究極がナチズム)西洋近代の在りようを克服するものであり、まさにホワイトヘッドと鶴見俊輔という最高度の知性からそれは提起されたのだ。魂とExactness、実はそのどちらも大切というのが永遠の感覚の哲学の本質だろう

2017-02-13 04:00:02
ピゾナ @pizonat

続き)本質というのは言いすぎた。永遠の感覚の哲学の一本質だな。林雄介教についても本質というのは言い過ぎた、一本質ではあると思う。

2017-02-13 04:10:52
ピゾナ @pizonat

物質主義と精神主義のどちらがマシかといったら精神主義のほうがマシだろう。物質主義はナチズムまで行くから、気に入らない他民族は殺せってことになる。ま、精神主義に偽装した物質主義もあるし、その逆もある。なかなか難しいところ。二元論の超克というのも永遠の感覚の哲学で説明できる。

2017-02-13 04:22:47
ピゾナ @pizonat

キリスト教系の新興宗教もイエスへの信仰心を軽んじているところがあるんじゃないかな?これは調べてみないとわからんがあくまで仮説。イエスという魂を軽んじて、Exactnessの追求に堕していく感じなのでは?。同様のことは秘密結社とかにも言える気がする。

2017-02-14 04:29:52
ピゾナ @pizonat

世界的に有名な秘密結社(矛盾語)である某団体も、作家の林雄介氏によると、ニューソート哲学みたいな自己啓発的なことがメインらしいんだよね。そういう処世術ノウハウとかライフハック的な感じだろう。それはそれでいいけど、もう一方に神への信仰心とかがないと物質主義の地獄に陥るのだと思う。

2017-02-14 04:37:20
ピゾナ @pizonat

続き)だからもしその頭文字Mで始まる某結社が悪魔崇拝みたいな風に堕落したのが本当だとすると、神への信仰心に欠けてノウハウの追求みたいな物質主義に傾倒していったからだと思う。ようするにやっぱり精神主義と物質主義の両天秤でバランス取ることが大事ってことだな。

2017-02-14 04:51:07
ピゾナ @pizonat

続き)そのバランスを取るのが宗教の重要な役目なのでは?。これは作家の林雄介氏のブログに頻繁に出てくるフレーズだが、「なにごともほどほどに」というのがある。そのほどほどのバランスを取るのが #林雄介教 でいえば老荘思想と実学だし、キリスト教でいえばイエスへの信仰心と愛の技術論では?

2017-02-14 04:54:16
ピゾナ @pizonat

続き)キリスト教、天皇制、林雄介教、イスラーム。この4つの比較考察により、さらに宗教的全体性の意義を突き詰めて考えていきたい。その先にきっと天皇制の意義も見えてくるはずだ。#21世紀人民の国家主義

2017-02-14 05:05:41
ピゾナ @pizonat

よく考えたら仏教も実学的な側面があるんだよな。やはり、精神性みたいなことと現実主義の両立みたいなところに宗教の奥深い本質があるように思う。そしてそれは非常に難しいことなのだ。その非常に難しいことを目指し、少しでも近づいていくために私たち人間は生まれてきたのかもしれない。

2017-02-14 05:14:48
ピゾナ @pizonat

お釈迦様もイエス様も死後の世界のことは語らなかったのは自分がカリスマみたくなってしまうこと、それも霊的なカリスマになってしまうことを避けるためにあえて語らなかったんじゃないかと思う。霊的なカリスマになっちゃうと、自分の言ったことがドグマ化してしまうから。

2017-02-14 06:11:21
ピゾナ @pizonat

続き)林雄介氏が言うように、ムハンマドがコーランを成文として残さないように命じたのも同じ理由。諸行無常=時代により真理は変わるから。ドグマ化すると、その分だけ後々に不幸になる人が出てくるんだよね。だからあえて言うがコーランを残したことで不幸になった人たちが多分いるはず。

2017-02-14 06:15:04
ピゾナ @pizonat

続き)そのことに留意せずに盲目的にコーランを崇め奉り、絶対視している現代のイスラームは宗教者として不誠実だと思う。今後もコーランを崇め奉るイスラームは少なからぬ人々を不幸にしていくだろう。それを止めるのは非常に難しい。なぜなら彼らは傲慢さに溺れてしまっているからだ。

2017-02-14 06:26:15
ピゾナ @pizonat

続き)逆に言えば自らを釈迦やキリストの生まれ変わりと称し、信者に対し霊的カリスマになろうとする新興宗教の教祖は嘘だということの説明にもなる。釈迦やキリストと逆の在りようなのだ。そのうえ、言ってることは全くの無内容、無価値。この2つでカルトをカルトと見極めねばならない。

2017-02-14 06:38:18
ピゾナ @pizonat

諸行無常=永遠の真理はない。だから、真理に近いものがあるとしたら常に考え続けて、そのときどきの真理を見つけだそうと努力することかもしれない。それすらも究極的には永遠の真理ではないのだ。ようするに成長し続けねばならんということかもしれない。それは辛くもあり楽しくもあることなのだろう

2017-02-14 06:43:39
1 ・・ 5 次へ